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だれも居ない

亡くなった祖母の硯はつるりとした木箱に入っており僅かに黄味がかっている。八寸弱あるそれは、私が使う墨の量に対して少し大きい。私はいつも、その大きな丘を持て余しながら二種類の墨をどこかぎこちなくおろしていく。部屋中の張り詰めた空気にほんのり墨の香りが漂う。少しずつ緊張が高まっていくのがわかる。緊張ではなく集中、余分な力が抜きたくて、時々墨を縁にかけ置き、自由になった両手と肩を上下に動かす。深呼吸をし、座り直し、墨をする。
池に溜まったおろしたての墨の濃さを何度も確認し、必要な文字を練習する。大小様々な文字で埋まった半紙が何枚か重なった頃、墨が乾いてしまう少し前、今なら書けそうだという瞬間が必ず来る。はやる気持ちを抑えながら清書の支度をする。机周りを改めて、深く真っ直ぐ座り直す。墨の濃さを再確認する。整えた墨を筆に含ませる。

その瞬間は突然にくる。
何も聞こえない。
ゆっくりと筆から下りていく墨量だけが目の前に在る。


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