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真実、価値、遵法性(真実)

トランプは敗北を認めず、証拠もないのに、選挙を訴えるとあおり、支持者たちは街頭に繰り出す。その間、国防機密の次期政権への継承が空白化している。

まるで共和制ローマにおける帝政暴君の移行における状況はかくあったかと思わせるほどだ。

このことは、民主主義がいかに脆いものであるかを我々に明白に示してくれた。

つまり、民主主義とは、基本にポピュリズムがあり、それを抑えているものは、公的なるものを第一とする各構成員の精神の成熟であり、それを 守る法の存在である。あるいは、暴君をポピュリズムが支持して行く前に抑える法的仕組みである。

公的なものの価値がわからないものは、私的な特失によってのみ思考する。僭主もまた然り。

近代民主主義において彼らは抑えられている。
かつての戦争や政治的経験の痛みによって。

彼らが解き放ってしまうものはなにか?

まず 自分だけが損をさせられているという感覚。
次にそれを煽るものの登場。
煽るものは、事実を様々な形で歪める。
人々を凶暴化し街頭に繰り出させ、友敵バイアスをかけさせる。こうなると、構成員は既存の秩序からスピンアウトしてアトム化し、既存勢力と法の外で争い、既存のの組織や法を破壊して行く。

この結果までたどり着かせてしまったミスはどこに、どの過程がまずかったのだろうか?

法構造の融解という過程以降に絞ってかんがえてみる。
まず、①僭主的資質とわかっていたものを代表させる共和党の思考にまず、公的センスを欠落した部分思考が見られる。
次に②虚偽を撲滅できなかった過程である。虚偽を許さないということはどうすることかを考えねばならない。
そして、③選挙結果の確定を確実化し政権移行を断行する仕組みの整備の問題がある。

①は制度によってどうこうできることではないだろう。
②は根拠なく虚偽を振りまく政治家には、即、公の場で根拠を述べさせ審議する場を設けねばならないだろう。
③は、移行期間規定を明確にする法整備、とくに、移行開始を法上明記する必要があろう。
そして、最高権力者が民衆を直接的な街頭へ繰り出すような言説は、法的に罰則を与えるようなことも必要かもしれない。

しかし、アメリカにしても、日本にしても、戦後75年、歴史は、苦難をくぐり抜け、その教訓を普遍的権利として刻んでいっても、それらは、目前の利害の中で忘れ去られて行くものだということがよくわかるこの頃ではある。

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