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シアワセモノマニア雑記帳
ここは創作空想領域「シアワセモノマニア」青波零也の雑記帳です。
主についったーに収まらないような独り言を漫然と書いたエッセイもどきと、時々小説の草稿を投げる場所です。
本来の活動場所はこの辺。
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無名夜行 - 三十夜話/30:はなむけ
「あなたも旅人ですか」
「ええ、まあ」
「旅人にしては、変わった格好ですね」
「よく言われます」
私もよく聞くやり取りを交わしながら、Xは見知らぬ『異界』を歩いている。
いたってのどかな草原の真ん中に、煉瓦造りの道が通っている。そして、馬を引き連れた旅人が、Xの傍らで不思議そうな顔をしていた。それは不思議だろう、Xの格好はどう見ても旅人のそれには見えない。ただ、異質という点において、その土地の
無名夜行 - 三十夜話/29:地下一階
研究所の地下一階には、Xの独房が存在する。
当初は拘置所から研究室に通うという話になりかけたが、『異界』への『潜航』はできれば毎日、それも時間いっぱいまで行いたい、という我々の主張が通った形になる。我々がアプローチできる『異界』は毎日、刻一刻と変化する。数多くのデータを取るためには、どうしてもそれだけの時間を異界潜航サンプルに付き合ってもらう必要がある。そういうことだ。
Xは、拘置所から派遣
無名夜行 - 三十夜話/28:隙間
Xの聴覚と繋がったスピーカーから聞こえてくるのは、荒い息遣い。
それがX自身の呼吸音であることは、明らかだった。
今回の『異界』は石造りの建物の中だった。迷宮、と言うべきだろうか。窓はないが、不思議と明かりをつけなくともぼんやりと視界が通る薄闇の中、Xは探索を開始した、のだが。
今、Xは壁と壁の隙間、かろうじて人ひとりが収まる空間に身を隠している。
すっかり荒くなってしまった呼吸を何とか
無名夜行 - 三十夜話/27:ほろほろ
街路樹の葉が落ちていく。音もなく。
家への帰り道を行きながら、私は落ちた葉を踏む。ぱきり、と音がして、靴の下で葉が砕けるのがわかる。
吹く風も冷たくなり、コートとマフラーが手放せなくなった。研究室はほとんど温度が一定に保たれているから普段どおりの格好で構わないのだが、一歩外に出ればそうも言っていられない、その程度の寒さ。
空の高さも、雲の形も、季節の変化を如実に示しているといえよう。
こ
無名夜行 - 三十夜話/26:対価
ころり、と何かが転がってくる。
Xの視界が足元に向けられる。足にぶつかったのは、オレンジ色に色づいた真ん丸い果実。それが、ひとつ、ふたつ、みっつ。
転がってくる方向に視線を向ければ、一人の女性が地面に落ちた紙袋から、こぼれたものを慌てて拾い集めようとしているところだった。どうやら、この果実もそこから落ちたものであるらしい。Xは足元に手を伸ばして果実を拾い集めると、女性の元に歩み寄る。
「こち
無名夜行 - 三十夜話/25:ステッキ
うららかな陽光が降り注ぐ、『こちら側』に似た『異界』の公園。ベンチに腰掛けたXは、ぼんやりと虚空に視線を彷徨わせていた、が。
「あなたも魔法つかいになりませんか?」
不意にひょこり、とXの膝の上に上ってきたのは、犬とも猫ともつかない、ふわふわもこもことした不思議な生物だった。生物というよりぬいぐるみ然としているそれは、けれど確かに生物らしく瞬きをして、小さな口をぱくぱくと開閉させて喋ってみせる
無名夜行 - 三十夜話/24:月虹
満月が夜空を明るく照らしている。
そして――Xは、橋の上にいた。
スピーカーから聞こえてくるのは水が絶えず流れ落ちる音。橋から見渡せるのは、大きな滝だ。そして滝が生み出す細かな水滴が、この「橋」を生み出しているのかもしれない、と思う。
そうだ、Xが立っているのは、橋といえども天にかかる橋。つまり、虹だった。淡い七色の橋は、うっすらと透けて見えるにもかかわらず、確かにXの体を支えていた。Xは
