クリスマス__2_

衝撃的すぎた「風と木の詩」。少年愛にハッピーエンドなどないということを知る

中学二年生になったわたしに人生を変えるほどの衝撃を与え、とりつかれたようにのめり込み夢中にさせた(中2ですから)のは、竹宮恵子先生の漫画でした。
竹宮先生は少年同士の愛をテーマに描いた漫画が多く、その中でも一番有名な作品は「風と木の詩」です。
寄宿学校で運命的に出会ったセルジュとジルベールの激しい愛のお話です。この物語は本当に美しく切ない!これほどの最高傑作は後にも先にも出会うことがはないのではないでしょうか!と、思うほど好きなの。「風と木の詩」を読み返すとわたしはいつでも中2に戻れるのです。
「少女漫画」だからって「少年同士の愛」だからって、容赦しない。ダイレクトな愛の表現はかなり過激です。それはとても「エロい」。しかし巷にあふれる「エロ」といっしょにしてもらいたくはありません。
少女漫画らしくない。しかし、これこそが少女漫画であるとも言える作品なのです。

さて話は少し反れますが、「物語」というものの定義とは何でしょう。
わたしはすべての物語というものは、「主人公は幸せに向かっている」ことだと思うのです。つまりすべての物語の主人公が目指すゴールとはハッピーエンドということ。
「幸せ」ではないから、それを求めようとする。「幸せ」ではないから、悩む。「幸せ」を手に入れようと悪戦苦闘する。その過程を描いたものがつまり「物語」です。

もちろんすべての物語の主人公がラストで幸せを手に入れるというわけではありません。それは当初望んでいたものではないかもしれません。しかし、主人公は最終的に「何か」を得るのです。

特に少女漫画の場合、ハッピーエンドが鉄則です。わかりやすいのですがゴールは「好きな人との恋の成就」であり「永遠の愛を誓う」、つまり「結婚」であったりするものが多いです。
「好きな人と結婚したって幸せになれるとは限らないわよ」
と、大人はすでに悟っているのですが、それでもやっぱり主人公が幸せになるのを見届けたいと期待します。少女が読者である「少女漫画」であるが故。

しかし!「少年同士の愛」というものにハッピーエンドはありません。
それは何も、同性愛に幸せな結末は望めない、というわけではありませんよ。
大人の男女の愛であったり、大人の男と男、大人の女と女の場合であれば、
ハッピーエンドは可能です。お互いに成長しながら愛をつらぬく姿を描けばラストは必ず二人とも幸せをつかめるでしょう。

少年同士の場合、幸せを追求しようとすればするほど、それは逃げて行ってしまうのです。「少年」であること、それ自体が悲しくて儚くて残酷なのです。

「風と木の詩」の後半、セルジュとジルベールは寄宿学校を脱走します。二人はパリへ。しかし少年二人がどうやってパリで生活していけると言うのでしょうか? 現実はキビシイ。
真面目で生活力のあるセルジュは逞しく、どんな仕事でもこなせるので一人でなら生きていくことは可能です。でも、ジルベールはそうはいきません。なにしろ叔父オーギュからの洗脳を受け育ったのです。ジルベールは籠の外では生きられやしないのです。
でも、セルジュはジルベールと共に生きるために学校を脱走したのです。ジルベールがいないと意味がないのです。
セルジュはジルベールとの生活を守るために奮闘します。しかし、努力すればするほどジルベールの心は崩壊していきます。

ぜんぜんうまくいかんやないか! そんな殺生な!
と、読みながら叫んでしまうほど辛くなってしまいます。

物語の定義通り、セルジュは幸せを求めていた。
しかし、少年同士の愛はそれを許さなかったのです。
セルジュは真面目で賢く、素晴らしい人格の持ち主です。
しかし一つだけ欠点があった。
それは彼が「少年」であったということ。

少年同士の愛をこれほど美しく、リアルに真正面から描いた作品はありません。
少年愛にハッピーエンドはあり得ません。
だからこの物語もサッドエンドです。

誰も悲しい結末なんて望みません。
できれば誰でも「幸せに暮らしましたとさ」というハッピーエンドが読みたいのです。
サッドエンドを読むには勇気がいります。
後で気が滅入る…悲しみを引き受ける覚悟がないと手が出せないものです。

それでも

「幸せに暮らしましたとさ」よりも
もっと深いものを
わたしは受け取ったと感じています。





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