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売れない漫画家である私が30年漫画家を続けてこれたワケ

あんまり大きな声では言えないけど、実は私…

漫画家としてデビューして30年も経ってしまいました。

普通の作家さんなら「30周年おめでとう」とか労いの言葉を受け取れるのかもしれないけれど、「おめでとう」なんて言葉、絶対受け取れない。
だって、なんてったって、私はずっと「売れない漫画家」なのですから。

「売れない」ということは漫画家として…社会人として…人間として恥ずべきことであり、いつまでたっても何も成し遂げていない中途半端な人生を歩んでいるのでは…と、いつでも不安でした。

でも…
言わせてください。

こんな私でも…

漫画を描くのが好きなのです。
漫画を描いてきて良かったと心から思っています。
これからもずっとずっと描いていくつもりです。

いつでも漫画のネタを考えていたいし、
いつでも新しい物語を紡いでいきたい。
それが私の求める生活です。

気づくと、30年経っていました。
30年経っても私は変わらず漫画のことばかり考えています。
30年、描き続けています。
(正確には、デビューのずっと前から描き続けてはいるのでもっと長いのだけど)

ふと思いました。
もしかして、これって、恥ずべきこと…なんかじゃなくて、結構すごいことなんじゃないか?
誰も褒めてくれないから自分で褒めてみよう。

続けてこれたって、すごいやん!(売れてないのに)

そして、この「自分を褒める」記事を今、書かなければ!と思い立ちました。
そのワケは⁉
過去に描いたミステリーの読み切りを集めた短編集が、電子単行本として青泉社という出版社から出してもらえることになったからです!

「やりすぎ女図鑑」というタイトルで
山谷シュウコ名義で発売中です!

今のところ「まんが王国」のみで先行配信のようですが、
後にkindleなどでも販売される…(と、おもいます)

まんが王国「やりすぎ女図鑑」

会員でなくても無料で結構な量の試し読みができますので、
読んでみてください~!!
「やりすぎなヤバい女たち」が主人公のミステリーの短編、
8作を収録しています。

1話ずつの単話売りもあります!
まんが王国「やりすぎ女図鑑」分冊版
こちらも、8話それぞれ、試し読みたっぷりです!
(スマホ、タブレットの方は「全巻の情報を見る」をクリックすると全話確認できます!)

すべて10年以上前に描いたものばかり…で、かなり古い作品もありますが、
過去の作品の中で特に思い入れの強いものを選びました!

すべて、ラストにはどんでん返しのオチがあります!(ココが自慢!)

今の世の中、紙書籍ではなく電子書籍なら、誰でもkindleなどで出版することができるので「スゴイ!」というほどのことではないのだけど。

でも、今回収録してもらうのは、すべて紙の原稿用紙に描き雑誌に掲載された作品。
自分でデータ化するのは大変だし、何よりずっとお世話になっていた編集者さんと出版社さんの力を借りて世に送り出してもらえるのです。
めっちゃ嬉しい。自慢したい。

その中の「金魚」と「オーラ」はnoteでも無料で公開しています。


単行本としてまとめてくれるとは思っていなかったので、
雑誌に掲載されたときの刷り出しをスキャンしてnoteに公開していました。

今回の単行本出版が決まった時、「非公開」にしなくてはいけないかな?と思ったのだけど…。

汚くて少々読みにくいけど、この2つの作品を試し読みしてもらって、もし他の短編も読んでみたいと思われたならば…あわよくば単行本を購入してほしい…
という宣伝のつもりで残しておくことにします。
と、いうかこの2つだけでもいいのです。別に買ってもらわなくても構わない。(本当は買ってほしいけど)
とにかく読んでほしい。できるだけ、多くの人に読んでほしいし、私の漫画を知ってほしい。
そういう想いで、このまま残しておくことにしました。

「売れない漫画家」ということと向き合う

売れない漫画家のお金の話

さて「売れない漫画家なのに、どうやって生活しているの?」という多くの人が抱くであろう疑問に答えましょう。

よく聞く漫画家のイメージとは、「漫画家は連載をしてやっと食っていける」「連載してもヒットしなければ打ち切り」「漫画家で食っていけるのはほんの一握り」というもの。
テレビドラマなどで描写される「漫画家」というものは、大抵、貧乏そうで四畳半のボロいアパートで連載を目指してせっせと徹夜で描いているし、
「編集者」という権威に仕事をもらうため、ペコペコ頭を下げたりしています。

