見出し画像

キラキラネームをつけてしまう原因とは何だろう?私がおもうに…

キラキラネームが気になる。

つい最近も、逮捕された元ユーチューバーの人がキラキラネームであったこともあって、キラキラネームについての持論を展開している人の記事を目にすることが増えた。そういう記事は、ついつい見ちゃう。
私もキラキラネームには昔からいろいろと思うところがあった。なので、私の持論も誰か聞いてくれますか?

私がはじめて「えっ」と思ったのは、松田聖子の娘、「沙也加」。
いきなり「それはキラキラネームとは言わない」と言われそうだけど、
聖子が娘に沙也加と名付けたことを知ったときは
「えーっ、当て字やん…」と思いました。

しかも、「さやか」という爽やかな名前は、当時の女の子に名付ける人気の名前でした。
かわいいし、爽やか。いい名前です。
しかし、人気ということは、それだけ「さやか」ちゃんが多いということ。
多くの「さやかちゃん」との差別化を図るために聖子は「沙也加」にしたのだろうか…それにしても、あのトップアイドル聖子が当て字を使うだなんて…と当時中学生だった私は腑に落ちない気持ちを抱えていました。

しかし、もっと昔はなんと「なおみ」がキラキラネームだったらしい…。と先日NHKの番組で知りました。
「なおみ」は「古風」ともいえる名前。なのになぜ?
なおみちゃんの発祥は確か「奈緒美」だったかで、やっぱりこれも、当て字だったらしいのです。

現在では
当て字=キラキラネーム
というわけではないのだろうけど、昭和はなんとなくそういう感じであったように思います。
「奈緒美」ちゃんも「沙也加」ちゃんも、素敵な名前。
現在では誰も「キラキラネームだ」と咎める人はいません。

しかし、平成のキラキラネームは単なる当て字ではなくなってしまいました。当て字というよりも、大喜利に近いような…。
「笑っていいとも」でキラキラネームを紹介するコーナーがあって、今でも忘れられない名前が。
デイズニーランドが大好きな親が、子ども二人につけた名前が、
「ランド」と「シー」。
ら、ランドとシーって…。

あと、「黄熊」とかいて「ぷう」とか、
「今鹿」とかいて「ナウシカ」とか…。
おもしろいけど、いいのでしょうか…?

また昭和の時代に戻って申し訳ないけど、
中学生の頃、友人同士で「子どもが生まれたら名前なんてつける?」という他愛もない話をしているとき、友人が
「蘭世(らんぜ)!」と嬉しそうに言いました。
その友人の名前は「尚子」。

70年代生まれの私達の世代の女子は、ほとんど「子」か「代」でおわります。(シワシワネームと呼ぶらしい)
「恵」や「美」でおわるなんて贅沢です。「穂」や「菜」なんてアイドル歌手です。

「子」か「代」のシワシワネームの昭和女子は、漫画の中のヒロインの名前に、めちゃくちゃ憧れるのです。
その憧れを叶えてしまったのが、平成のキラキラネームのはしりなのでしょう。
「娘を蘭世と名付ける」と言った尚子が今はどうなっているかは、知りません。平凡な自分の名前(尚子もいい名前だと思いますが)を嫌う尚子は
「蘭世!」と言った瞬間、目をキラキラ輝かせていました。
(だからキラキイラネームと呼ぶのかな)

「ランド」と「シー」や「黄熊」「今鹿」と名付けた親も、きっと
その名前を思いついた瞬間、頭がキラキラしたのかも。
「ちょ、まじで、俺、めっちゃいい名前思いついちゃったんだけどぉ!」と、ワクワクしたのかもしれません。
これこそ唯一無二の名前ジャン!と小躍りしたのでしょう。(多分)


