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第2章_憧れの世界に飛び込んだ話

好きなことを追求するって、幸せしかないと思ってた。

こんなに厄介な道を歩くとは、思わなかったの。

でも、この経験を踏んだことで幸せは自分で道筋をつけなくちゃって、知ることができたよ。

1.夢 に 触 れ た き っ か け

小学生の頃、劇団四季が学校で公演を見せてくれた。
その時から、きっと舞台という華やかな世界に惹かれていたのだと思う。

働きに出て、自分で収入を得るようになってからは、休日には各地で舞台を観るようになった。
大きな劇団から小さな劇団まで、誘われたらほぼ断ることはなかったように思う。
何度も足しげく通ううち、顔なじみになって友達の劇団のスタッフとして入ることも何度かあった。

友人知人が舞台に立つ姿を見て
「いつか私も光の中に立ってみたい…!」

そんな風に、思いを募らせるのだった。

2.年 齢 と い う タ イ ム リ ミ ッ ト

知人の舞台を観に行き、打ち上げにスタッフとして参加した時
「今度一緒に作品を作りましょう!」とオファーをもらった。

それをきっかけとして、とあるデザイナーが手掛ける作品のモデルを請け負った。
作品のイベントの手伝いを通じて、舞台やステージにも活動していくことを視野に入れているということで、ステージを踏む演者としてのオファーが来たのだ。

演者としてステージに立つのは夢だった。
でも、全く演技に触れてこなかったので夢のような話を二つ返事で受けたい反面、実力不足が明らかな中で飛び込むことに二の足を踏んでいた。

今回オファーを頂いた方と共通の知り合いの演者何人かに相談し「演じるという部分に対してサポートを得られるなら、飛び込んでみるのもいいんじゃないかな。年齢的に始めるならこのタイミングしかないよ。あおのさんが後悔しないように選んで。」という言葉に後押しされ、1年間、演者として活動することを選んだ。

3.未 熟 さ と 嫉 妬

私は舞台人としても、演技の実力も素人であり、なおかつビジュアルも芸能人と並び立つような光るものを持っていない。そのような人が、劇団旗揚げの友人というだけで、メインキャストとしての採用、オーディション無しで主役を演じることが決まったりと、外から見ればうらやましがられる立場に立ったことで、下積みからやってきた一部の人からやっかみを受けたり、「私が子育て中じゃなかったら、あなたの立場に立てたはずなのに、ずるい」と、嫉妬からそれまで舞台つながりの友人として付き合っていた子が離れたりと、実力不足の人材がいいポジションでスタートしたことによって、なかなかに面倒な環境を生んでしまっていた。

「子育てを選んだのは自分なのに、嫉妬でそこまで自分を見失って人にそこまで言っちゃえるのか…」と、夢に紐づく他者の感情に若干の面倒くささを感じ、この世界は感性が豊かな人が多い反面、感情の調整が効かないと厄介な事態を招いてしまう危うさがある世界なのだと、この経験から知った。

ただ、どんなことがあったとしても、舞台に立つと決めたのは自分自身だ。
どんな環境や状況でも、屈する気はみじんも起きなかった。

今後、どのような展開が待っていようとも乗り越えていくと、腹を決めた瞬間だった。

4.隠 さ れ た 罠 


当初、演技指導も団体の中で行われる予定だったが、ふたを開けてみれば脚本が本番ギリギリに上がる状態だったため、十分な稽古すらできない状況だった。

その中で、自分なりに台本を読み、イメージして稽古に臨み、ダメ出しから台本に注意するところを都度記入して直す、すべてを一回で覚えきれなかったので稽古後は読み直して次にはできるようにしていく。そういったことを繰り返しつつ、身体に覚えていった。

ダメ出しを吸収していくにも、基礎がない状態で学ぶのはとても難しく、成長が難航した。
ワークショップ等外部で学びたかったが、平日は仕事、終業後は深夜まで稽古、休日も稽古と本番で、全く時間が作れず、学ぶことができなかったからだ。睡眠時間は毎日3~4時間で日常を回す。そんな日々だった。

経験も実力もない上に、限られたお稽古時間の中で成長しきれておらず、周囲が納得いくレベルには全く手が届いていなかった。
そして、演者を始めて4か月に差し掛かる頃、お客様から気づかれない程度に、脚本に合わせた演技をさせてもらえない、シナリオが瓦解しない程度に、役を演じさせないという高度ないじめが始まった。

決まったシナリオに向けて話が進む。演出家から求められる演技をすると、外から見たら空回る。
そこを変えるために、役柄の範囲で相手に協力を求めるパスを投げるけれど、スルー。
だけど、外から見たらシナリオが崩れているわけではないから、話自体は一応問題なく進んでいく。

やりづらさが募り、意地悪されて迄ここにしがみついて続ける意味を感じず、事情を話したうえで引き継ぐ人を立てた上で、役も演者も降りようと一瞬考えた。

どんな展開がこようとも、乗り越えてやる。
そう思って取り組んでいたが、仲間のあんまりな態度に閉口した。

自分の実力を棚上げして文句を言える立場なのか、と思われるかもしれない。
けれど、やれるだけのことをやってもできないことに対して、それが明らかだとみてわかるのに、あえて意地悪をするという行動を選ぶ理由がよくわからなかった。

