結束バンドは続くよどこまでも 『ぼっち・ざ・ろっく! Re: Re:』
『劇場総集編 ぼっち・ざ・ろっく! Re: Re:』を見てきた。
非常に良い仕上がりで大満足。金曜の映画公開日の夜に一回。そして月曜の朝にもう一度見てきた。
以下、ネタバレ注意。
主人公・後藤ひとりは、伊地知虹夏との出会いをきっかけに憧れだったバンド活動を始める。前編『Re:』はひとりが、誘ってくれた虹夏へギター演奏という形で感謝の返信(Re:)を送る物語だった。今思うと、映画の始まりと終わりがひとりと虹夏2人の会話シーンになるように構成し直したのは、この2人の関係をメインに描くことを際立たせるためだったのかもしれない。
対して後編『Re: Re:』。喜多郁代と後藤ひとりの関係性を主題に置いた物語なのは間違いない。濃厚なぼ喜多。
映画冒頭、喜多ちゃんが虹夏とリョウ2人にお詫びのメールを送るシーンと初ライブ2曲目でひとりの人を魅了する演奏に驚き瞳を揺らすシーンが追加された。この時喜多ちゃんがバンド活動を続ける理由に「後藤ひとりを支える」が追加されたのだろう。
そしてそのまま、テレビや原作マンガでも描かれていない3曲目として、OP曲『ドッペルゲンガー』が流れ出す。その手があったか……。
ライブシーン以外、OPの新規カットでは自室でゴロゴロするだけの後藤ひとり。それでいいのかきらら主人公。
喜多ちゃんがひとりの演奏に驚き戸惑ったことを表す瞳の揺れ。文化祭ライブの出演用紙を代わりに出してあげたと、嘘をついた時のあらぬ方向を見る目の動き。そのことを謝る時、ひとりに向き合う目。初めて「ひとりちゃん」と呼べた時の優しい目。TVアニメ版では気づけなかった、喜多ちゃんの細かい目の演技に気づく。細かいこだわりを感じる。
喜多ちゃんに手を繋がれて「あの喜多さん、手、手、手っ……」と戸惑うセリフが追加されていた。歯の浮くようなセリフを言えたり、メイド服で校内を走り回れる謎の度胸はあるクセに、ちょっと人に触れられるだけでひよってしまう。陰キャってそういうとこあるよね。
『Re: Re:』とは、喜多郁代から後藤ひとりに宛てた感謝、そしてこれからも支え続けていくという決意を伝える返信だと読んだ。誰とでも打ち解ける明るい性格でありながら、バンドから逃げ出しそのことを謝罪すらできなかった臆病な喜多郁代はもういない。
問題のラストシーン。アニメ版では『転がる岩、君に朝が降る』のイントロが流れ出すタイミングでは何も流れず。代わりに電車の中で時間が巻き戻るような逆再生演出が始まり、その後に『Re: Re:』が流れ出す。映画タイトルに『Re:Re:』なんてつけるんだから、そりゃカバーしないわけない。
「あれ?『転がる岩』が流れ出すはずのタイミングで音が聞こえてこないぞ……?」 → 「なんだこの逆再生演出!?」 → 「あれ、聞きなじみないイントロが流れ出したぞ……」 → 「うおおお『Re:Re:』だあああ!」と、見事に三井律郎の手の平で踊らされた。パンフを見るに、そう思われるよう意図的に作ったらしい。
結束バンドという居場所が出来て、文化祭ライブで注目を浴びたとしても、ぼっち気質な自分は変わらない。今日も痛々しい過去を「掻きむしって、忘れない傷をつけ」続ける。けれども、掻きむしるのは暗い自室の押し入れの中ではなく、動き続ける電車の中で。物語の始まりと変わらず傷は痛むが、それでも動き続けられるようにはなったのだ。
アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」、そして結束バンドは今やアニメの枠を飛び越え、長く続く人気音楽コンテンツに昇華した。実際来月からは全国Zeppツアーが始まる。だから、TV放映版同様に「今日もバイトかぁ」とピリオドを打つことはない。結束バンドの物語はこれからも続いていく。
なんとか、未確認ライオット編まではアニメ化してくれないかなー。
映画は1回目を新宿バルト9で、2回目を立川シネマシティの極上音響上映で視聴した。立川シネマシティは、ガルパンを狂ったように公開しつづけていたことで有名な劇場。
噂に聞いていたが、凄まじい音響であった。ライブハウスにいるかのような臨場感のある音楽はもちろんだが、印象に残ったのは効果音。ぼっちの妄想文化祭ライブでスパークラーが放出される音。ぼっちがステージ上でカップ酒をつかんだ時に鳴った、カップと床がぶつかる音が響いた時は思わず笑ってしまった。
来場者特典でもらった色紙は「リョウ喜多」と「虹喜多」。こんなところでもハブられたぼっち……
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