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震災の年 安藤裕子に会いに行った

2011年04月20日2:24

上へ上へ 

とにかく指がかかるくらいの石や、つま先を乗せられる小さな窪みを探して、

じりじりと、上へ、上へ。

 


 2011 年4月13日 安藤裕子


ほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞)のホームページの動画、被災した人に向けたメッセージと、キーボードの伴奏だけで歌った「はじまりの唄」、そして彼女のブログの日記を見た。 

想像を絶する体験をした人たちの痛みを、彼女はちゃんと感じている。敏感に感じ続けている。他人の体験をリアルな感覚として感じる敏感さは、私にはないかもしれない。

毎日勤めている行き先があって、日中も常に誰かと一緒に過ごしている私のような勤め人は、気持ちが楽なのかもしれない。揺れても、「またですね」って言いながら、不安を共感できる相手が目の前にいる。毎日耳に入る不穏な情報も「どうなんだろうねえ?」って言い合える。専業主婦は孤独で、何かあった時には自分が子供を守らなければ、という危機感を持ち続けることになる。 


私の気持ちがどうであれ、遠くの海のそばにいる人たちが、同じ時に再び感じている恐怖とか向き合っている現実は、変わらずそこにあるはず。それを思うと、どうしたらいいのか考え込んでしまう。 

それと、あの時にどこに誰といてどんな体験をしたのかによっても、気持ちに負った傷の深さが違うのだと思う。一人で自宅にいたり、子供と二人で家にいた人は、相当怖かったと聞いた。仕事場にいた人は意外と気楽だったり。小さな揺れで、それぞれがまた、その傷をなぞるように触わる。 

大きくても小さくても、私たちはみんなあの時に、そしてそのあとの大きな黒いうねりや荒れ野の映像と一緒に、気持ちの中に傷を刻んでしまったのかもしれない。だから、どうしたらいいんだろうって、いつも気持ちのどこかで思う。

そして、それよりも前に、自分が自分であることをちゃんと全うするところから再び始めなければと思う。

私は、今は、なにかそれさえもできていない気がする。 

                     2011年4月13日深夜 

  

 

2011 年4月24日 安藤裕子  

あるフォトジャーナリストが荒れた海岸線に立って、「写真家はこの風景の前には無力だと感じた」と言っていた。そして、「音楽家がそれぞれの方法で表現できることが羨ましい」と。どういうことだろう? 

写真家はあくまで目の前に素材があって、それをリアリティを持って写し取ることしかできないということか。ドラマチックな陰影で風景を切り取ったとしても、事実の方が強大なのかもしれない。

そこにストーリーを見出そうとすれば、あまりにも巨大な人々の現実と感情のうねりの前に無力過ぎるということか。 

安藤裕子が以前、何かの文章の中で、「現実は私の描く歌のようにはきれいではないけれど…」と言っていたのを思い出した。描く世界が現実そのものではなくても、それはリアリティがない、人に伝わらないということではないはず。音楽は写真みたいに写実的ではないけれど、でも人の気持ちに直接響く絵の具の色のような力を持っている。 

今年に入って、安藤裕子を知ってから、古いアルバムを繰っていくように、CDやDVDや文章や絵を見ている。多分、その時々に、最大限感覚を研ぎ澄まして表現手段を探し、選び、力を注いで作り込んできているのだろうなと思う。本当に色々な方法で、感覚に合うものを探しているように見える。たくさんの表現手段があって羨ましいと思っていた。

そんな中で、いろいろなものが淘汰されてシンプルになっていって、どんどん研ぎ澄まされてきている印象を受けていた。

そして更に今回の出来事を通して、きっと歌は大きな現実によって試されて、表現としてもっと鋭くなっていくのだと思う。彼女自身は「無力だ」言うけれど、私は彼女が音楽という表現手段を、力を持っているのが羨ましいなと、その写真家のように思う。だから、渾身の力を込めて歌って欲しい。
 

