エッセイ|無意味なものと高円寺

「意味を求めて無意味なものがない」

2007年、「空洞です」のなかで坂本慎太郎は歌った。彼は今でも高円寺に住んでいるらしいと当地の美容師が言っていた。土地に馴染み街の人に親しんだ自営のお店が情緒ある景観をなすこの街でも、どこかで見た無機質なチェーン店が視界を占めるようになり便利になっていくのを、もの寂しく見ていたのかと思う。

高円寺は縦に商店街が貫く。特に北口の純情通りは住宅とお店が一緒に立ち並んでいる。通りは歩行者天国ともなり人通りも多いが、タクシーやトラック、あとは門外漢の私用車が時折迷い込む。車は歩行者のあとに続くようにして申し訳なさそうにそろそろと進んでいく。歩行者は迷い込んだ車に遠慮せず次から次へと車両を追い越していく。

自転車はこの通りを颯爽と駆け抜けていく。街行く人の間をすいすい縫い抜け、次の瞬間にはひとつ先の電柱にまで達するかのようだ。一般の自転車も多いが、宅配の自転車もよくある。彼らはお金を稼ぐために自転車を漕ぐ。だから、自転車はロードバイク。自転車は人のかたまりを前にしては速く先に行こうと焦れている。歩行者は自転車が自分の身体すれすれを背後から一瞬で追い越していくのに驚く。

ついこの前、夕方で人通りも少なくなった頃、自転車同士が向かいから激突するのを見た。自転車に乗っていた人はお互い簡単に謝って、すぐに場を漕ぎ去った。もっと最近、日もすっかり沈んだ頃、野良ネズミが口から血を吐き、赤いのが散った地べたで息絶えているのを見た。邪推かもしれないが、この街では野良ネズミが歩くよりも横になっているのを見かける。

街はどんどん便利になっていく。自転車が増えれば増えるだけ、それはより多くの人の役に立っているのだろう。そうして、横になった野良ネズミを見ることも増えるのかもしれない。それが、明日には野良ネコかもしれないし、今日は自分かもしれない。通りはそんなふうにはっきりとは思っていなくとも、何かふんわり、そんなことを感じているんじゃないかと思う。

ネズミの亡骸のそばには真っ白い花が一輪添えられていた。遺体の一軒先には花屋があった。

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