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日本バレエ協会「パキータ」全幕レビュー

2024都民芸術フェスティバルにて。
バレエダンサーの友達が出演した舞台!!!!!
出演する舞台は必ず教えてもらって観に行ってる。
今回もよかった。
なんと「パキータ」の全幕は日本では初公開らしい。
歴史的瞬間に立ち会えて嬉しい。
いつも通りストーリーを中心にレビューを書く。
ではさっそく。

原作はセルバンテス「ジプシー娘」。
物語を一言でまとめるなら、
「ジプシー娘のパキータと、高貴なフランス人のリュシアンによるシンデレラストーリー」だ。
身分違いの恋というのは舞台では定番。
詳しく内容を書いていく。


ポスター

【プロローグ】
19世紀初頭。
ナポレオンの支配を受けたスペインにて。
スペイン南部の小さな町でジプシーの少女たちがジプシーの女性に踊りを教わっている。
(ジプシー女性にとって踊りは生業なので稽古を欠かさない)
そこに来るフランス兵。
ジプシーたちは舞台下手に隠れる。
舞台上手からは盗賊が来る。
この盗賊たち、どうやらお金持ちから金品を奪って赤ちゃんまで強奪したらしい。
(公演プログラムによると、金品強奪・夫妻殺害・赤ちゃんを人身売買目的で拉致とのこと。容赦ないな)
盗賊たちはフランス兵に気付き、あわてて盗んだ服飾品を身に着けて高貴な人間を装う。
フランス兵の前を通過していくが、赤ちゃんだけは近くにあった果物が入ったカゴの影に隠して置き去りにした。
盗賊もフランス兵も去っていった後、ジプシーたちが帰ってくる。
そこで盗賊たちが置き去りにした赤ちゃんの存在に気付いたのだった。
赤ちゃんはどうやら高貴な生まれであるらしいことがわかる。
立派なメダリオン(肖像画入りのペンダント)が首にかかっていた。
ジプシーたちはこの赤ちゃんを「パキータ」と名付け、育てることにする。
(公演プログラムによると、19世紀初頭のスペインにおいて、犯罪となると真っ先に疑われるのはジプシーたちだったという。ジプシーは差別の対象だった。正直に立憲に申し出ても誘拐窃盗罪の加害者に仕立てられてしまうとわかっていたので、ジプシーたちは赤ちゃんをフランス兵には引き渡さず、自分たちで育てることにした。時代背景が物語のきっかけに説得力を持たせている)

【第1幕】
それから十数年の時が経った。
フランス軍の将軍デルヴィリ(中村一哉さん)が統治下のスペインにやってくる。
デルヴィリには非業の死をとげた弟がいた。
今日はその弟をたたえる祭りの日。
デルヴィリに随行するのはドン・ロペス(保坂アントン慶さん)。
ドン・ロペスはフランス侵攻以前、このスペインの町で最高権力者だった。
今はデルヴィリの方が偉いので、デルヴィリに気に入られようとしている。
しかしデルヴィリはドン・ロペスよりも、同じフランス人のリュシアン(浅田良和さん)をひいきにしているのだった。
当然ドン・ロペスはリュシアンに嫉妬している。

デルヴィリたちが来たことを歓迎するためにジプシーたちが広場で踊り出す。
その中にはジプシーのリーダーの男イニゴ(二山治雄さん)と、ひときわ美しいパキータ(吉田早織さん)がいた。
イニゴはパキータに熱烈な恋をしている様子。
ところがパキータはイニゴを拒絶している。
踊り終わるジプシーたち。
イニゴは自らの帽子をパキータに渡し「チップを集めてこい」と命じる。
パキータは踊りを見に集まっていたフランスやスペインの貴族たちにお金を乞う。
その時目が合ったリュシアン、なんとパキータに一目ぼれ!
それに気付いたイニゴはパキータに怒る。
険悪になった二人の間に割って入り、リュシアンは大金をイニゴに握らせる。
この三角関係のやりとりが全幕を通してコミカルで面白い。

パキータはリュシアンに「ジプシーとして育ったけどお父さんのこともお母さんのことも知らない」と打ち明け、「両親を知る手掛かりはこれしかない」とメダリオンを見せようとする。
ところがメダリオンをイニゴに奪われてしまう。

