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LA LA LAND シネマコンサートレビュー

作曲家本人(ジャスティン・ハーウィッツ)が指揮。
豪華すぎる。
ジャズ演奏はアドリブを入れてた。
「ラ・ラ・ランド」がなぜ傑作かという話は数日前に2,600字以上打ったので
(実はほぼ書き溜めだけど)
今回は簡単に書こう。
前回の↓
LA LA LANDはなぜ傑作か|青野晶(@aono_akira0614) (note.com)
 
ミアとルームシェアの友達で歌うsomeone in the crowdに深い意味を感じた。
ミアにとってsomeone in the crowdであるセブとの出会いを予感させる一方で、その後の展開をあわせて考えてもミアもまたセブにとってのsomeone in the crowdなのだなと感じる。
そして恋愛的な意味だけでなく、ミアは女優としてもsomeone in the crowdなのだ。
「集団の中のなんでもない1人」が、
「集団の中で特別輝く1人」になる物語。
 
クリスマスソングをバーで弾いてたセブ。
しかし自分の曲を弾き始めたところでミアが足を止めてくれる。
セブがミアにとってのsomeone in the crowd(特別な1人)になった瞬間。
ここにつなげるの天才。
セブは自分がsomeone in the crowd(多くの人に埋もれる1人)だと思ってるから自分の曲を弾きたくなったのだと思う。
誰かに好かれるための曲じゃなくて、自分のための曲を弾きたい。
その叫びがミアの心に触れて、2人は互いの「特別な1人」になる。
 
「ミアがグレッグのデートを抜け出してセブの元に走る場面と、
セブがミアの舞台を観る約束を破って仕事を優先する場面は対比関係にある」
と妹が言ってて、そんな解釈があったか…と思った。
2人の性格や価値観の違いというのがよく出ていると思う。
 
キースの音楽は私は「セブが好きじゃない流行曲」と思っていたけど、
妹が言うには「革新的ジャズ」らしい。
セブが守りたい伝統的ジャズではなく、
それをぶち壊して大衆に好かれることに重きを置いたジャズ。
「だからお金のためにそれを演奏するセブのことがミアは許せない。
セブは女優としてなかなか芽の出ないミアに『大衆に好かれようと思うな』とアドバイスしてきた。
ミアはそれに励まされて努力してきた。
それなのに言った本人が大衆に媚びた演奏をしてる。
これが喧嘩の原因になる。
ただの男女の考え方の違いによるすれ違いを描いているわけではない」
なるほど。
 
ミアの1人芝居「さらばボールダーシティ」のボールダーシティとは、
ミアの故郷のことだ。
故郷に別れを告げて夢に突き進む。
そんな意味をこめただろうに、
ミアはこの芝居を終えた後「何もかも終わり」と故郷に帰る。
それを連れ戻すのがセブだ。
ミアが女優を目指すことになったきっかけは女優のおばさんと図書館で映画を見たこと。
それを覚えていたセブはボールダーシティの図書館に行く。
セブはそこでミアと再会し、ミアを再出発させる。
 
ミアがオーディションで歌う曲はthe fools who dream。
初め聞いた時よく意味がわからなかったけど、今ならわかる。
ミアのおばも女優になるまでにとてつもない苦労をしたのだと思う。
それでもおばは諦めなかった。
どんな逆境にも折れないその姿にミアは憧れて、
自分もそうやって挑戦していこうと思っている。
それを比喩的に示す曲だ。
この面接がきっかけでミアは女優としての一歩を踏み出す。
 
コンサート後に入った店でバスクチーズケーキを食べながら
「エンドロールのトランペットがすごい」という話になった。
妹によると「ビブラートかけながら空気と音を混ぜるような音(倍音)。
響かせる演奏方法」らしい。
あんなにホール広いのに耳がびりびりした。
 
「誰かに好かれようとしないで、自分の目指す道だけを信じよう」
という強いメッセージを感じる作品だった。
ただの「恋愛あるある」にとどまらない魅力ある作品だと思う。
とてもよかった。
 
#ララランド
#シネマコンサート
#lalalandinconcert

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