彼女が現実に向き合おうと葛藤しているのを見ていて、ああ私は彼女を甘く見ていたなと思った。安藤裕子の歌を甘い気持ちで聴いていた。 

真剣に向き合って、本気で聴こう、受け止めようと思う。
                        2011年4月24日夜 

 

 

2011年5月2日 安藤裕子

 
5月3日の六本木(フェス MAPS)、安藤裕子に会いに行こう。つくば(全国ツアー つくばノバホール)を待たずに。 

体調も何だかよくわからずあやうい感じ。3年前に難病になって、去年のちょうど今頃と8月から12月まで、一年の内5か月半くらい目がよく見えなかった。理不尽だよ。 

どうやって受け止めたらいいのかわからないことってある。

こんな体になっていろいろと同じような人のことを学んだ中に、「リカバリー」という言葉があった。簡単に言うと受容ということなのだと思うが、もっと深くて激しい痛みを伴ってくぐり抜けていく感じなのだろう。

アンソニーの言葉では「疾患そのものからの回復よりもはるかに困難であるが、専門家の介入がなくとも起こり得るきわめて個人的で独特な過程。制限つきではあるものの満足で希望に満ち足りた人生を生きる道程。そして、信じてその傍らにいる人の存在が不可欠である」と。

ブランチは「積極的で持続的な過程であるが、希望が最も基本的な要素である。コントロールと自由の感覚を得ること、価値ある活動や人々との接触を保つこと、そして自分の足跡を覚えておくことが大切である」と言っている。

生半可な気持ちではたどり着けない境地のようにも思えるけれど。少なくとも、自分に終わりがあることを感覚的に知った時に、今がすごく輝いて感じることがある。空気がキラキラと光っている感じ。ただ夜道を一人で歩いているだけなのに、何だか今が幸せでたまらない感じ。そんな時、自分がかけがえのない大切な自分なんだなって思う。 

今の彼女が、彼女だけが歌える歌を、彼女の声と言葉で歌うことが、何だかすごく尊いと思える。 



2011年5月9日0:28 安藤裕子 東京MAPS

東京MAPSのライブに行った。 

ありがとう。すばらしかった。 

じかに歌を聞くのは初めてだった。これまで、彼女の昔のアルバムのページをめくるようにCDやDVDを見てきた。ライブの映像もいくつか見たけれど、「今回が一番良かった」と思うのは私が初めて生で歌を聴いたからなのか。 

あの空気、夕暮れの灰色の中で雨のにおいがしていて、少し冷たい風が流れて。夕日が当たっているみたいに暖かい色のライトで浮かび上がる彼女の姿はとても大きな存在感があった。

暗くなる時間帯もスケジュール構成も天気さえも彼女のステージのためにあったような。ちょっとずるいくらい。他の出演者もそれぞれ渾身のステージですばらしかったのだが、全部霞んでしまった。前座だったのかと思うくらいにあの場所であの空気の中で安藤裕子はみんなを引き込んでしまった。 


同じ時代に生きていて、たぶんあの時にだけ感じられる空気があって。安藤裕子はいろいろなことを通して鋭くなるのかと思ったけれど、そうではなくてあの時の彼女は透明になっている感じがした。音そのものはキレがあって、そこに彼女の思いを込めた声が重なって、ものすごい輝きを放っていた。音楽のもつ力、何て言うのだろうか「音圧」という言葉の響きにも似た、歌によって伝わる力を初めて感じさせてもらった。 

今回はライブの趣旨にあったSmall Happinessを、いや大きな至福の時間をもらった。安藤裕子に出会えてよかったと、そして昨日会えてよかったとしみじみ思う。 

                            2011年5月4日

1. ジ・アザー・サイド・オブ・ライフ 
2, 夜と星の足跡 三つの提示 
3. ワールズエンド・スーパーノヴァ 
4. 問うてる 
5. 地平線まで


 MAPS つづき 

過ごす時間をいろいろと思い浮かべて、持っていく物を準備して、お気に入りのジーンズと上着と靴を履いて、出かけた。 


ずっと、歌と映像と実在する人が一致していない感じがしていて、架空の存在のような感覚があった。それは今回も同じで、ステージの上に確かにその人はいるのだけれどDVDを見ているようなそんな遠さがありながら、それでも本当に同じ空気の中にいた。

