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わたしの心を ひとつの海にたとえて わたしの心がおだやかな時は 海を見にゆこう わたしの心が荒れる時は 怒りの波、かなしみの波 にくしみの、それらの波が それらの波も いつかはやがてしずまり ひとつの波が砕けちる時に 不思議にいつも心には おだやかな波が ほんの一瞬だけ吹いてゆく それはあたかも 一種の風であるかと さっかくしてしまう程に 教えてください わたしの心も ひとつの海ならば いつかわたしの海を 見にゆきたい いつかわたしの海に たどり着けるでしょうか
夏の夕暮れ時 風が吹いてくると どこからか 風鈴少年がやってくる わたしがまだ 少年だった頃 わたしの夢や 好きだった少女の笑い声 わたしの泣きべそ顔を 知っている うつむいた わたしのほっぺた のぞき込むようにして 吹きすぎていった風 夕立の後のしずけさ 蚊取り線香のけむり 夏祭りのざわめき 夜市のランプの 波にまぎれて見失った 浴衣姿のあの娘の背中 気が付くといつも 風鈴の音がしていた けれどそれは 風が吹いていただけ ただ風が吹いていたから、 なのだと気付く
おもちゃの赤いピアノ 貧しい家の母親は かわいい娘のために ほんとうは 黒い立派なグランドピアノ 買ってあげたい気持ちを その赤いおもちゃの ピアノにたくして 買い与えます そのおもちゃの鍵盤の 一音一音に祈りをこめて どうかやさしい 心のきれいな女の人に 育ちますようにと 小さいうちは たしかに夢中で 遊んでいた娘も けれど年頃になり いつかおもちゃの ピアノにもあきて ピアノの買えない 貧しい家を嫌い さっさと街へ出てゆきます それから 何年も何年も 歳
ひっしで女を口説くために 女のいいなりになる 大人の男の姿を見ては あんなの下らねぇやと 吐き捨てていたはずの少年たちも いつか大人の男になり 背広やらネクタイやらシャレて サラリーなど稼ぎ出し クレジットカードを持ったり 酔っ払って電信柱にからんだり 厚生年金を払ったりする頃になると やっぱり少年たちも あんな下らない大人の男に なってゆくだろう それから身長や学歴や 年収で相手を選ぶ そんな下らない女たちを ひっしで口説き落としては はしゃいだり、仲間に 自慢したり
わたし あなたから 生まれてきました それはあなたがまだ 夏服もぎこちない 中学一年の夏の教室の片隅 クラスのみんなが ひとりの無口な女の子を 取り囲んでいましたね あなたは最初 知らない振りをしていた けれど彼女へのみんなの攻撃は 日増しにエスカレートしてゆき ある日誰かが 彼女のセーラー服を 脱がそうとしたので とうとう たまらなくなったあなたは 席を立ち 勇気を振り絞って みんなに向かって言いましたね その瞬間から今度はあなたが 標的にされることを覚悟しな
海に触ってみた くすぐったそうに 海が笑い返した 海に触ってみた 降りしきる雨のタッチで 海が 冷たいね、と言った 海に触ってみた 夕陽が当たって きらきら光るところ そこがわたしの ほっぺただ、と 海が教えてくれた 海に触ってみた 水平線を ゆっくりと渡る 船の感触で 遠くに行きたいって つぶやいたら 海が わたしもだ、と答えた 海に触ってみた くすぐったそうに 海が笑ってくれた ほおに落ちる涙で 海に触ってみたら わたしの子ども そんな所に 隠れて
ただ、美しい 人でありたかった 夜明け前 夢とうつつの 境界に打ち寄せる 歌か波か区別のつかない 遠い汐の音に似て しずかに消え去る 星のまたたきに似て ただ、美しい 現象でありたかった
男の子は 道端にいたせみをひろいあげ まだかすかに動いている そのせみをてのひらに抱きしめ じっとそこに突っ立っていた 強い夏の日差しの中を また夕立の中でずぶ濡れになりながら そしてせみが 動かなくなったのを見届けた後 男の子はそっと樹の陰に せみをかえした 強い夏の日差しを忘れ 雨のしずくに濡れることも忘れ ある夏の日にこの星のどこかで ひとりの男の子と いっぴきのせみがめぐり会い そのひと夏の 一日のわずかな時を共有し 見つめ合い、語り合い ふたつの生命は生きた
あの日枯葉剤をあびながら ナパーム弾の中を手をつなぎ 裸で逃げ回った、ぼくたちの夏 あれから時は流れ ふたりは結婚し きみはぼくたちの、子供を産んだ そしてその子は今 小児病棟の ホルマリンの中で眠っている やすらかに 遠い夏の日この大地の中で いったい何が行われたかを語る ひとりの生命として おそらくは永久に、眠り続ける そのホルマリンの中で ぼくたちがいなくなったあとにも いくせんの人々に そのことを語り続けながら 失われたぼくたちの夏 奪われたぼくたちのほほえ
木漏れ陽だけが 知っている 忘れられたバス停留所 忘れられた道 木漏れ陽だけが 覚えている その失われた 道のむこう 廃れた家々に刻まれた 人々の吐息 木漏れ陽だけが そして残された いつの世も 失われた夏の形見に 人々が 思い出そうとして諦めた 遠い夏の記憶 昔 おいら石ころだった ぼくは葉っぱ わたしは土だったの いく歳月いく数千年 繰り返す夏の中で それでもわたしは 何らかの生命の形をして いつも 夏の一部だった気がする いつも 夏の一部でいた気がして 木