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私が学生部に遺したもの

理不尽な元後輩

かなり前のことですが、とても失礼な人のLINEのスクショをもらいました。
文言等は変えずに、ただし個人が特定できないように修正したものをお示しします。

実際のLINEの再現画像
※実物は手元にあります。

この人は維新学生部に所属していた私の後輩でしたが、部長選挙に落選したあと退部してしまいました。部長選挙での対立候補への酷い仕打ちや私を含む部員への酷い言動、Twitterの裏アカやLINEでの投稿など、簡単には赦し難いものもありましたが、こういった内容が私のところまで漏れ聞こえてしまうほど、彼には信頼できる仲間が少なかったのかもしれません。

閑話休題。
くだらない感情の吐露はさておき、「あの人なんかしたっけ笑笑」と言われていますので、私が維新学生部に所属していた間に実現したことをお答えしていく記事にしたいと思います。

部に遺した3つのこと

私は日本維新の会学生部(当時、おおさか維新の会 学生部)の創設メンバーで、2016年から今年(2022年)の春に大学院を卒業するまで在籍していました。はじめのころは無人島のように組織的な秩序も何もないところからスタートでした。

広報課と政策課

日本維新の会には、学生で構成された組織の「学生部」と党所属議員で構成された「学生局」があります。学生局には以下のような運営方針がありました。

日本維新の会 学生局の運営方針

上記の内容から読み下し、学生部には「広報を担当する部局(第1項目)」と「政策立案を担当する部局(第2項目)」が必要だと考えました。

当初、広報ツールは学生局のTwitterアカウントとFaceBookがあったように記憶していますが、学生が主体的に動かす広報ツールはありませんでした。
まず私は入部希望者を募るためにホームページをゼロから作成しました。このとき、WIXという無料でホームページを立ち上げることのできるサービスを利用しました。加えて、学生部公式Twitterアカウントの運用も始めました。当時は部員数も少なく、今の学生部ほどオンライン化が進んでいなかったので、物事の進行も極端に遅かったです。そのため、殆ど私一人で動かしていました。

政策立案については、一人では動かしようがないため 後に作った「維新学生部京都支部」にて、「子ども食堂に関する政策提言」を維新京都市会議員団に提出しました。これが維新学生部全体で最初に提言した政策立案でした。

全国の支部

ホームページを立ち上げてから、月に何通か入部希望者がメールを送ってきてくれるようになりました。関西の学生の場合には即座に対応できましたが、残念ながら関東や九州などの学生には対応する手段がなかったのです。
当時、学生部は「維新学生部大阪本部」しかありませんでした。私は何ヶ月も学生局会議で「学生部関東支部を作ってあげて欲しい」と訴えてきましたが、暖簾に腕押しで遅々として進みませんでした。私は何年もメールでの対応のみで、入部を希望する関東の学生たちを放ったらかしにしてしまっていることに罪悪感を感じていました。ホームページの更新を担当していたのは私だけで、そこに来たメールも私が対応していたことに起因するのかもしれません。
そこで私は「まずは地元の京都に支部を作ろう!」ということにしました。これをモデルケースにして、関東や九州の支部を作るように進めました。そもそも自分自身が関東や九州にいるわけではないので、当該地域での支部創設は現地の議員との連携や部員どうしのコミュニケーションも含めて非常に難しかったのです。しかし地元ではその障壁ないため、何とか規定の5名の入部希望者を集めて「維新学生部京都支部」を立ち上げることができました。

その後、それによって支部創設へのハードルが下がり、関東学生部も創設できました。私の盟友でもある、日本維新の会関東学生部の初代部長による当時の様子を綴ったnoteを添付しておきます。

さらには、九州学生部や中部学生部も創設しました。各支部の創設時には名簿の整理や必要な手続きや連絡、準備物作成などで私自身はサポート役にまわりました。
いずれは中四国支部、東北支部、北海道支部と後輩たちが広げていってくれると期待しています。

さて、冒頭の理不尽な元後輩部員のLINEに「私のせいで京都支部を潰さないといけないふうになった」との旨が書かれてました。実際には、京都支部と大阪本部を合併させて「関西学生部」になりました。実のところ関西学生部への合併は、この元後輩部員が言い出したことでした。

  • 道州制を目指す政党であること(他の支部は都道府県単位ではないこと)

  • 支部のなかった兵庫・奈良の部員から「関西」への需要があったこと

  • 関東学生部と九州学生部が創設できたのでモデルケースとしての役割は終えたこと

から、京都の局員さん(市議さん)や部員と丁寧に話し合いながら、関西学生部へ合併しました。

あとから聞いた話ですが、彼はどうやら「京都支部」という小さなところで部長をするよりも、大阪の党本部を含む「関西」という大きな組織で部長をやりたかったがために、合併を進めようとしていたということでした。残念ながらその夢は部長選挙に落選することで断たれてしまい、退部することになってしまいましたが。