「成功(連載をして単行本が売れる)しないと食っていけないでしょ?」
と、いうのは本当だとも言えるし、そうでもない、とも言えます。

私はずっと女性誌で描いていました。
その作家のキャリア、人気によって違うけど、女性誌は、青年誌や少年誌よりも原稿料は少々低めのようです。

私の場合、デビューしたての新人の頃は1Pにつき5000円。
でもその後、じわじわ上げてくれるので、8500円になりました。

その後、複数の出版社で仕事をするようになり、原稿料は変動し、一番高かったところで1万円、一番安かったところで6000円でした。
現在は8000円くらいで落ち着いている感じです。
(出版社によって違う。依頼が入るとまずは原稿料の相談)

漫画はイラスト等よりも、1ページごとの単価は低めだけど、ページ数が多いので、一回の仕事でわりとまとまった額はいただけます。

私の仕事はほとんどが読み切りです。
読み切りはその時その時でページ数が変わります。
短いもので24ページ。長いものでは50ページくらい。
(1話につき30~40ページが多い)
と、いうことは、単純に計算すると、30ページ前後の読み切りを1本描くと原稿料は25万前後ということになります。
(30ページ程度であれば1カ月で完成させることができます)


25万じゃ生活できないYO!
という人もいるかもしれないけど、ひと月にそれくらいの収入があれば、一人暮らしの私は充分やっていけます。

確かに新人の頃は1本の読み切りの仕事をもらえるだけでも一苦労で、毎月描かせてもらえることはありませんでしたので、漫画だけで生活していくことは無理があったのですが。

でも、だんだん複数の出版社で連続で描かせてもらえる機会も少しずつ増えてきて、
60ページ以上の長いページ数ももらえたり、無理して1カ月に2本以上描いていた時期もありました。
それに、作品がたまってくると過去の作品を再録をしてもらえることも増えます。(再録料がもらえます。再録は女性誌には多いようです。これはとてもありがたい)電子書籍の印税も、多くはないけどちょこちょこ入るようになりました。

あと、女性誌の場合、原稿料は安いけど、アシスタントを雇わなくても一人で描いている人も多いと思います。(私は、そう)人件費はほとんどかかりません。
(青年誌、少年誌で連載となると、アシスタントを雇わないと無理だし、その分経費がかかる)

と、いう感じで、なんとか漫画という仕事だけで生活をしていくようになりました。

すごく適当に書いた年表があるので、読みにくいけど、私がどうやって生き抜いてきたか、もし興味のある方がいらっしゃったら参考にしてください。

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(TLとはティーンズラブというジャンルのことで、女の子向けのHな漫画です。別のペンネームで描いていました)

年表書いていて自分でも気づいたんですけど、
普通なら、デビューして10年経っても売れなければ大抵の人はやめちゃうんですよね。
それはきっと敗北というわけでもなく、やり切ったからもういっか…とか、他に違う仕事がしたくなったから、とか漫画は趣味で同人でいいや、とか
結婚して家庭をもったから…とか、急にまったく描けなくなっちゃった、とか理由は様々なんですけど、
本人が「もういいや」と思ったら、もうそこでいいんです、きっと。

私も、デビューから10年の間はデビューした雑誌の増刊号でちょこちょこ描かせてもらえてはいたけど、ちっとも人気が出ないし、本来なら「もういいや」と諦めてもおかしくない立ち位置でした。
実際、編集者の人からは「もういいでしょ」と思われていたようです。
何回か読み切りを掲載してもらったけど、いつもアンケートの結果が悪いし、ちっとも人気がでない。売れる見込みがない。
だんだん、ネームを送っても新人のころのように無視されるようになり、
担当編集者さんが退職、と同時に私もフェイドアウトという感じになりました。

仕事がない…ということは、実質、無職です。

でも…
私はどうしても漫画家をやめたくなかった。

他の作家さんに比べると絵はとても下手だし人気もないけど、
漫画は描けば描くほどうまくなるものだし、何作も何作も描いてやっとわかってくるものです。
中途半端なまま、やめることはできなかった。
自分自身の中では漫画の腕は上がっている、何かを掴みかけている、という確かな実感はあるものの、人気がないから切られてしまう…ということは出版社の立場からは当たり前のことであっても、私にとってはとても理不尽で諦められないことでした。

なので、諦めずに、どこでもいいから描かせてください!何でも描きます!としがみついて仕事をもらって何作もコツコツと描いていくうちに、15年目ほどでやっと仕事が多くなってきました。
ちょうど携帯電話でマンガを読む…ということが出だしてきたころです。