恋の三角関係に気付いたドン・ロペスはイニゴに「リュシアンを殺そう」と持ち掛ける。
ドン・ロペスにとっても、デルヴィリに気に入られるためにリュシアンは邪魔なのだ。
さっそく計画を立てる二人。
イニゴはリュシアンに「パキータがお前に会いたいらしい。俺の家で待っている」と誘う。

【第2幕】
イニゴの家に果物を届けたパキータ。
その時、部屋にイニゴと仮面の男(もちろんドン・ロペス)が入ってくる。
パキータはただならぬ空気を感じてとっさに物陰に隠れる。
二人はリュシアンの暗殺計画を相談し始めた。
内容は、睡眠薬入りのワインをイニゴがリュシアンに飲ませ、寝ているところを仮面の男が短剣で刺すという。
「暖炉に秘密の通路があるから、リュシアンを殺したらここから逃げてください」
イニゴはドン・ロペスに秘密の通路の開け方を教えるのをパキータは見ていた。
パキータは部屋から脱出してリュシアンに知らせなければと思うが、イニゴに見つかってしまう。
そこに来るリュシアン。
睡眠薬入りのワインをすすめるイニゴと、リュシアンに殺害計画を伝えようとするパキータの無言の攻防戦がコミカルに演じられる。
最終的にパキータはテーブルから床にパンを放り投げて二人の注意をそらし、イニゴとリュシアンのワイングラスを交換する。
状況を理解していないリュシアンに「寝たふりをしろ」と必死に伝えるパキータ。
言われた通りにするリュシアン。
イニゴはリュシアンが策にかかったと思って喜ぶが自分が寝てしまう。
パキータがグラスを交換したので睡眠薬を飲んだのはイニゴの方だった。
パキータはイニゴに奪われたメダリオンを取り返す。
ドアにはカギがかかっていたけれどパキータが「暖炉に隠し通路がある!」と言ってリュシアンと共に脱出する。
入れ違いに、ドン・ロペスが来る。
部屋には寝ている男が一人。
正体はイニゴだが、リュシアンのマントをかぶっていたために(パキータがかぶせた)、ドン・ロペスはイニゴを刺殺してしまう。
悔しがるドン・ロペス。
短剣の血をハンカチで拭って部屋を出ていく。

場所がかわって、デルヴィリ将軍の館では舞踏会が開かれていた。
そこにリュシアンとパキータが走ってくる。
デルヴィリはひいきにしているリュシアンから「何者かに殺されそうになった」と聞いてびっくり。
「パキータが助けてくれた」と聞いてデルヴィリもパキータに感謝する。
リュシアンはデルヴィリに「パキータと結婚したい」と言うが、
デルヴィリは「ジプシー娘だろ? 身分差があってダメだ。リュシアンにはもっと高貴なお嬢さんじゃないと」となる。

その間にドン・ロペスが再登場。
舞踏会に招待されていたらしい。
パキータはドン・ロペスを見て、イニゴと話していた仮面の男ではないか!と気付く。
ドン・ロペスは血のついたハンカチと仮面を持っていたため逮捕された。

騒ぎの中で、パキータは壁の肖像画に目をとめる。
「私のメダリオンの中の肖像画にそっくり……」
メダリオンを見るパキータ。
そばに寄るデルヴィリ夫人。
なんとデルヴィリ夫人も同じメダリオンを持っていた!
二人の肖像画に描かれていたのは同一人物。
デルヴィリ将軍の弟だ。
パキータの正体は、十数年前に盗賊に殺されたデルヴィリ将軍の弟の娘(プロローグの赤ちゃん)だった!
行方不明だった姪が見つかったデルヴィリ将軍は大喜び!
もちろんリュシアンとの結婚を許して祝福した。END