部長選挙制度

関西学生部への合併のあと、関西学生部の次期部長を決めるための部長選挙をすることになりました。
実はそれまで学生部の部長は選挙を経ることなく、何となくで決まってました。他党の学生部は局員に相当する都道府県連の担当議員が何やかんやあって特定の学生を部長に任命するようですが、そのやり方は維新らしくないよな、ということで所属部員が1人1票を持つ民主主義を導入しました。

しかしこの動きの裏で、派閥間で役職を取引きすることで部長選挙を経ずに決めようという動きがありました。つまり、立候補する可能性のある部員に対して立候補を取りやめる代わりに広報課長などの役職を約束する、という取引です。取引を持ち掛けられた部員は派閥には属さず、持ちかけたほうは謎の派閥を名乗り所属していました。
ちょうどその頃、TVでは自民党総裁選の派閥間の取引が報道されていました。

「アホくさ」

と、私の中で軽蔑していたのを覚えています。

将来的に彼らは複数の派閥の間で部長を順番に回し、部内の役職も融通し合うよう企図しているとのことでした。私は全く維新らしくないその提案に眩暈すら覚えました。最終的に、取引を持ち掛けられた部員は謎の取引を蹴散らし、正々堂々と部長選挙をすることに決まりました。

そのときに採用したのが「オンライン符号投票システム」でした。
コロナ禍において部員が集まって投票するのは愚の骨頂。そこでオンライン投票が必須となりました。ここで課題になるのが「2重投票の禁止」「有権者のみが投票できるシステム」「秘密投票」でした。
手法は至って簡単で、以下の通りです。

  1. 他支部の部員が、選挙のある学生部支部の部員全員にそれぞれ異なるランダムな「符号」を生成し、配布します。

  2. 部員は投票時に、配布された符号を投票フォーム(Googleアンケートフォームを使用)入力してから、候補者へ投票します。

  3. 投票フォームを閲覧できるのは支部所属の選挙管理委員(複数名)であり、誰がどの符号を受け取ったかは他支部の担当部員のみが知っている状態です。

  4. 投票終了後、支部所属の選管委員は、符号号配布を担当した他支部の部員から今回の選挙で使用した符号の一覧(対応する部員の名前は消してあります)を受け取り、偽造された符号がないか確認します。

  5. 無事に投票結果が確定出来たら、部員へ選挙結果を公表します。

ここで、符号を配布する他支部の部員は、誰にどの符号を配布するかは分かっていますが、その符号の持ち主が最終的にどの候補者に投票したかは分かりません。
一方で、選挙のある支部の選挙管理委員は、どの符号がどこに投票したのかは分かりますが、その符号が誰なのかは分かりません。
つまり、有権者の名前を暗号化するというシステムです。

これによって、Googleアンケートフォームという分かりやすい方法を使いながらも、「2重投票の禁止」と「有権者のみが投票できるシステム」と「秘密投票」をオンライン上で実現しました。

その他のこと

こうして部長選挙を実施し、見事に勝ち抜いたのは派閥側・・・ではなく無派閥側でした。ここでは具体的な名前を挙げるのを避けますが、関西学生部の部長選挙に当選した彼は当選後、経営学や組織マネジメントなどかなり勉強を重ねていたようです。一方で、派閥側はその間 当選した新部長に対してかなりの圧力や嫌がらせ行為をしていたのを見聞きしています。
その間も新部長は絶えず学生部のことを想い、組織運営の勉強や経験を重ねながらも、大きく成長したように感じます。後輩ながらも率直に尊敬しています。部長を退いた今でも、彼を慕って尊敬する後輩たちが多いようで安心しました。
彼以外にも、経済や教育、外交、地質学、法学など得意な政策に対する知識がとても高い部員たちをリクルートしたり、連携できたことは私の成果の1つかもしれません。実は一時期、新入部員を獲得すべく、維新を支持している学生や政治に関心の強い学生のTwitterアカウントに、個人のアカウントから学生部入部へお誘いをしていました。こうして入部してくれた部員の中には今でも政策立案に大きく関わり、他の部員(ときには議員さん)へ新たなインスピレーションを与え続ける存在になっています。
他にも、広報戦略に詳しい部員や、地域に密着して議員さんと連携しながら支部を運営できる部員など、私自身も目を丸くするほど能力が高く努力も惜しまない部員と出会えたこと、一緒に仕事ができたことは、私自身の財産でもあり誇りです。
先に挙げた3つとは違って抽象的なことですが、優秀で努力家な部員をリクルートし、一緒に運営するなかで互いに成長できたことも、私が部に遺したことの1つだと思います。

おわりに

派閥側の部員たちは、今となってはその殆どが退部してしまいました。きっと彼らの思い通りにはいかなかったのでしょうね。
今の維新学生部には、学生部が更に飛躍するために何ができるか日々努力を重ね、新しい政党学生部の形を模索し、互いに敬意を持って活動しています。私のいたころの不安定な「ベンチャー学生部」や足の引っ張り合いはなくなり、次世代の動かす「持続可能でクリーンな学生部」になったのです

もしもこの文章を読むあなたが学生ならば、
日本維新の会学生部という政治への窓口をほんのちょっと覗いてみてはいかがでしょうか?
思いがけない出会いや成長がきっとあると思います。


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