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#55 Yのこと

 Yは新卒で入った会社の同期だった。小柄でリスのような愛嬌をもった男で、ちょっとハスキーないい声をしていた。入社して程なく、同じ時期に大阪の別の職場で研修していて、ある休みの日に「逆噴射家族」を観に行ったら、明るくなった映画館内のすぐ近くにYがいて驚いたことがあった。
 研修が終わって東京に戻った後も、一時期を同じ寮で過ごした。音楽や本の嗜好が似ていたので、話題には事欠かなかった。仕事帰りに駅前の屋台を覗くと、Yが一人でおでんを摘まみながらコップ酒を飲んでいたりした。研修時代に使っていた自転車をYに譲って、私が先にアパートを借りて寮を出た。
 翌年、私が異動した部署はYが所属する部署の隣りだった。時々仕事帰りが一緒になって、駅の手前で一杯ひっかけたりした。まだ若かったから、どうしたら何者かになれるだろうというような話もした。誰よりも先に次の話題を取り上げて見せればいいんじゃないかというYに、同じことを続けながらスポットが当たるのを待つよと私は答えた。原発は危険だと鞄の中から本を取り出してみせたこともあった。事故が起こった際、あの時のYのことを思い出した。
 その頃、職場に同期繋がりの仲良しグループがあって、異動してきた私は後から入れてもらった形だけれど、当時流行っていた「男女7人夏物語」みたいにツルんで遊んでいた。程なく、Yはその内の一人と結婚することになって、結婚式では同僚と見事なハモり で「Can't Help Falling in Love」を披露していたっけ。春には新居で花見の宴が開かれ、幸せな生活を送っているとばかり思っていたので、晩秋の旅行先で訃報を聞いたとき、まさかそれがY本人のことだとは何度聞いても信じられなかった。
 残された奥さんは、Yが葬儀の前にカエルになって挨拶にきてくれたのだと話した。カエル!Yらしいと思った。究極のダイエットねと寂しく微笑んでいた奥さんが、便りの最後に「ご自愛ください」という言葉を添えるようになったので、以後その言葉は特別な重みを持つようになった。
 形見分けの時、レコードとCDを何枚か頂いてきたのだけれど、誰も引き取り手のなかったカセットテープのことが今でも気になっている。自分も同じようなテープラックをいくつも持っていたからだ。あの中にこそYの息吹が残っていたのではなかったか?あのテープたちはその後どうなっただろう?

 

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