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クソのような仕事について

デヴィッド グレーバーの「ブルシット ジョブ」実は私はまだこの本を読んでいない。ただ読む前から全くその通りだ!と思う気持ちになっている。
この本に書いてあることと私が思い予想することと同一であるかどうかわからないが、この本の題名に触発されてちょっと話してみたい。

一言で言えば、今の世の中の格差の原因は、このようなクソのような仕事をしている高給取りの存在によるところが多いと言うことなのである。

クソのような仕事とは、そのことによって誰も具体的なサービスを受けたり何か新しい世の中に寄与する価値がもたらされるのではないような仕事のことである。それなのに今の世の中ではそのような仕事が高額な報酬で存在する。それは例えば、広く言えば、広告であったり、社外取締役であったり、コンサルであったり、乱暴に言えば、銀行であったり、士業の人々である。もちろんそれらは、世の中を秩序だって動かすために必要なヘルプの業務であったり、知恵を貸す仕事であったりするわけだが はっきり言ってしまえば、それらは寄生する仕事である。とすればそんなに稼がせて良い仕事なのであろうか?能力が必要だからなどとよく言われる。しかし、それは、決まりや規制などの複雑なものをでっち上げ、一般の人間にコントロールできないような空間を経済界や政治がどんどん作ってしまっているからである。

事実、社外取締役等を見れば、これらは既存の経済界のすでに高い金をもらっているものが、さらに情実人事のようにポジションをもらい、さらに稼ぐようなものなわけだ。権力に近い人間たちのお手盛りのようなものである。今の社会構造、経済構造に乗った儲けの高いものたちが経済会と言うお仲間の中でぐるぐる利益を回してるようなものだ。

その仕組みの複雑さ、煩雑さによって一般の人を排他していくわけであるし、一般の人には永久にお声がかかるようなきっかけは存在しない。
多少乱暴に喋ってみたが もう少し別の言い方をすれば、それらの仕事は、新自由主義者が好むような言い方を使えば、「本当に市場の中で価格形成(報酬額形成)がなされているのか?」需要に手を挙げるプレイヤーは既得権的な経済空間上層部であり、一般の中間層以下の市民には参加できない市場なのである。
さてそんな人々に、どんな正統性があるのであろうか?新自由主義者達にこそ聞いてみたい。

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