見出し画像

アナキズムノート

アナキズムとは実践的夢想家であり攻撃されない限りの非暴力主義者であるとここで定義する。
では 何を考える人々か?
とりあえずまず、目次式に列挙してみる。
今の世の中の形、自分の生活する様式がこの形以外にありうると知っている。
どのようなことであれ、他人から、意見されるのは良いが命令されること、特に、尊敬もできないような輩に従わねばならないような、そしてましてやそれがある期間続くような社会形式、マルクス的に言えば、生産関係の中では行きたくないとおもう。
そのような世界、社会は、変えられるし変えたいと思っている。
物象化。
日々の属領化。
過程が解放された者でなければ結果が解放されたものとなってもそれは偽善である
なぜならそれはいつか真正な権力→支配を産む、によって完全に保証されることはあり得ず、人生において日々、権力の隙間に新しい属領を築き、逃避退避することで当該権力を骨抜きにしてゆき作戦だからである
日々が感性的に充実した 戦い というより 楽しき実践だからだ

信長が偉いという感性は侵略的植民地的発想である
朝倉は天下布武など思いましなかった 村落の中で平和的に完結しようとしているものに、何の根拠もなく襲いかかる

アナキズムの最大の敵、論理的にも難物は、こうした侵略的心性を持つ人間、組織があるということだ それは、個人的変異であることもあるし、資本主義の持つ競争性であることもある

人類の不思議はどんな残虐な人間でも生まれたての我が子には放置せず、食物や生存の環境を与える手間を取るということだ
社会関係がどうなっても 種が続くことを誰も面倒とは思わず、そのためには
その子、その人のために働くという 驚くべき特性がある 言い換えれば どんな 高度?な社会となってもその基底に、原始?関係が必ず存在するという社会の規定があるということである そうでなければその家族種族は 物理的に存在しないというジレンマがあるわけだ

格差 支配なき関係を求めるアナキスト
日々の支配関係の中でも 細かな自然な 反抗?はできる
会社の中での理不尽に対し、いかの理不尽を低減化させようとするか
それを共有しようとするか
その暖かな精神を自然に広めるか

交換交流の技術の現代のような高度化により、支配の生産関係の外に出てゆくことも容易になった そこでの新しい関係を自分たちで作ること 
ただ税という国家機能からだけは逃れることができない

そこは選挙権付きのゲーム代と考え、ゆっくりだが既存権力を内側から変えてゆくように思うか

さて問題は 支配を嫌う人間に権力が暴力で支配を被せてくるときである
逃げることもさせないときである
アナキストは暴力を正当化できる
ゲリラ的に戦わねば意味はない

香港 ロシア。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?