色川武大 『うらおもて人生録』読者感想文

2019年10月4日信州読書会さん読書会の様子

『ラベルのない世界』

作者が子供の頃、「名前も知らない口も聞いたことのない大勢の人たちに関心をもつことを自然に覚えた」(「人を好きになること」〜「速効性とは別の話」の章)というところを読んだ時、私はちょうど電車に乗っていました。その時の心の中には悲しみが少しだけありました。ふと本から顔を上げて、電車の中にいる名前も知らない大勢の人たちを、一人一人真剣に丹念に眺めていると、さっきとは別の世界にいるような、自分の悲しみの中にある寂しさの部分がほんの少し薄らいでいくような感覚になりました。

これまで、他人を眺めたり周りの様子を伺う方でしたがこの感覚は始めてでした。私の心の中にはいつも古い薬箪笥くらいの無数の引き出しがあって、その一つ一つのなかにも細かい索引シールが貼ってあり、眺めて観察してはその引き出しに入れ、入れる引き出しがなければ新しく索引を作るという作業をしていたのでした。
その日電車の中で周りを眺め、ああ今自分が眺めているのはラベルの貼られてない世界なんだと思いました。
自分の身を守るためでもなく、他人を品定めするでもない、もちろん自分と他人の比較もない、ただありのままを眺めるだけの、概念のない世界。だんだんと自分がいなくなるような不思議な安堵感でした。
薬箪笥にいくら索引を作っても結局引き出しの中です。そして、自分もそのどこかの引き出しに入っているようで苦しかったのでした。

「眺めること」を今迄と少し別の方法で、もっと真剣にやってみると、自分が今よりもう少し遠く迄行けそうな気がします。

青乃






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