セルフレジに私の値段を聞いてみたい 11

初めから読む→セルフレジに私の値段を聞いてみたい 1|青野晶 (note.com)
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■星野結(7)

山本美咲の誕生日の夜にようやく「誕生日おめでとう」のメッセージを送信できた。帰りの電車が止まらなければ、そんなことはしなかったかもしれない。……いや、関係ないか。電車が止まっても止まらなくても、このプラネタリウムにたどりついてもたどりつかなくても、結果は変わらなかった気がする。

もう山本美咲とは会ってはいけない。考えたらいけない。そう思っていたのに、山本美咲の誕生日はいつも、あの科学館の日のことを思い出してしまう。あの時耳にした「六月十四日」という日付が、記憶にしみついて消えない。

二周目の嘘つき座神話を見終えると、星野結は速水くんから、星野結に戻っていた。プラネタリウムの天井にはりつけられたまま。星野結の隣では、四つの小さな星が、四角形を作って瞬いていた。

「山本」

 星野結は嘘つき座にそう呼びかけてみる。小さなネオジム磁石のように輝く星々は、呼び声に答えるように明滅していた。

「さあ、君の星座神話ももうすぐ終わりだ。君は、その身体をこの宇宙のどこに留められることになるか、わかるね」

 ドームの底から、館長の声が問いかけてくる。暗くて周りがよく見えなかった。星野結はプラネタリウムの柔らかい天井に半分埋まったままでいる。両手と両脚を、星々がドームにつなぎとめていた。やがて少しずつ、目が暗闇に慣れてくる。

これが、現実世界での、最後の記憶になるかもしれない。

星野結は覚悟を決めた。答えを誤れば、プラネタリウムの星空で、星野結は新しい星座として輝き続けることになるのだろう。もしそうなるとしたら。

俺は何座として、どこで光を放てばいいだろう。

息を深く吸い、瞑目する。星野結はしばらく考えて、まぶたを上げると、プラネタリウムの舞台に立っている館長の方を見た。

「山本のところへ行きます。薔薇星雲に。サンカクの中の、いっかくじゅう座の四角の先にある、薔薇星雲に、俺の星座を架けてください」

次の瞬間、薄い硝子が割れるような高い音が響いて、プラネタリウムいっぱいに薔薇星雲が映し出された。一瞬、星野結は、自分の身体が青白く発光するのを感じた。ここは寒い。星は生々しいほどに鬼気をまとっていた。暗い。しかしこの深い闇の向こうに、星野結はひとつの人影を見つけた。誰かが、リクライニングシートに深く背を預けていた。

星野結をドームに張り付けていた星々は流れて、星野結はドームの底に落ちた。誰かがいる。隣に。このプラネタリウムに来た時、星野結以外には誰もいなかったはずだ。それでも星野結には、その人が誰なのか、すぐにわかった。

 

■山本美咲【17】

赤いレーザーポインターがちかちか瞬いて、私は目を細めた。眩しい。

「皆さま、嘘つき座の右手に打ち込まれた星をご覧ください。ここに小さな星がたくさん集まっていますね。これをつなげていくと……ご覧のように、手のような形になります。左手座です。左手座の少し離れたところ……(レーザーポインターの赤い点が移動する)ここにあるのが、ガウス加速器座です」

 館長はプラネタリウム前方の舞台に立ちながら、このプラネタリウムにしかないという自慢の星座の成り立ちについて語った。

「ガウス加速器座で弾かれた鉄球がひとつ、衝突に耐え切れず砕けています。この鉄球の破片が散らばってできたのが、左手座です」

 レーザーポインターが、私の方へ帰ってきた。くるくる赤い線が、繰り返し円を描く。

「セルフレジに左手首をかざす、嘘つき座。ところが嘘つき座はセルフレジの画面ではなく、右手をつかむ誰か……そう、左手座を見ているようです。実は今ご紹介した星座はすべて、なんと地球から五千五百光年も離れているんです。今届いている光は、五千五百年前の光なんですね。たとえ星がなくなっていたとしても、私たちがそれに気付けるのは五千五百年後です。嘘つき座も、本当はもう宇宙のどこにもないのかもしれません……。これで、嘘つき座神話はおしまいです。ありがとうございました」

 舞台で深く礼をした館長は、ゆっくり闇へと消えていった。プラネタリウムの非常口がぱっと光を散らした時、私はプラネタリウムのリクライニングシートに深く背を預けていた。頭上を見上げると、白銀の流星が一筋、円を描くように流れていった。あれは、ガウス加速器座だ。

落ちてきた流れ星の光の尾がすうっと消えた時、誰かが、私の隣に落ちてきた。落ちてきた? そうとしか言えないような方法で、彼は現れた。

「山本。おい。さっさと出るぞ」

 懐かしい声、と思う。眠ってなんかいないはずなのに、私は五千五百年ぶりに目覚めた気になった。

 プラネタリウムのドームには一面の薔薇星雲が輝いていた。花弁を象る、靄のような赤い光。星の燃える音が聞こえる。でも、ここはとても寒い。

「速水くん?」

「寝ぼけたこと言ってんなよ」

宙に浮かび上がった背の高い人影は、肩をかすかに震わせて笑った。

「……何座?」

「俺は二月生まれだから、うお座」

「ちがうって」

私が両目をこすると「なんでだよ」と星野結は笑った。

私は立ち上がり、出口を探す。あたりを見渡すと、向こうで両開きのドアが少しずつ放たれていくのが見えた。四角く区切られた白い光が広がっていく。

お出口こちらです。どなたさまも足元にご注意くださいますよう……。

私は歩き出した。星野結が来て隣に並ぶ。肩と肩がぶつかって、こんなにも近くにいられるのは初めてかもしれない、と思った。思ったら、たったいま鼓動の仕方を知ったみたいに、胸が熱くなった。歩調が揃う。左手首を見たけれど、商品バーコードはもうない。確かに刻み込んだはずなのに。いくら見つめても浮かび上がってこなかった。

っと、あぶない。段差。転びそうになったその時、まばゆく温かい左手座が、私の右手を掴んだ。

「ちゃんと前見て」

星野結は私を引き上げ、いっかくじゅう座の四角へ、いや、プラネタリウムの出口へ歩いていく。

私は現実の地面を踏みしめ、今、その手を握り返した。

<了>

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