noteはSNSで脊髄反射しないための訓練になる?

ほぼ毎日noteを更新し始めてから約一ヶ月。自他ともに認める「ツイ廃」(ツイッター廃人。一日数100ツイートしていた)だった自分が、ほとんどツイートしなくなり、代わりにnoteで1000文字弱の文章を書くようになるとは思ってもみなかった。

noteを始めたきっかけは色々あるのだが、一番大きいのはSNSに疲れたこと。次々流れてくる刺激的な情報と、それに過激な反応を示すフォロワーを見て、「ああ、これ以上ここに居続けたら狂ってしまうな」と感じ、SNSから距離をおくことにした。

なんでもかんでもツイートしてきた、10年以上のTwitter生活は自分を変えてしまっていた。思ったことを文章にしないと、気持ち悪さを感じるようになっていたのだ。考えていることを文章にする場がほしい。でもSNSからは距離を置きたい。どうせだったら、書いた文章を人に読んでもらいたい。それで選んだのが、noteというプラットフォーム。

一ヶ月投稿を続けていると、何か思いついたらまず「これはnoteで記事にできないか?」と考えるようになった。実際、今の私が使っているメモアプリには、まだ記事になっていないアイデアの種がたくさん眠っている。そして、メモの中からこれは膨らませられそうと思ったネタを記事にして投稿している。ツイ廃だった時期、どうでもいいことも全部ツイートの形で外に吐き出していたのとは大違い。

情報の伝達速度が、ドンドン早くなってきている昨今。より早くニュースに反応した者が評価されがちだ。広告・宣伝のように、多くの人にいち早く知ってもらいたいモノがある人にとっては良い時代なのだろうが、やはり悪い側面のほうが目立つ。正月の能登半島自身の時、デマがあっという間に拡散して、本当に広めるべき救援情報が埋もれてしまったのは記憶に新しい。

noteは、そんな速度第一の時代に逆らい、見たこと・聞いたこと・感じたことに脊髄反射しないための訓練になるかもしれない。少なくとも私は、インターネット上で何か発言する前に「これは本当に今言うべきことか?」「その言葉で合っているのか?」って考えられるようになっている。



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