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縦横無尽ツアーで演奏されたエレファントカシマシの楽曲について

ROCKIN’ON JAPAN の縦横無尽ツアー完結編のインタビューで、ソロツアーでエレファントカシマシの楽曲を歌うことについて言及されていたので、ツアーや新春ライブでつぶやいたことをまとめてみました。答え合わせじゃないけれど、わたしはこう感じましたという個人的感想です。
※インタビューの引用があります。ネタバレしたくない場合はご注意ください。

『悲しみの果て』
わたしが今回のソロツアーで歌われたエレファントカシマシの楽曲の中でいちばんに違いを感じた曲です。エレファントカシマシでは “悲しみの果て“ に、ソロでは ”素晴らしい日々を送っていこうぜ” に重点があるように感じます。ソロの方がよりメッセージ性が強く出ている。意識が次へと向かっているというような気がしました。

また、セットリストで『冬の花』の後だったので、“悲しみの果て“ の部分を冬の花が担っていた、ということも関係しているのかなと思います。宮本さんの作る歌詞では荒野に咲く花は自分自身の象徴(たとえ女性主役の歌だとしても)だと思うのですが、『冬の花』ではその花が無惨に散っていく様を物理的に散る花びらで演出されていて。バラバラに散った花(=数々の流されてきた血)の上に天を見上げて立ち尽くす ”この” 悲しみの果ての世界から立ち上がってくるのは、素晴らしい日々を送っていこうぜ、という祈りとも決意ともいえる『悲しみの果て』という歌。ツアー初参加の大阪ではじめてこの演出とこの曲順を見て聴いたときに唸りました。

『ガストロンジャー』
ツイートを見てみると昔からエレファントカシマシを聴いていた方はソロでのガストロンジャーに少なからずショックを受けているような印象でしたが、わたしはそんなに違和感がなかったんですよね。なんでだろう。

でも、瞬間的には、“ガストロンジャー“ っていう曲のポップさみたいなものは、エレファントカシマシでやる時にも、いい部分が届いている可能性もあったような気もする。

と、宮本さんがインタビューで答えていたので、その辺りが手がかりかなと思うんですけど。ちょっと未だ考え中です。

『今宵の月のように』
ソロツアーでは歌係に徹していた宮本さんが唯一アコースティックギターを弾いて歌った曲だったんですよね。スタイルとしては ”いつものとおり” だと思うんですが、歌い出しが会場ごとに微妙に変化していて。歌と拍手とのコールアンドレスポンスで観客の反応もそれぞれ違っていたんです。この、会場で一緒に作り上げているという感覚にすごく興奮したんですよね。この曲はエレファントカシマシの楽曲ではいちばん売れたものなのでいわゆる大衆性があるというか。一般的にはこの曲が ”おなじみの” という印象があるんじゃないかなと思います。それに対する個別性や一回性とでもいうのか、まとっている大衆性のようなものを解体して楽曲の持つ自由さ、そんな単純なもんじゃねえぜって部分が出てきたような気がします。むしろ。

宮本さん本人はインタビューですごく興味深いことを言われています。

“今宵の月のように” は、確か1月12日のライブではやめたと思う。あまりにもリズムが違いすぎて、ちょっと俺、歌えないって思ったのよ。

歌われていないので単純に比較はできないのだけれど、やはり枠を取り払った ”自由さ” があったように思います。あくまで個人の印象ですけど。

おまけ
『奴隷天国』『友達がいるのさ』
ソロツアーの最中に行われた、新春ライブ2022。楽曲の表現の違いはエレファントカシマシの内部でも起こっている。これは宮本さん自身の表現の幅の変化でもあると思うので、一概にソロからの還元とは言えないかもしれない。けれどもまったく影響が無いとも言い切れない。要はどちらも楽しみであるということ。

おまけその2
『きみに会いたい-Dance with you-』
歌前に、踊れ、おどれ!の煽り。奴隷天国のときのようにのそのそと歩く姿。ソロの曲にエレファントカシマシが影響を与えている。これも宮本さん自身の表現の幅〜以下同文

最後に
『あなたのやさしさをオレは何に例えよう』
新春ライブでは『友達がいるのさ』、縦横無尽ツアーではこの曲がメンバー紹介に使われました。宮本さんが嬉しそうでみんな楽しそうだった。音と歌での会話。きっとずっとこれがやりたかったんだろうなあと思う。どちらも宝物の時間でした。

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