ちなみにですが、もちろん私も、れっきとした「シワシワネーム」です。
私の名前は、「宗子」とかいて、「シュウコ」と読みます。

実は私はこの名前がめっちゃ好き!なんです!もう最高!とまで思っているのです。
一見、かわいくもないし、地味だし、女の子として「シュウ」はどうかな、とは思われるかもしれません。
それに、珍しいので学校で先生にすんなり読んでもらったことはありません。「ムネコ?」「ソウコ?」と迷う人が多いです。
今でも時々病院とか区役所とかなんかで名前を呼ばれるとき「ショウコさーん」と呼ばれても別に気にせず「はーい」と答えます。(「ショウコって名前も結構イイナ、なんて思う程度です)

でも、それでもいいんです。
だって、字画が少なくて昔から名前を書くのがめっちゃ早かったから。(笑)
あと、珍しいから滅多に同じ名前の人と会わないということもあります。
それで、同じ「シュウコ」さんに出会ったときは、妙に嬉しくて握手したくなります。
それに、一番気に入ってる理由は、「宗」という字も「シュウ」という字も
自分で「なんかかっこいい!」と思うから。
なんというか、「媚びてない!」って感じがします。
かわいい名前ではないけど、本当にシワシワになってからでもしっくりくるからいい!とします。
と、いうか「宗」という字は、「中心」「おおもと」「源」とか「尊ぶ」とか、たいそうな意味のあるとても立派な字です。
「宗」という字を名付ける意味は、「自らを高め、周りに良い影響を与える人に」だとか。(親がそこまで考えていたというわけではないと思うけど)

そう思うと、私はまだ全然、「宗子」には成り切れていないなぁ…としみじみ思います。
でも私は自分の名前が好きなので、
一生かけて、真の「宗子」に成れるようにしよう!
と、思います。
「宗子」として生まれてかなり時が経ったけど、今からでも多分遅くない!



さて、話は変わって、いつも私は「漫画を描いてみたい初心者さんのための誰でも簡単にできる練習方法」をnoteに綴っています。




ここでもキャラクターの作り方について紹介しているのですが、
漫画を描く上でも「名付けること」がとても重要なので、
付け加えたいと思います。

漫画を描くとき、お話を考えるとき、
一番はじめに何を考えますか?

私の場合、だいたいこんな感じのお話にしたいな~と浮かんだら、それを具体的に形にするために、まずはキャラクターを作ります。

そのとき、必ず名前をつけます。
ここ、大事です。
描きたい物語、キャラクターにピッタリくる名前が思いつくまで、
プロットは作れません。
仮の名前とか、だめです。
〇子、とかA子、とかって仮につけておくことはお勧めできません。

なぜかというと、漫画といえど、名付けた瞬間に命が吹き込まれる
と、私は信じているからです。

名前に意味がありすぎてもお話の邪魔になる場合もあるし、
かといって、普通すぎても、しっくりこない時もあります。

描いている途中で「なんだか主人公が動かないなぁ」と感じたときって、
名前がしっくりきていなかったという場合がよくあります。
その場合名前を変えて描き直してみると、うまい具合に話を進めることができることもあります。

あとで描き直すはめになるのは面倒なので、
いい名前が浮かぶまでは描き始めないほうがいいと思います。(個人の意見ですが)

名前って普通、親がつけます。
つまり、その名前をつけた親がその子を育てたわけです。
親の性格は子の性格に影響を及ぼします。(いい意味でも悪い意味でも)
主人公の名前の中に、そういう過去も含まれるというわけです。
それは必ず、生き方に影響を及ぼします。
厳格な親に育てられた、とかチャラい親に育てられた、とか、
物語の中には出てこなくても、名前の中に込めることができます。
名前とは「背負うもの」なのです。

主人公の名前をつけることができるまで、1日かかってしまうこともあります。
名前をつけることは創作の一部です。

私は以前、漫画教室を主宰していたこともあるし、短い期間でしたが
芸術系の大学で漫画の授業を受け持ったこともあります。

そのときに、何度も気になったのは、キャラクターに名前をつけるということが苦手な生徒さんがとても多いことです。
それに、〇子とかA子、とか仮の名前で作って、正式な名前は後で考えようという人も多かった。
私としては信じられません。
だって、キャラクターは生き物なのに、名無しのまま、本当に動かせることができるのでしょうか?

