昭和天皇から今上天皇への手紙
昭和20年9月9日
昭和天皇から今上天皇へあてた手紙である。
この18日後の27日、天皇は単身でアメリカ大使館にマッカーサ元師を訪ねたそうである。
手紙をありがとう しっかりした精神をもって 元気で居ることを聞いて 喜んで居ます
国家は多事であるが 私は丈夫で居るから安心してください 今度のような決心をしなければならない事情を早く話せばよかったけれど 先生とあまりにちがったことをいうことになるので ひかえて居ったことをゆるしてくれ 敗因について一言いわしてくれ
我が国人が あまりに皇国を信じ過ぎて 英米をあなどったことである
※我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである
明治天皇の時には 山県 大山 山本等の如き陸海軍の名将があったが 今度の時はあたかも第一次世界大戦の独国の如く 軍人がバッコして大局を考えず 進むを知って 退くことを知らなかったからです
※戦争をつづければ 三種神器を守ることも出来ず 国民をも殺さなければならなくなったので 涙をのんで 国民の種をのこすべくつとめたのである
穂積大夫は常識の高い人であるから わからない所あったら きいてくれ 寒くなるから 心体を大切に勉強なさい
(あの戦争と日本人/半藤一利著 p338より)
11歳の時、この手紙をもらった今上天皇。
特別な運命のもとに生まれた11歳の青年は父のこの手紙をどんな想いで受けとめたのだろうか。
戦後70年、2015年82歳のご自身のお誕生日に父の本心が綴られた手紙として、※印の部分を報道陣の前で紹介しておられたのがちょっとびっくりして私の心に残っている。
天皇のために、お国のために散っていったたくさんの人たちの想いを昭和天皇から引き継ぎ、象徴としての天皇のお立場を模索されてきたであろう今上天皇。
今上天皇としての最後のお誕生日の
お言葉
「私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました」
に、どれだけの想いが込められていたのか想像を絶する。
被災地、戦没地、その他のご公務の場で頭を下げられる天皇皇后両陛下のお姿は、その心境までも画面から伝播するようで、見るたびに心が打たれる光景だった。
もうすぐ平成が終わる。
2016年8月8日のお気持ち表明から2年7ヵ月である。短くない時間だ。実際は6年ほど前からと先日NHKの番組でいわれていた。
退位されても天皇皇后両陛下は、日本や世界で起きている悲しいことにお心を砕かれるように思うけれども、これからゆっくりご自身の時間を過ごしてほしいと思う。一国民の願いである。