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『ハーモニー』伊藤計劃について(追記、「信頼」と麻雀の話になった)

はじめに言う。
僕が伊藤計劃を知ったのは、最近の話だ。
信頼できる読書家からのオススメだった。

「信頼できる」ということは、
とっても大事な要素だ。
まずはそのことについて説明する。

たとえば僕は、麻雀が好きだ。
たぶん、ひとが思っている「好き」よりだいぶそうだと思う。
麻雀は、将棋や囲碁のようなものであっても、まだ市民権は得ていない。
どこまでいってもダーディーなイメージがつきまとうからだ。
しかし昨今、Mリーグが発足したことは大きな前進だ。
アベマで生対局が見ることができる。
それに、YouTubeでは長い対局も、短く切り抜いてあって、簡単に見ることができる。よかったら、見て欲しい。僕は、楽しく見ている。
 
麻雀は、たしかに難しいゲームだと思う。
それにイメージも悪い。
だから、競技人口を増やすのなかなかに大変だ。
僕はフリーで雀荘に行くが、それは、こと社会ではかなりマイノリティーだ。よく言われるので、そう思う。それに、たしかにそういう人は、周りにいなかった。
 
発足と言えば、もう10年くらい前になるか、
バスケットボールにおけるBリーグもそうだろう。しかし、僕らの世代には『スラムダンク』があったから、別にバスケはとっくにメジャーだった。 
もちろん、サッカーや野球には劣るということは、仕方がない。

さて、「信頼」の話に戻る。
僕は、こと麻雀において、たいていの場合セットは好まない。
このセットとさっきのフリーという言葉の説明を簡単にする。
麻雀は基本4人で遊ぶゲームである。で、セットとは、いわゆる仲間内のことである。対して、フリーというのが、そのお店にいる、知らない人と遊ぶことである。

ではなぜ僕がセットを好まないかと言うと、それはつまらないからだ。
その次に僕が言うことは簡単だ。
「強い人としか打ちたくない」それだ。
なんと生意気だと思うだろう。でも、麻雀打ちなら共感できるはずだ。
これは、麻雀のゲーム性に由来している。
同じゲームとして、麻雀が将棋・囲碁と一線を画すこととして、2つのことがあげられる。それが「人数の違い」と「運の要素」である。
「運の要素」の話は、今日のところ僕の話とは関係ないのでやめておく。
「人数の違い」について、話をする。

要するに、麻雀は将棋や囲碁のように1対1の勝負じゃないということだ。1対1対1対1これが麻雀で、また加えて上記の「運の要素」もあるということが、特徴であり、かついいところなのでもある。

そして、麻雀は上がり競争なんです。最後に一番点数をもっていた人が勝ち。その点はシンプルだ。勝負事の鉄のルール、勝てば官軍だ。勝ち方に文句があるのなら、勝ってから言えばいい。

ですが、麻雀ってゲームね、1対1の勝負じゃないということにはさきに触れましたよね。あと2人います。
上がりってのは、とにかく手を整えて(牌を引いて捨てる、スタンダードなポーカーみたいなものです、本質は)、さいごに「ツモ」もしくは「ロン」って発声のもと、その局がおわります。基本、上がるのは1人です。
だいたいこの局という単位で、1ゲームを8~10回します。

 いいですか、基本、上がるのは1人です。これ、大事なことです。

ということは残りの3人は、その番ではなかった。上がれなかったわけですよ。いいですか、というか、こう考えると、毎回いつも自分が主人公になれるわけではないのです。日が当たらないことがあります。脇役になります。そのことを知らない人が、いっぱいいます。

麻雀でもポーカーでも同じ言葉があります。
「降りる」です。
「止めた。手が悪い。勝てそうにない」
だったり、
「今回の勝負は諦めた」のことです。

わかりますか?あなたの番ではなかった。そのことを理解して欲しい。

なのに、毎回毎回自分が上がるのだと必死こくのが、下手くそなやつです。ここで、弱いとはいいません。「運の要素」があるからです。
手を整え、あと1枚のことをテンパイといいます。
そして、結局テンパイ⇒上がりという順序なので、また、その上がりのための1牌さえ捨てなければ、相手がいくらテンパイしていたって放銃しません(「ロン」と言われるやつです)。

ダメだ。止まらない笑
つまらなくなるんですよ!
ちゃんと打ってほしいわけです。僕は、
もちろんブラフがある。駆け引きですよ。それと他人の打ち方に文句は言っちゃいけない。でもね、僕は知っているんです。強い打ち手が4人集まって麻雀打つのが、いかに楽しいかってことを。
まるで、相手の思考が分かる。それは、言い過ぎかもしれないですが、人柄が出る。それはたしかだと思います。
一般には、捨てた河を見て、(完璧にできることなんてできるものでないが、)読みます。考えます。
同時に、「人読み」というものもたしかに存在します。

だから僕は、(麻雀打ちとして)「信頼できる人間」としかセットは組みたくないのです。別に、はなからセットが嫌だというわけではありません。接待麻雀もしたことはあるし、仲間内の遊び麻雀も、たくさんしてきました。楽しさもあります。遊技として。しかし、勝負としてはやはり、つまらないのです。

しかし、この点、ジレンマのようなことをカバーできるのがフリーだ。下手な奴がいても結構。金がかかっているのだ。ストレスを抱えてでも打って、そいつから金を奪ってしまえばいい。なんてことはない。授業料だ。そこから学ぶ人は強くなる。学ばない人はいつまで授業料を払い続けるだけだ。ま、楽しければいい。というなら別に気にすることはない。

 
ヤバい。こんな時間だ。所用がある。
ドラフトとして保存できるのか分からないから、
一旦はここまでに。
記事タイトルに追記して終わろう。
読み返したけど、論理飛躍があるw

『ハーモニー』伊藤計劃について。
詳しく話すが、間違いなく天才だ。読めばわかる。すごい。
小説を好いて、かつ書いている身分からしても、
それは揺るがない。

最後までに読んでくれてありがとうございます。
また次の記事も読んでくれたら嬉しいです(過去記事も)。それでは。

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