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Twitterがなんだか息苦しい

こんばんは、こんな時間の投稿です。はじめてかも。

私は長らく10年選手でTwitterをやってきました。ファン同士でゆるく。そんなツイッタランドでしたが、昨年暮れから雲行きが変わってきました。某大きな国の大統領が個人名で宣戦布告をした。テレビでの演説でもない、民衆の前でもない、ツイッターで。大きな衝撃をうけました。個人名やちゃんと公式マークがあるけれど、なんか時代が変わったなという率直な感想をもちました。

10年前、ファンである某アーティストさんがはじめたのを機に、私もはじめれば「もしかしたら仲良くなれてコメントなんかもらえるかも。。」などと淡い期待をしたのです。実際いいね、はもらえたかな。それよりその某アーティストさんは、マイナーでテレビにも出なくて知る人ぞ知るという存在だったため、周りにいっさいファンがいなくて孤独でした。それを解消してくれたのがTwitter。そこで知り合い皆で一緒にコンサート行ったり、オフ会やらなにやら楽しかったなあ、あの時は。

いま現在なお続く感染症。その前後で出てきたデマや誹謗中傷。自粛警察による個人特定。名前だけでなく顔写真なども広まり、人生が変わってしまった人もいる。今思えばその行動は自粛中でなくてもよろしくないものだけれど(その行動履歴も知られてしまっている)会社員だった彼女は果たして今後まともな職に就くことができるのだろうか。

政権にも厳しい意見。ハッシュタグを使用した政権への批判。それは大きなうねりとなって政治を変えた。検察の人事もそう。普通の一般人が政治に関われるのは、投票の時くらいな感じ。それだって組織票などの大きな力が勝って、私の一票なんてほとんど何の意味もないくらいに投票に行きながら思っていた。それが変わった気がした。

その一方、平穏だったツイッタランドに気軽に投稿もとい「つぶやき」が出来ずらくなってしまった。もちろん発言には気をつけてはいるが、どこでどういう誤った解釈がされるとも限らない。ましてはこんなメンタルの身。プロレスラーだった若い女の子が、あの番組に出てアンチと呼ばれる人にもろに誹謗中傷されて、悲しい結末を迎えてしまったのも他人事ではない。まだ自分のツイートで辛口な番組の感想を言うのはまだ許せる。エゴサーチしなければ見ることもない。けれどあの酷いアカウントたちは匿名で直接返信という形で酷い文章を何回も送りつづけた。女の子本人が直接見てしまうだけでなく、誰でも見られるあの形で。女の子はどれほど傷ついたのだろう。。あの後しれっとアカウント消して何事もなく生きている人を私は許すことができない。

こんな発言もツイッターでは出来なくなった。なんでだろう・・・ やはり10年もやっていると、いろいろしがらみが出てくる。昔の恋人やらなにやら。。なぜか元の連れにはブロックされてるし(笑)見ないっての。、まあ「嫁」というのが果たして何次元なのかが気になるっちゃ気になるけれど。そんなことはどうでもいいのだが。

そんな何でもないことを「つぶやく」ことにも抵抗が出来てしまった。ただいま模索中です。みなさんはどのようにTwitterを利用していますか。