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メンクリの待合室にて

社会的弱者なわたしですが、さらに弱者を思いやる場所がある。それはメンクリの待合室。

会社帰りのクリニックは混みあっていた。きっと初診が入ったか誰かが長く話し込んだためだろう。初診は長め(といっても20~30分)そのあとがずれ込む。

窓に沿って置かれた椅子に座り診察を待つ。そこに母娘。きっと娘さんが患者だ。一刻もお母さんの傍を離れたくなさそうな感じ。診察券を受付に渡し、中座していった。

私の左隣にひとつ空いた椅子がある。私がどければふたり並べる。そう思い、処置室脇に移動した。するとそこからカートを押したおばあさんが。ああ、私が座ったから私がどいた席までカートを押しゆっくり歩いていく。

しくじったかな。。そこに先ほどの母娘が。隣り同士にはなれず、お母さんとおばあさんが並んで座った。そこに待合室のテレビが新型感染症のニュースを告げる。お母さんとおばあさんは、思わず声をかけしばし雑談している。声が待合室で聞こえ、なんだか場が和んだ気がした。

少ししておばあさんは会計をすませ、娘さんは待ちかねたように横へ座り会話をしていた。昔のわたしのような発声。うまく言葉が出てこない。話す方も発声が難しく辛いんだよね。きっと聞く方も。

あのお母さんにとっては、数少ない外部の人との会話だったのかも。それはとても息抜きになると思う。きっと向き合いすぎるのは辛いから。いくら愛する子どもでも。

当時のわたしは、それを薄々感じていたから、早い段階でデイケア等日中外に出る用事を作っていた。密着しすぎるとお互いつらい。ちょっと愚痴でもこぼしたくなる時もあるだろう。もしそれを聞かれたら症状が悪くなると思うと言うに言えないというか。

今では、いろいろ目につくところもあるけど(苦笑)当時は親なりに気をもんであの時期を乗り越えていたんだろうな。今になってそう思う。