見出し画像

#25' ビートルズと私('23.6.22)

 先週と今週、2回に分けて放送されたビートルズのドキュメンタリーを観た。曲はだいたい聴いてるけど、聴き始めたのは解散後だったから、’60年代の映像は新鮮だった。インド滞在のドキュメンタリーを観たときも思ったんだけど、世界を席巻したビートルズをやっていた当時、4人はまだ20代だったんだよなあ。
 中学の頃、初めて聴いたビートルズのレコードは、友人から借りた赤盤(2枚組の前期ベスト盤)だった。学校から5キロの自転車通学、レコードを大事に小脇に抱えて帰って、返すまでの1,2週間、じいちゃんにうるさいと言われながら朝も夜も聴き続けた。1曲1曲の最初の1音でモっていかれた。同学年にマッシュルームカットのハンプティダンプティみたいなI君というのがいて、ビートルズディクショナリーというのを持っていたっけ。彼がサラっと「悲しみはぶっとばせ」をギターで弾いたときはしびれたなあ。
 '75年にポールのウイングスが来日するという話があったけど、過去の薬物関係?で流れて、お詫びにオーストラリア公演のライブがテレビ放送された。確か週末の夕方、まだ茶の間に1台しかないテレビにかじりついて観た。「夢の人」がすこぶるよかった。'80年に来日した時は浪人中の受験直前で、行きたいけど行けないなあと思っていたら、成田の税関で逮捕されてスネークマンショーのネタにされた。結局ポールの来日は'90年の武道館で、ちょうど転職の合間でチケットが取れた。さすがに中学の頃程の熱量はなかったけれど、聴きながら、この人がいてくれたお陰で随分幸せな時間が過ごせたなあと感謝の念が湧いた。
 '80年のジョンの訃報は大学の教室で知った。その日から毎晩1枚ずつ、ビートルズのアルバムを追悼で聴いた。数年後、NYのセントラルパークにジョンの記念碑を造るための資金を募る広告が新聞に載って、当時銭湯に行くお金もケチっていたけれど、お世話になったしなあと思って寄付をした。今でも手元に英語の証明書があって、そのコーナーのどこかには数万人の協賛者の名前が刻まれているはずだけど見に行ったことはない。
 金字塔と言われるサージェントペパーズ.の最後には、犬にしか聞こえない音が録音されていると中学の頃に知って、一生懸命スピーカーに耳をあててみたけど聞こえなかった。後年、リマスター盤か何かで聴けるようになったけど、結果的に夢は夢のままにしておいた方がよかったのかも。あの頃、いつも歌詞カードを見ながら聴いていたけど、意味は分からなかったから、日本語のビートルズ詩集(上下)に線を引きながら読んだ。A Day in The Lifeの歌詞のリズム、発想の跳ね方、斜に構えた?ものの見方は、無意識の内に自分の文章や考え方・スタンスの基礎になっているような気がする。
 解散後の4人のソロ活動はそれぞれに充分魅力的ではあったけれど、ジョンの歌詞のないウイングスがビートルズを越えることはなかったし、それは他のメンバーも同じだったと思う。最近は技術を駆使した新たな音源の発掘が盛んで、それを楽しむことに全く吝かではないけれど、個人的には結局初めに聴いたレコードに戻っていく。身体がその音を覚えているからだ。時々、意外とリンゴが一番幸せだったのかも?とふと思ったりする。勿論、幸せの基準て何なんだよって話ではあるのだけれど…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?