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Novelber2020/14:うつろい

「随分寒くなってきたけれど、身体の方は大丈夫かい?」
 トリスは、ハロルドの問いかけにこくりと頷いて返す。それから、じっと、ハロルドを見つめるのだ。
 ハロルド・マスデヴァリア。公爵マスデヴァリア家の嫡男で、女王国の次期女王シオファニアの許婚。……つまり、次期王配だ。
 そんな仰々しい肩書きを持つ人物が、何故こんな胡散臭い霊能力者の店に足しげく訪れているのだろう、と客観的に今の状況を判断して少しおかしくなる。
 もちろん、霊視のため――ではない。ハロルドはトリスの援助者であり、トリスがこの店を構えていられるのも、ほとんどはハロルドのおかげなのだ。
 かつて、何故、ここまでしてくれるのか、という問いかけに、ハロルドは笑ってこう答えたものだった。
『君は僕の友の大切な人だ。だから、当然、僕が守るべき人でもある』
 件の事件で家族を失い、途方にくれていたトリスにとって、ハロルドの援助はなくてはならないものだった。だから、ハロルドには感謝をしている。感謝してもしきれないくらいには。
 けれど――。
 カーテンを開けた窓からは、霧に霞む木々が今にも色づいた葉を落とそうとしており、季節のうつろいを感じさせる。
「……また、冬が来る」
「そうだね」
「あの人は、寒くないのかな」
 トリス、とたしなめるような響きの声が聞こえてくる。それでも、構わずに続ける。
「きっと寒い思い、してると思う。……今年は寒くなるって聞いてるし」
「トリス。彼のことはもう、忘れたほうがいい」
「どうして?」
「むしろ、僕の方が『どうして』と聞きたいよ。彼は……、君の、ご両親を」
 それ以上は言葉にはされなかったけれど、ハロルドが言いたいことくらいはトリスにもわかる。わかっているし、そもそもこのやり取り自体も何度もしてきたものだ。だからハロルドはこの後トリスが何を言うかわかっているだろうし、トリスもハロルドがどう思っているのかくらいわかっている。
 それでも、言わずにはいられないのだ。
「あの人は、殺してなんかいない。絶対に、絶対だよ」
「トリス……」
「どうして信じないの。あの人は、ハロルドの友達なのでしょう?」
「そうだよ。誰よりも大事な、友だ」
 ハロルドは静かにそう言って、「でもね」と首を横に振る。
「僕は彼の凶行を目にしている。……信じてくれないのは君の方だろう、トリス」
 そう言われてしまうと、トリスは何も言えなくなってしまう。それでも、それでも、という、反論にもならない言葉だけが頭の中を巡っていくのだ。
 そう、そうだ、信じていないのは自分だ。ハロルドの言葉を未だに信じられないまま、ただ闇雲に「あの人」のことを思っている。思うことを、やめられないままでいる。
 そんなトリスを、ハロルドはたしなめたりはしない。ただ、いつも、少しだけ困ったような顔を浮かべて、
「でも、そう、信じたいものを信じるのは、自由だからね」
 ……そう言うだけだ。
 トリスはハロルドに感謝をしている。感謝しきれないくらいに。
 けれど、どうしても、そう言うハロルドに心を許しきれずにいる。暖かく迎えてくれているようで、どこか突き放したような感覚を覚えているのは、トリスがハロルドの言葉を信じられずにいるからなのか、否か。
 わからないまま、トリスは少しぬるくなってしまったティーカップを手に取った。
 
(鈍鱗通りの名もなき霊視の店にて)

あざらしの餌がすこしだけ豪華になります。