女性向けの雑誌でミステリーも描きながら、携帯で人気だったTLの仕事の方が増えて、2007年ごろから10年間ほどは売れない私でも仕事仕事の毎日でした。朝9時から夜10時まで、毎日、休みはほとんどなく、人生で一番漫画を描くことができた時期です。
この期間はもう二度と経験したくないと思うほど忙しかったけど、
仕事のなかった期間が長かったので、どんな仕事でも断るのがもったいないので受けていました。この頃は「忙しい」ことが喜びでした。

「漫画で食っていけてるんだったら、売れてるってことなんじゃないの?」
と思う人ももしかしたらいるかもしれません。
しかし、そんなことはありません!

私はれっきとした売れない漫画家です!(自慢…?)

その証拠に、
単行本を3冊出してもらえましたが、(3冊ともTL)
すべて「思ったよりも売れませんねぇ」と言われてずぐに絶版になったし、
電子でも、いつも「思ったよりもダウンロード数が上がりませんねぇ」と言われてきました…。

最初は「おもしろいですね!」とか、「この話、好きです!」と言ってくれていた編集さんも、
結果が良くなければ、ス~ッと去っていってしまうのですよね…。
単行本の場合、売れなければ赤字ですから、もう出してはくれなくなります。
こちらから営業をしなくても、ブログ等を通して直接仕事を依頼してくれる出版社さんもいくつかあるましたが、
一度読み切りを載せてもらってそれきり、というところがほとんどです。
(売れないから)
結果がすべて。
厳しいけど、これが現実なのです。
いつでも手を抜いたことはなく、いくら自分の中で出し切った!という漫画を描けたとしても、
売り上げですべてが決まってしまいます。

でも…。
結局は「売れませんねぇ」で終ったことが多かったけど、
やっぱりどんなジャンルの漫画であっても、描けば描くほど
私は漫画を好きになっていきました。

短編と向き合う

短編ミステリーの作り方

さて、次に…
「長年描き続けているけれど連載ではなく読み切りばかり」
であるということは、つまり、めっちゃたくさん読み切りを作ってきた
と、いうことです。(何作描いたのか、自分でも把握できていません)

恋愛ものの短編も多く描いていたのですが、
今回はミステリーの短編について、私なりの作り方を少しだけ紹介します。


「毎回違う話を考えるなんて、たいへんじゃないの?」と、たまに訊かれますが、もちろん簡単ではありませんし、たいへんではない創作なんてありません。

連載の仕事も何度かいただいたことがありますが、
私は読み切りの方が好きです。

読み切りは、毎回毎回、主人公も設定もストーリーもテーマもオチも変わります。
毎回毎回、生まれては死に、生まれては死に…という感じ。
漫画というものは、架空の話であるけれど、まるでどこかで本当に生きて生活している人を描いているようなものです。
私ではない、知らない人…だけど、すべて私でもあるのです。
いろいろな角度から自分を見つめることができる。こんなおもしろい作業はないと思っています。

それと、私は昔から、「短編」が好きで強く惹かれていました。

はじめて「お話」で感動したときのことを覚えています。
まだ小学校低学年だったのですが、テレビで落語を放送していたのを観ていました。

そのときの演目は「饅頭こわい」。
あまりにも有名なので、私が内容を紹介するまでもありませんが、
ある男が、「おまえの怖いものは何だい」と訊かれ、
「俺は饅頭がこわい」と言い出し、おもしろがった周りの者たちが
男を閉じ込めて饅頭をたくさん投げ入れた。
男は「こわいこわい」と言いながら饅頭をペロリと食べ尽くしてしまい、
「本当は何が怖いんだい」と訊かれると…
「渋-いお茶がこわい」終わり。

まだ幼いので、当然ながらその噺を聞くのははじめてのことでした。
私はすっかりその噺に入り込んでいて、(落語家さんは誰だったのかは知りませんがとてもうまかったのでしょう)
最後のオチで「渋-いお茶がこわい」という一言を聞いた瞬間、
ピカッ!と目の前が拓けていくような気がしました。
「おもしろい」とか「ウケる」とかとはまったく違う感覚でした。
「お話ってすごい!」と思ったのです。
最後の一言ですべての謎がとけたのですから。

感動した私はさっそく、「饅頭こわい」を元ネタにした漫画を描いてみたりしました。
(落語を「短編」と言ってしまっていいのかわかりませんが)

