見出し画像

【随筆】たまにね、そうじゃなかった世界線を想像することがあるんだ

どえらい久しぶりにnoteに戻ってきた。そしていっとうはじめに目についた記事が、とてもよかった。読んでスキをして、僕も、久しぶりに書こうと思った。バラクーダさん、ありがとう。

それでだ、
たまにね、そうじゃなかった世界線を想像することがあるんだ。という話。

直近で言えば、ランニングと筋トレをしなかった世界線だよ。
たぶん、そっちの世界であれば僕の今はきっと、ぶくぶくと太った豚野郎だったと思う。たしかに昔の僕は、いわゆる筋トレってやつをかなり毛嫌いしていた節がある。それは、見た目より中身だとか、というかね、こんな出鱈目な生活していても、どこかで大丈夫だとか、妄信していたからだよ。でもね、実際のところ、僕みたいな大食いで酒飲みは、なにかしないとダメだ。そして、僕はした。人生で、今が一番いい身体している。これな、誇らしいだろう。という、話。

本当に、よかった。いい趣味になった。

麻雀は、どうだろうか。ただのゲームなのだが、完全にひとつのスキルになったし、思考や、押し引きということを、また人間の本質を探るようなところがある。決して言い過ぎじゃないと思っている。でもね、マイナスなイメージはあるだろうが、でも、よかった。麻雀をしていなかった自分なんて、まるで想像できない。もう、こいつは一生もんの趣味だ。久しく雀荘に行けていない。それは少しばかり寂しい。

そして小説だ、仮にその世界に触れなかった世界線はどうだろう。信じられない。小説を好いていなかった自分。小説を、書かない、物語を紡がない自分。ありえない。寂しすぎる。だから、触れて、よかった。ほんとうにそう思う。まして、今は夢だ。

もちろん他にもある。あの学校じゃなかったら、あのサークルに入ってなかったら、あの研究室じゃなかったら、とかそれから社会人になるけど、あの会社じゃなかったら、とかね。そして総じてあの人・この人に出会ってなかったらとかとか、

考えることがある。まあね、こんなことを考えるのは大抵弱っている時ってのが相場だけど、だってさ、今の僕を構築してきた背景を、疑うようなことはしちゃいけない。信じなくてはいけない。でも、たまに考えちゃうんだ。もっといい選択があったのだろうか、とか、ね。

もちろん、全部考えすぎかもしれない。

最近ね、なんだか五月病がまだ終わらない。なかなかやる気が出ない。うまく言葉を紡げない。しかもさ、好きな人にそうなんだ。ほんとさ、自分に辟易する。コミ症だよ。人見知りで、社交性がない。だけどこれでも分岐点があった。大学で、サークルに入ってからはだいぶ改善された。でも、足りない。本質なんだよ。いくになっても緊張しいだし、どもるし、クソ。

いかんね、楽しいことがあまり言えない。悔しい。って、これじゃあいけない。明るいことで〆よう。

そうしよう。専攻したのが土木だった。そして一生の仕事になった。バイトはラーメン屋とTSUTAYAでした。これも、全部、正しかった。

そう、信じている。これは、言い聞かせかもしれない。でも、肯定しよう。

だけどやっぱ、たまに怖くなる。

でもね、全部含め、僕だ。そうじゃなかった世界線なんて、クソくらえだ。
むしろ、趣味がある、夢がある。好きな人がいる。最高じゃないか。

僕は、僕を肯定する。とても大事なことだ。きっとそう。

あなたは、どう考えますか?



そういえばそうだった。最近、あまり元気じゃない。なんかが足りていない気がする。だからか、また、ちょくちょく書きにくる。やっぱり、書くのはいいね。小説も、そうだ。書くことが、ひとつの療養になる。

いつものとおり駄文だけど、最後まで読んでくれてありがとう。また書く。僕は本当のところ、どうしもようもなく、書きたいんだ。書きしいなんだ。

さいごに、アイキャッチは2年前のスパルタンレースの写真ですww
バラクーダさんの記事にあったように、僕も写真フォルダをスクロールし、こいつを抜粋した。懐かしい(これは、有刺鉄線の下を匍匐前進しているところですww)。いい思い出だ。

ありがとう。また次の記事も読んでくれると嬉しい。と、今般、昔の記事を読み返した。もちろん全部じゃないけど、これは、ひとつのアーカイブだ。強弱はあるが、僕はもれなくどの記事もスキだ。よかったら、そちらも読んで欲しい。それではまた!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?