気に入らないから、いやがらせしてやろう。
俺はお前を評価しない。

そういう内心のくすぶりを、わざわざ本番という一歩間違うとやばい場面で行動に移す大人がいるのか?と、全く意味が分からなかった。舞台を壊すのは彼の本意ではないので、台無しにならない範囲で策を施して計算してやっていることはわかっていた。

悪意をぶつける役柄に私の役をはめるという彼の中のシナリオに織り込まれた自分の役を、どうにかして助けなければ。

卑劣な手に、屈するもんか。
脱落なんて、選ばない。

辞めるなら、彼の意地悪を原因にしてやめるのではなく、円満にやめるんだ!と決意し、一層尽力した。

5.予 想 外 の 展 開


そして、演者として舞台に立つようになって10か月が経過した。

相変わらずダメ出しの対応にてんやわんやしていたが、ようやく言っている意味が分かるようになってきて、お芝居が楽しくなってきていた。

同時に、隙間時間で見つけた演技指導をしている動画を見て、自分の足りない部分を学ぶことで、着実に少しづつ成長が外に見えるようになってきていた。

ここで、思わぬ展開が待っていた。
いじめに似た意地悪が、消えたのだ。

やっと演出にのっとり、脚本で描かれた演技をさせてもらえるようになり、のびのびと演技ができるようになった。

ある日の稽古の帰り、意地悪をしていた人から「一緒に帰らないか?聞きたいことがある」と、誘いを受けた。

彼の聴きたいことというのに心当たりはなかったが、私も彼の態度が変わった事や意地悪をしていた当時について聞いてみたくて、時間を共にすることを選んだ。

聴きたいことって?と疑問を投げかけるより先に、彼の問いの方が先に言葉になった。
「君はどうして、自分の演技がうまくなったと思う?」
「動画で演技の勉強をして、その成果が出てきてるんだと思う」
「それ以外に変わったことは?」
「うーん…いろんな人に演技を見てもらって、どうしたらよくなるか教えて貰ったからかなぁ」

どうやら彼がききたかったことは、私がどのように成長したか、という部分だったらしい。矢継ぎ早にかけられる質問は、どう上達したかの1点のみだった。
けれど、そこにこだわりがあり、多少の受け答えでは満足のいく答えを引き出せてないと感じたようで、角度を変えて同じ質問が飛んできた。

「僕は、それだけじゃないと思うよ」
「どういうこと?」
「これだけ早く成長しているのに、普通の努力だけじゃないと思う。君がどんなことをしてそこまで成長したのか、興味があるから聞かせてほしい」

そっか、私の成長スピードに一目置いたから態度が変わったということだったのか、と合点がいった。

彼の中で伸び悩む部分があり、私に相談を持ち掛ける意味でも声をかけたということが、よくよく話してみると分かってきた。

意地悪してきていたのに、自分が困ったら頼ってくるって、現金な人だなぁ、と、思った。私はこうした手のひら返しをする人が好きではない。
けど、困っている人を『困ったままにしておけばいい』というのも、ちょっとなぁ、と思う。

自分で力になれるなら頼ってくれたことに応えれることなら、応えたい。

蓋を開ければ5時間以上、彼に付き合っていた。

彼が前に進む何かが見つかっていたらいいなぁと、思う。

6.究 極 な 自 己 満 足 の ス テ ー ジ

そして、それぞれがそれぞれの道を選ぶという形に変わることになり、現行の演者は全て退団という運びになった。

メンバーが円満に離れることになるまでの1年間をチームメンバーとしてやり切り、円満な形で晴れて卒業した。



ちょうど、上記のチームの卒業の時期と同じ時期に、とあるダンスのグループで1回きりのステージに立っていた。

偶然に募集していたダンスチームの選考に通り、普通なら1万人コンサート規模のセットを組んでもらい、そのステージに立てる権利が与えられ、各チームごとに大好きな衣装、大好きな曲を選び、照明はプロに組んでもらって、目の前の大きなヴィジョンには自分たちのパフォーマンスが映るという、空前絶後の豪華さを極めたものだった。

そんな究極の自己満足を叶えるステージって、後にも先にもないものだったと思う。
そのチャンスをつかめたのは、ラッキーとしか言いようがなかった。

綺麗なライトと、大好きな衣装を着てのパフォーマンス。
大きなステージ。
巨大ヴィジョンは、夏のフェスさながらのもの。

テンションは上がりまくりだった。

夢のようなステージを降りた時の
高揚感と立てた喜びと
終わった安心感と
が同時に身体をめぐり、その日は眠れなかった。

始まる前の心臓が飛び出しそうな緊張感も
パフォーマンスも
終わればいい思い出になる

今でもステージを前にすると、ドキドキする。

いろんなことがあったけれど
やっぱり好きな場所なんだろうなぁ。


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