今回の私の短編集「やりすぎ女図鑑」にもすべて、どんでん返しの「オチ」が用意してあるように、
私は「オチ」のある物語が大好きなんです。

そういう「オチ」が生きる物語は、
やはりどうしても短編がいいかな、と思うし
ミステリーだと特に「オチ」が決め手です。

高校生のときは、夜遅くに放送していた「ヒッチコック劇場」が大好きでビデオに撮って何度も観返していました。
オチがわかっていても、何度観てもおもしろいし、ドキドキします。ということは、こういうミステリーものは、ただ単に「意外なオチ」だけがおもしろさの秘訣ではないのだな…ということを学びました。

フジテレビの「世にも奇妙な物語」も大好きです。
最近のものは観ていないのですが、20年くらい前の草彅君が主演の床屋の話が今でも印象に残っています。

小説も、短編を読むのが好きです。
私が一番好きな作家さんは、小池真理子さんです。
小池真理子さんは長編も多く書かれていますが、私はそれはあまり好きになれず…(好きな方はいっぱいおられると思いますが)
短編のミステリー、サスペンスが大好きなんです。
オチがいつも最高なんです。
怖いんだけど、なぜか「わはははは」と笑ってしまうような…。

落語も、ミステリーもサスペンスも…
短編であれば、重要なのは「オチ」です。
それですべてが決まるのです。
う~ん、カッコいい…

ただ「意外」なだけではダメだし、奇をてらうだけなんてもってのほかです。
テーマを何重にも隠すことが必要です。
そしてラストまで、オチがバレてはいけません。

種明かしをしたときに「なーんだ」とか言われてはいけないし、
読者を上手に騙さなければいけません。
「そういうオチだとおもったよ」と言われたらこちらの「負け」だし、
「まさかそう来るとは」「やられた!」
と驚かせることができればこちらの「勝ち」です。

そして何より、最後まで読者の心を惹きつけなければいけません。途中で飽きて離れられてはいけないのです。
(短編といっても興味がなければ読むのをやめるのは読者の権利です)

それって、まるで読者と「会話」してるみたいだな…
と私は思うのです。

ミステリーでも恋愛ものでも、
漫画を描いているときに私がいつも気をつけているのは、
絶対に、読者を置いてけぼりにはしないということです。

主人公と読者の気持ちが一体になるように、
読者と会話をするように描くことを心がけています。

そうすると、読者に罠をかけやすくなります。
うまい具合に罠にかかってくれたら、あとは落とすだけ…

…と、書くとなんだか詐欺師のようですが。

「どうやって話を考えるの」もたまに訊かれます。
(そんなもん一言では答えられないので、いつも誤魔化しますが)

オチのあるミステリーの場合、「こういうオチにしよう!」と先に考えることが多いです。
ネタの元はニュースであったり人との会話であったり、日常の中で拾います。鬼や巨人を出さなくても、不思議な話、興味深い話は日常の中にあります。
「あれ?なんか変だな」と感じることを膨らませたりします。
みんなが「普通」だと思っていることの中から、違和感だったり理不尽だったり…、そういう「?」と引っかかることがネタになります。

オチが決まったら、それをどうおもしろく物語にするかを考えます。
ノートに登場人物を描いてみたり、セリフを書いてみたり、
とにかく、考えます。考えて考えて考え抜きます。

思考が止まりそうになったら、歩き回ったり、
また考えが浮かびそうになったら、また歩き回ったり、
「もうあかん」と思ったら、寝ます。
うまくいけばいい案が夢に出てきます。(ホントよ)

お話を組み立てていって、
「つながった!」という瞬間が一番幸せ(笑)。
その瞬間は、歩き回っていたり、寝転んでいたり、お風呂に入っていたり、
サウナの中だったり、夢の中だったりするのですが
それまでバラバラだったアイデアが一つにまとまって物語が浮かび上がります。
このときがすごく不思議だし、すごく幸せです。
はじめて「饅頭こわい」で感動してピカッと光ったことが
影響してるのかも…しれません。

そうすると全体のプロットができるので、
一晩おいて寝かして、また考え始めて修正してから
ざっとネームにします。
ざっと描いたネームも一晩寝かして、また考え始めて、
ページ数がぴったりになるように調整しながら
すべてのネームを描き直します。
何度も寝かすことで、客観的に見ることができるので
つながらない部分や物足りない部分を修正することができます。
そして寝かせることによって、おもしろいかおもしろくないかを
自分で判断することができます。

こんなふうに、ちょっとしたひらめきから、数十ページの話に
組み立てていく作業は、とても楽しく、
自分の中ではなんだか粘土細工を作っているようにも思えます。
何度もこねたり形を整えたりして、ようやく自分の思い描いた物語が出来上がります。
そして数日間、夢中になって作り続けると、必ず、思っていたよりも面白いものになっていることが多いです。この時は本当に幸せ。

これでネームは完成。
完成したらあとは原稿にするだけ。
私はプロットとネームは早いのですが、絵を描くのがとても遅くて、
描いている間に飽きてしまいます。
なので、原稿はいつも海外ドラマを観ながらでないと描き続けられません。(どうでもいい情報?)