公演プログラムを読んだところ、演出補のリアン=マリー・ホームズ=ムンローさんの言葉が興味深かった。
「パキータ」には「占領」「抑圧」「殺人」「復讐」という要素が散見されるけれど、「友情」「愛」「文化的アイデンティティとコミュニティ」の物語だ。
この作品で描かれるのはジプシーの豊かな文化。
ジプシーに育てられたことで力強い少女になったパキータ。
他、登場人物たちの奥深い個性だ。
意志強固&勇敢なパキータ。
無鉄砲だけど誠実なリュシアン。
暴力的だけど恋に悩むイニゴ。
嫉妬深いけど自尊心が強く屈辱が許せないタイプの男ドン・ロペス。
尊大だけど思いやりがあるデルヴィリ将軍。
情熱的だけど堅実でもあるジプシーたち。
面白いストーリーには真実味(人間味)のある魅力的なキャラクターが不可欠だ。
これを読んでいっそう「パキータ」が好きになった。

調べると「リュシアンはデルヴィリの息子」と書いてあったりするんだけど、今作の公演プログラムにはそのような記述がなかったので「ひいきにしている部下」くらいのイメージでまとめた。
いろんな版があるんですかね。

そして全幕を通して感じるジプシーに対する差別意識。
そもそも「ジプシー」が差別用語なので呼称としては「ロマ」がいいらしいけど、文学? 芸術? としてとらえると「ジプシー」を使った方がいいかなという気がしたので表記は「ジプシー」で統一した。
パキータはフランス人の娘だったけど、育ての親はジプシーだし、自分もジプシーとして育ったわけで「親がフランス人」とわかった瞬間「やった! 私ジプシーじゃないっぽい!」と喜べたのだろうか?
真実を知った時のパキータの心情表現は「リュシアンと結婚できて嬉しい!」しかないけど、もっと葛藤があるものではないか?
……と思うのは私が現代の日本人だからか。
ジプシーへの差別意識の強かった時代・場所では「私ジプシーじゃないらしい!」で純粋に喜べるものなのか気になった。
結局パキータはジプシーの生まれではなかったからリュシアンと結婚できるというハッピーエンドも、現代の感覚では「完璧なハッピーエンド」ではない。
「ジプシーでもいいではないか! 差別を乗り越えて身分差結婚をしよう!」と終わってくれた方が「差別反対」の声が強い現代では好まれやすいと思う。
でもそうならないのが「パキータ」の、時代をとらえた良さなのだと思う。
ジプシーの差別は肯定されるべきものではないけど、「パキータ」の結末も修正されるべきではない。
こういうものが「不適切」とされたり修正されたりせずに現代でも生き残っていることに感動する。
歴史を保存してくれてありがとう……。
補足すると私の感じ方が「ジプシーへの差別意識にびっくりした」というものであって、この作品自体はジプシー差別の物語ではなく、むしろジプシー差別に異を唱える作品だと思ってる。
現代日本に生きる私にとっては「ジプシーを差別すること」自体が縁のないことなので、それに「異を唱える」作品が誕生しなければならない時代背景を想像してちょっと心痛めた。

身分差の恋というのは喜劇でも悲劇でもドラマチックになる。
たとえば喜劇だと「シンデレラ」とか「ウィキッド」(参考:劇団四季「ウィキッド」レビュー|青野晶 (note.com))もそう。
悲劇だと「マイヤーリング(うたかたの恋)」(参考:宝塚花組「うたかたの恋」レビュー|青野晶 (note.com))とか。
「身分差」を「敵対するコミュニティ」に置き換えるなら、
「ロミオとジュリエット」「ひかりふる路」「1789」もドラマチックな名作だ。
こうして書いていると舞台映えするテーマとか人間関係とか心情ってある程度決まってるんじゃないかという気がしてくる。
そういう論文あるかな?
あったらとても読みたい。

美しいジプシー娘との恋を描く物語の傑作には「ノートルダム・ド・パリ(ノートルダムの鐘)」もある。
(参考:ディズニー「ノートルダムの鐘」レビュー|青野晶 (note.com))
ジプシーの女性は創作の世界で美しい舞踏家として描かれることが多いような。

「ジプシーは差別の対象でありながら魔的に美しい」という設定(事実?)が創作に良いスパイスを効かせてくれる。
歴史的な背景を感じるし、創作された当時は「時代の最先端」の空気を持っていたんだろうな。
物語として面白いけどちゃんと文学だ……。
よくまとまってて面白かった。


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