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目の前のことをひとつずつ_博論日記(2023/12/03)

2024年1月23日の学位論文提出(目標)まで、あと50日。

朝バイトを終えて大学にやってきた。誰もいない研究室でお湯を沸かす。静かだ。
昨日は学会のシンポジウムに参加していて、自分の興味関心ど真ん中の発表を5題も聞き、楽しくてとても興奮した。終わってからの懇親会にも参加、気合いを入れて緊張をひた隠し、たくさんの人達とお話しした。おもしろい話をたくさん聞けて、参加して本当によかった。ただ、やはり飛ばしすぎたのだろう。帰りの電車で一人になった途端ガクッと疲れをおぼえ、よろよろと帰宅、カバンを置いてコートを脱いだ勢いでバタリと寝てしまった。生活の骨組みを守りきれなかった。

そもそも一昨日の時点でかなりダメージを受けていた。
ダメージひとつ目は、歯科で急ぎの治療が必要と言われたこと。この忙しい中、歯医者に通わなければならないという悲しみ、その原因が自分の過食・過眠にあるという情けなさ、歯を診てくれている歯医者さんと歯科衛生士さんの努力をいつも無にしてしまう申し訳なさがないまぜになって、落ち込んだ。
ダメージふたつ目は、もう手一杯なのに、ゼミ発表を22日にしなくてはいけないこと。ゼミ発表はゼミ生としての義務なので重要度が高いのは理解している。だが、今はタイミングが悪すぎる。1本目の査読論文の修正が12月半ばまでかかるし、2本目の査読論文の修正も開始しなければならない。あまりに厳しすぎる。22日発表の日程は事前に決まっていたのだが、一昨日まで(12月に入るまで)思考の外に追いやっていた。だが考える時が来てしまった。

というわけで、一昨日に下がり調子になって、昨日イベントで一旦盛り返したものの懇親会を経てどっと疲れ、今朝バイトをクリアして(えらい)、大学にたどり着き、湯を沸かしたという次第である。

日曜日の静かな研究室で、お茶をちびちび飲みながら、ゆっくりと日常に着地するためのチューニングを始めた。noteもそのひとつだ。
今日は今週のハイライトを報告する。

好きな景色

今週、聞き手のひとりとして参加した岸政彦編『大阪の生活史』が発売された。発売直前に、語り手さん用と自分用の2冊が筑摩書房から手元に届いた。

岸政彦編(2023)『大阪の生活史』筑摩書房

ずっしりと重い。X(旧Twitter)に書いたことそのままだが、その重み、厚みに圧倒される。パラパラとページをめくるだけのつもりが、引き込まれて読み耽ってしまう。みんな語り尽くせぬ人生を生きているなあと思うとともに、そう思えることは私も同じ人間で人生を生きているからであり、その共通の土俵に立っていることが際立つこのプロジェクトを「人間らしさ」そのものだと感じた。

それと関連して、以下、論理立てて書けるほどまとまっていないけれど、でも私にとって大事なことのような気がするので、備忘録として書き留める。

私は人間も好きだが人間以外の動物も好きだ。人間以上に好きかもしれない。でも自分の好きな動物を思い浮かべて、例えば仮にケープハイラックスとしよう、その1頭1頭のケープハイラックス生を聞き取ることは人間である私にはできない。私はケープハイラックス生を生きているわけではない。
私はつくづく、人間なんだなあと思う。彼らと共通の土俵に立てないからこそ、「わかりたいから試行錯誤する、わかるようなお話(説明原理)を作る、わからなさに尊さを感じる」ということがあったり、食用はじめとする利用をしたり、彼らに「なる」ための儀礼や儀式・作法といったものがあったり、生物学的アプローチがあるのかもしれない。
私は動物誌が好きなので、例えばもしタンザニア・セレンゲティ国立公園の1頭1頭のケープハイラックス生を『大阪の生活史』レベルで記述したものがあれば読んでみたいし、書き手になれるのであればなってみたい。けれど、それは彼らが語る言葉を聞き取って彼らの言葉で書かれたものではない。彼らと違う土俵に立つ人間の言語、立場で書かれものだ(人間は観察できても、聞き手にはなれない)。人間が人間の生活史を聞き、書くこととまったく質が異なる。
人間が人間だからこそ語りを聞くことが成立し、それを読みものにすることができ、そしてそれを他の人間は読むことができる。語った人、聞いた人と同様に人生を生きるものとして。そこに理解可能性の芽があるのではないか。

一方で、人間は人間以外の動物をいかに理解できるのか/理解できないのか。
人間は人生を、ケープハイラックスはケープハイラックス生を生きている。とて、「わたしたち」は同じ地球に生きている、ということはまず、とても重要だ。
環境主義、マルチスピーシーズ民族誌、アニマルウェルフェア、「人間から見て「美しい」種が優先的に保護され、動植物の見た目によって生態系を変化させている」という論点などなど、考えるべきことはたくさんある。大きな宿題だ。

編集さんが同封してくださった書籍発売の案内はがきを、3人の友人や先生に書いた

一大イベント、語り手さんに本をお渡しする日は、次の水曜日となった。どんなふうにおっしゃるか、今からどきどきしている。

そう、『大阪の生活史』の広告などには太陽の塔の写真が使われているのだが、たまたまシンポジウムの会場が国立民族学博物館だったので、太陽の塔を見てきた。12月に入ったということで、プロジェクションマッピングを用いたイルミネーションイベントが行われていた。

太陽の塔

キラキラときらめいて綺麗だった。だったのだけど、でも、太陽の塔を真に引き立たせられるのは自然現象だけかもしれないなあ、などと思いつつ、人混みを後にした。

最後に今日のトップ画について。やることたくさんあるけど「目の前のことをひとつずつ」の意味で、今自分のいる場所の目の前の景色を写した。
ひとつずつ、ひとつずつ。
投稿論文通るか、ゼミをクリアできるか、歯は治るのか、博論提出にこぎつけられるか、就職活動をいつ始められるのか。不安はたくさんあっても、目の前のことをひとつずつ片付ける。

<To Do>
・投稿論文1:修正(12月14日〆切→31日に変更)
・投稿論文2:修正(12月17日〆切)
・ゼミ発表:12月22日
・システマティック・レビュー:二次チェック中
・博論本文:
 1月23日学位論文審査請求(学位論文提出)※製本版提出は2月27日
 (予備審査をクリアできなかったので意味をなさないが、ペースマーカーとして)





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