無名夜行 - 三十夜話/23:レシピ
「災難だったわね、X」
と言いながらも、寝台に腰掛けた姿勢で肩をすくめてみせるXが、なんともおかしくて口元が自然と緩む。
今回の『異界』は、一言で言ってしまえば厨房だった。そして、Xはそこでの下働きという『設定』を与えられたようだった。
普段、Xはそのまま『異界』に降り立つことになるが、稀に、『異界』に合わせて何らかの『設定』が与えられることがある。元よりXという人間がその『異界』に存在して
無名夜行 - 三十夜話/22:泣き笑い
かつて、森の中にひっそりと佇む塔に、一人の少女が幽閉されていた――。
そんなことを言い出したのは、Xの傍らに立つ魔女だった。『異界』でこの魔女と出会うのは何度目だろうか。相変わらず、我々が「魔女」といって想像する姿に極めて近い、黒いドレスに黒い先端のとがった帽子を被った女は、黒猫を片手に抱いて語り続ける。
「少女を幽閉していたのは一人の魔女で、魔女は決して少女を外に出そうとしなかった」
Xは
無名夜行 - 三十夜話/21:缶詰
「最近、お姉ちゃん、何か元気だよね」
「そう?」
買っておいたコンビーフの缶詰を開ける。そのまま摘まむもよし、何かに混ぜてもよし、おつまみの万能選手。なお、箸でほぐしながら食べるのが私の好きな食べ方だ。
妹も積んであるおつまみ缶詰の一つに手を伸ばしながら、言葉を続ける。
「何か顔色がいいっていうか、肌つやがよくなったっていうか」
「……そういうもの、かしら。自分じゃよくわからないけど」
仕事
無名夜行 - 三十夜話/20:祭りのあと
「おや、旅人さん。惜しかったね、祭りはもう終わっちまったよ」
「祭り、ですか」
きっと、盛大な祭りだったのですね、と、Xは辺りを見渡す。大きな提燈が道の果てまで連なっていて、きっと昨夜まではそこに明々と灯が点されていたに違いなかった。今は太陽の角度を見る限り――これが『こちら側』とおなじ法則を持っていれば、だけれども――朝方のようで、遠くでは既に提燈が片付けられ始めているのが見て取れる。
Xを
無名夜行 - 三十夜話/19:クリーニング屋
その『異界』は、ちいさな店の姿をしていた。
店の入り口をくぐるような形で『異界』に降り立ったXは、呆然と店の中を見渡す。ものらしいものがほとんど置いていない殺風景な店内、唯一存在するカウンターの向こう側に、一人の男が座っている。……最低限、Xの視界を借りてみる限り、それはXと同じような姿かたちをした、人間の男に見えた。
「いらっしゃい」
男が言う。Xは「どうも」と軽く頭を下げてから、男に向き
無名夜行 - 三十夜話/18:旬
Xは、このプロジェクトに参画するまでは長らく拘置所の独房で暮らしてきたという。
それが一体どのくらいに及んでいたのか、私は仔細を知らないし、Xもことさら語ろうとはしない。ただ、長らくXという人間が、外界から切り離されて過ごしてきたという事実を語る材料にはなるだろう。
刑務官以外の人間と言葉を交わすこともなく――刑務官から与えられる言葉も、ほとんどは「命令」ないし「指示」であったはずだ――人間
無名夜行 - 三十夜話/17:流星群
見上げれば、星が、ひとつ、流れた。
いや、ひとつではない。じっと空を見つめていれば、星は尾を引いて次々に空を流れていく。
流星群という言葉がふさわしい空模様に、Xはしばし目を奪われていた。
すると、遠くから声が聞こえてきた。歓声、のような。Xの視線は空からそちらへと移される。見れば、手にランタンを持った子供たちが、Xが立っている道を駆けてくるところだった。わあわあと高い声を上げる子供たちは
無名夜行 - 三十夜話/16:水の
今回も無事に『異界』から帰還し、寝台の上に起き上がったXの視線が、大きなディスプレイに向けられる。
先ほどまで『異界』にいたXの視界と接続していたディスプレイは、今は録画された『異界』の画像を映し出している。
そこは、大きな、大きな、湖のような場所であった。見渡す限りが水に覆われていて、その場に立っているXもまた、膝の辺りまでが水に浸かっている。当然人が通る道など見えるはずもなく、Xはただ、