私はこのプロットから原稿完成までの、一連の流れが大好きなのです。
何も無かったところから、自分の手で
物語を生み出す過程が大好きなのです。

私は昔から、言いたいことも堂々と言うことができないような
人の顔色を伺うような卑屈な部分がある人間でした。
もちろん、自分に自信なんてありません。

でも、物語を作っているときだけは、
私は自分を信じることができたし、自分の意見を言ってもいいんだと
自信をもつことができました。

普段は自信がなくても、
「おもしろい漫画を描こう」という目標がある瞬間だけは、
思い切り前向きな気持ちになれるのです。


最後に…

ずっと「売れたい」とおもっていた

デビューしてすぐに連載が決まったり、単行本を出したりして
売れる人はたくさんいますし、
私は今まで、
そうでなければいけない…
という固定観念に縛られていたような気がします。

もっと仕事がほしい、単行本を出してほしい、売れたい!
という気持ちは漫画家であれば当然のことです。

でも、よく考えてみると、
「では、なぜ売れたいのか?」
と自身に問いかけてみると、私の場合、それは、

「ずっと漫画を描き続けていたい」

という理由だからなのです。

私が恐れていることは、
「漫画が描けなくなる」
ということです。

漫画を描くことで私は私を作ってきたと思うのです。

幼い頃から集団の中で自由に自分の意見を言うことが
苦手だった私でも、
創作の中では自由に自分の意見を述べることがきます。

創作の中では、今の自分よりも一歩先の自分に
出会うことができます。

漫画家というものは、
売れなければ、仕事がもらえなくなるのです。
だから「売れなければ」と思っていました。
アンケートの結果がよければ、次もまた描かせてもらえる、
ダウンロード数が上がれば、また仕事がもらえる。

「売れなければ」切られてしまう。
私は漫画を描き続けていくことができない。

…そうずっと思い続けていたのです。

でも、なんと…

売れてないのに、30年も描き続けることができていました(笑)



読み切りだと、一つ描き終えると、次にいつ仕事が来るかは
わかりません。
なので、不安になることはあります。
一つ終わるごとに無職になる…という感覚です。
それはとても不安定で不安なことです。

しかし、では連載さえ決まれば安心なのか?
安定なのか?
連載をしたって、いつ打ち切りになるかわからないし、
その連載がヒットしたとしても、次の連載もまた同じようなヒットするかは
わかりません。

つまりどんな作家であっても「この先絶対大丈夫」なんてことは
無いのです。

安定と安心がほしいのなら、はじめから漫画家になんてならなければいいのです。

私にできることは

いつでも

今描いている漫画に全力で取り組むこと。

そして、次に描く漫画は
もっといいものにすること。

そうやっていると
きっと私はずっと描き続けることができるのです。

あと、自分の漫画家としての人生を年表にしてみて、
良かったです。
30年も描いているのに、私はちっとも成長してない!
と不安だったのですが、こうして見てみると
そうでもないな、(笑)と。
私はちゃんと前に進んでるやん。
と、安心しました。(笑)

仕事の依頼が来るのを待ち、ネームが通るのを
祈りながら待つ…という仕事のやり方はメンタルがやられてしまうので
2年ほど前から自分で自分がいいと思う漫画を自分で電子書籍にしていこうと決めました。
noteを始めたのもそのころです。
昔は自分で電子書籍を作ることや、noteなどで漫画を発表するなんてことも
存在しませんでした。
出版社の発行する雑誌に掲載してもらうこと一択だったのです。

まだ結果は出せてないけど、年表を眺めていると、
「もうちょっと頑張れば大丈夫!(多分)」となんとなく
自信がつきました。
最近不安な感じの人は年表を書くの、おすすめです!

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

「やりすぎ女図鑑」もよろしくお願いいたします!(笑)

12月17日追記

「やりすぎ女図鑑」のkindle版も発売となりました!
試し読みだけでも、よろしくお願いします!!


やりすぎ女図鑑表紙













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