彼女は人の前に立つ存在としてあり続けるから、どんな場面でも本当の彼女にはなり得ないのかもしれない。それでも彼女自身は精一杯の力で光の当たる場所に立っていて彼女自身であり続けようとしていたし、一つになる自分に耳を澄ますように目をつぶって歌っていた。 

多分私はその存在を確かめようと目をこらしていて、そしてもしかすると彼女の目の中に私が映るのかを見極めたかったのかもしれない。だから歌の言葉も曲も耳に入らず音に満たされた空気を感じることで精一杯だったのかもしれない。 

次はもっと長い時間だから気持ちを楽にして空気を感じ取れればと思う。 

はおったジャンバーが隠れ家みたいで、膝にかけたタオルがあたたかくて、ああ今幸せだなぁと思った。


 


2011年5月16日2:12

楽しみにすること

これまでの人生、小さい時から何かを楽しみにしたり期待したりしないようにして生きてきた。それはいけないことのように感じていたし、期待しても壊れることの方がはるかに多かったので、やめようと思ってきた。今もそれは変わらないのかもしれない。仕方がないといつでも思える。 

ただ最近は、なにか突き抜けているというか、半分投げやりになっているというか、細かいことにこだわるのはやめようと思い、徹底的に楽しみにして時間を堪能してやろう、と思ったりもしている。今の時間は取り戻せないように感じるので、限られた時間だと思うから、壊れても期待外れでもいいやって。やって駄目ならいいやって。

思いつく限りのことをやって、それが原因で何かがうまくいかなければ、それはそれで後悔がないのかなって。躊躇することの後悔の方が大きいのかもしれないから。 

大きな時の流れの中で、出会い、一緒にすごす。どういう訳か安藤裕子という人を見つけたり、ものすごく大きな地震が起きたり。本当は彼女ではなくても良くって、それは海に潜ることでもよかったのかもしれないし、空を飛ぶことでもよかったのかもしれない。
 

それとね、何か失われた体験というか、たぶん生きてくる中で、青春と呼ばれるような時期にはお金がなかったし、働かなきゃいけなかったし。だから歩いて遠くの海を見に行ったり、自分のことを紙に刻み込んだりしていた。でも、多感なその時にやり残したことがあるのかも、となんとなく思う。

本当はコンサートとかは全身でのめりこめる10代終わりから20代前半くらいに体験するのかも。そうしたらもっと頭から突っ込んで面白いのかも。もっと影響を受けるのかもしれない。

だから初めての追体験を今しているのかもしれないなと思う。それができるようにもなったんだな。お金がということではなく、気持ちがそうなったのかも。

これまでは海とか山とか自然の方にしか気持ちが向いていなかった。人も社会も半ばあきらめているというかなめてかかっているというか。だから音楽とか、まして歌っている人に共感したり歌によって何かを伝えてもらえるほどの力は歌にはないかなと思っていたのかもしれない。

安藤裕子は思ったよりもすごかった。CDよりもずっとすごかった。今、この思いの中で生きている時にそこにある歌だから強くいろいろなことを感じるんだろうな。

今の私でなかったら、今の気持ちでなかったら、こんなふうには感じなかったかもしれない。


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本稿 Ⓒ2019 青海 陽
画像 Ⓒ安藤裕子@TOKYO M.A.P.S 2011

読んでいただき、ありがとうございます!☺ かつての私のように途方に暮れている難病や心筋梗塞の人の道しるべになればと、書き始めました。 始めたら、闘病記のほかにも書きたいことがたくさん生まれてきました。 「マガジン」から入ると、テーマ別に読めます(ぜんぶ無料です)🍀