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研究の雑記 vol.1

「生命の時間」を感じたかった。

わたしはヒトで、あなたは〇〇。どうしても違う。異なることの尊厳。
と同時に、わたしたちはたちは同じ「生命の時間」を生きている。
わたしはそれを感じたくて、ここまでやってきた。

エコツーリズムというパッケージ以前のところ。わたしたちヒトと〇〇とで異なっているのだけど、関わりの「あわい」がある。異なることに敬意を表しながら、関わりの「あわい」にわたしは立ちたかった。

その「あわい」のフレームには、必ず、そこで生きる人々が入っている。

修士課程の研究は、生き物としての〇〇に生で関わり続けてきた人々と、手探りながらコミュニケーションを取ることだった。彼らのことを知ろうと1歩踏み出したことは、わたしにとってとても重大な一歩だった。彼らの隣りで歩みを進めていけば、いつか、日本に生活していては想像することすら難しいであろう、ヒトと〇〇の「あわい」での対話の様を知ることができるかもしれない。

海の生き物は、陸の生き物と比べてさらに遭遇することが難しい。ヒトは肺呼吸をしなければならない。
地球を青色たらしめている海は、憧れの、好奇心高まる、畏れの場だ。けれど、海で暮らす人々(海洋民)や海のすぐそばに暮らす人々(沿岸民)でなければ、海とダイレクトに関わり合う機会は少ない。
ヒトは、海と近しい人々の存在抜きにしては、海の生き物を知ることができなかったと言うこともできるだろう。

「海洋生物の多様性」を論じるというのであれば、海洋民や沿岸民を主人公にせずしては成立しないであろう。スタート地点はここでなければ。

長期フィールドワークでの一番大きな気づきは、この当たり前の事柄かもしれない。

おまえは こぐまと あそんでいる
そっと 話しかけるように
そっと だきしめるように
おれも このまま 草原をかけ
おまえの からだに ふれてみたい
けれども
おれと おまえは はなれている
はるかな 星のように
遠く はなれている

星野道夫『クマよ』(1999)より一部抜粋

(2012/02/25)

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