主人公に名前を最後までつけないまま…という場合も、もちろんあります。
例えば、短編のミステリーだったら、最後まで「僕」で通した方が謎があって効果的な場合があります。
でも、そういう効果を狙っているわけではなくて、ただ単に、
「思いつかないから」
「後で考えようと思って」
という人は、名前というものを軽んじているように思えます。



長年、何本も漫画を描いていますが、私の場合、ほとんどが読み切りなので
毎回毎回主人公、登場人物が違います。
そこでたまに、
「よく毎回毎回名前が考えられるね」とか
「どうやって名前を考えてるの」と訊かれることがあります。

名付けることも創作の一部ですから、当然、そこから創作が始まります。
それに、名前というものはすでにあるものだけでも、何万とあるし、まだ無いものであってもいいので自由です。
ましてや創作。なんでもアリなのです!
適当にテレビをつけたときにちょうど出ていた女優さんの名前が、ちょうどピッタリ、しっくりきた!これだ!というときもあります。
名前自体は、いくらでも考える余地があるはずです。
創作の一番最初の導入部、難しいというわけではなく、テクニックなんて必要ないのですが、
普段からいろんな人のいろんな名前について、興味をもつことや
いい漢字を見つけたら「この字を名付けたらどんな子に育つかな」など
想像力を働かせてみるといいと思います。


それでふと、思ったんですけど、
「黄熊」とか「今鹿」とか子どもに名付けてしまう人って、
創作に慣れていないのでは…ということです。

私が主人公の名前を考えるとき、「沙也加」や「奈緒美」や「亜理紗」や
「紗彩」などはつけるかもしれませんが、
「黄熊」や「今鹿」や「宝冠(てぃあら)」や「皇帝(しいさぁ)」などはつけません。
もし、そういうキラキラネームをつけるのであれば、そんなヘンテコな名前をつけられてしまったというコンプレックスを抱えた主人公のお話となってしまいます。(それか、ギャグ漫画)

物語の中であっても、現実であっても、名前というものは一生背負うものだし、人格形成の中に必ず埋め込まれます。

そう考えたとき…

ヘンテコなキラキラネームを子につけてしまう親というのは、
想像力が、足りない。

別に「漫画を描け」というわけではないけど、普段、何でもいいから、
ちょっとした創作活動をしていれば、
それくらいの想像力は鍛えられているはずです。

創作に慣れていないから、
個性的な名前=珍しい名前
になってしまうのではないでしょうか。
だから、いきなり自分の子どもの名前を考えることになってしまって
考えた挙句「今鹿!」とか思いついて、「わぉ、すげー、珍しいの思いついた!俺って天才!?」と思っちゃったのでは。
実際は、考えたつもりが、考えが決定的に「足りない」のですが…。


「漫画と子どもをいっしょにしないでよ」と言われてしまっても仕方ないのですが、
私は、自分の作る漫画の中の、架空の人物でさえも、
「成長してほしい」
「幸せになってほしい」と願い名前を付けます。

「こうなってほしい」ではなく、
自由に、私の想像以上のことをしてほしい。
私の考えを超えてほしい。
と、思っています。

漫画や物語ではなくても、
詩であったり、短歌であったり、川柳であったり…
どんなものでも、些細なものであっても
ふと心に浮かぶ「創作」に触れることで、想像力は自分で養うことができます。
そういう人は、名前ひとつにも命を感じることができるはずなので
ヘンテコで奇天烈な名前なんて付けないのでは?
…というのが私の「キラキラネーム」に対する持論です!
以上です!






サポートしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。