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安藤裕子との距離(1) オンラインライブ 2020 まで

2019年7月19日
    初めてオンラインライブを見た。どうしても安藤裕子に会いたかった。それで今日は早退した。職場の皆さん、ごめんなさい。
    今回はオンラインライブ前までの話です。

 私の安藤裕子のファン歴は、最初の難病の入院後からだから十年くらいだ。一時期はマニア的なのめり込み方をしていて、行ける範囲のライブにはすべて行っていた。

 一番心残りなのは、2019年の年明けのライブだった。チケットを時々取り出して眺めながら、ライブの日を待っていた。けれども、ライブ直前の年末に心筋梗塞で救急搬送され、1月6日のライブ当日は、病院のベッドの上で、術後の心室頻脈に緊張していた。

 その後、安藤裕子の活動の中心は、ライブハウス(ZeppTOUR)や、他のミュージシャンとのコラボ(QUATTRO MIRAGE等)、一部のフェスに限られるようになっていた。スタンディングのライブは、長時間同じ姿勢で立っていられない私の体では、行かれるものではなかった。

 実は、そのチケットを流してしまったライブが、これまでの活動の一区切りとなる意味のあるライブだったことを、後で知った。
    長く安藤裕子の楽曲を作ってきた、キーボードの山本隆二とギターの山本タカシとのライブはそれが最後となり、その後、安藤裕子は所属レーベルもやめたのだった。
    十年にわたり追いかけてきた身としてはなおさら、最後を見届けられなかったことは悔しかった。

 約5年前、安藤裕子は、「自分の中ですべてが終わってしまった」というようなことを言って、曲を書かなくなった。
    「終わり」と表現されていたアルバムは、2015年1月に出た8枚目の『あなたが寝てる間に』だった。後ろから2曲目「73%の恋人」は、安藤裕子には元々恋愛の歌が少ない中で、さらに特異な、実らない束の間の男女関係の歌だった。最後の曲「都会の空に烏が舞う」は、映画のラスト・シーンにも似ている。ライブでのラストを想像させるような曲だった。実際、その年のライブでは、最後に、彼女は光の中でバレエのステップで舞い、舞台を終えた。この2曲が何かの暗喩のように感じた。

 「終わってしまった」が何を意味するかはわからなかった。その頃、私はライブのたびに彼女に手紙と絵本を渡し、ツイッターでもDMを送っていた。その頃のいくつかの曲は、私が送った言葉を拾って書かれていると思われた。一方、直接の交流がない中での気持ちの距離の取り方は、私にとっては難しいものだった。それほどまでに、私はのめり込んで、距離感を見失っていた。今思えば、危ない精神状態だったのかもしれない。彼女の行き詰まりの理由が、「私との間の何か」なのではないかとずっと気になっていたのだった。確かめる術はもちろんなかったが、ずっと読まれていた私が送っていたTwitterのDMが、読まれなくなったのがこの時期だった。

 単純なスランプではないように見えた。「曲が作れないシンガー・ソングライターに居場所はない」と言ってレーベルを去り、同時に、長く続けた先の三人の関係も解消した。彼女の曲を光るように磨いていたのは、三人での作業だった。だから、決別は彼女の音楽活動が事実上の終わりになる可能性が高かった。それは彼女が一番よく知っているはずだった。それ程に、彼らの存在が大きかった。

 2015年のアルバム『あなたが寝てる間に』の後、彼女は本当に曲が書けなくなったようだった。周囲が、他のミュージシャンからの楽曲提供を提案し、初めて大部分が自らの楽曲でないアルバム『頂き物』を2016年3月に出した。これを最後に所属レーベルcutting edgeを辞め、次のアルバム『ITALAN』までの2年間アルバムは作られなかった。その間紙ジャケットのCDシングル「雨とパンツ」がわずかに1枚。ネット配信が2曲(「探偵物語」「これでいいんだよ」)であった。アルバム『ITALAN』を含め、この間発表された曲はマイナーコードで不協和音も多く、調子が悪いのは明らかだったし、彼女が本当に望んで書いている曲ではないことは、容易に想像できた。

 ライブ活動では、夏フェスのいくつかに参加しているようだったが、もう再起はないのかもしれなかった。

 彼女のTwitterとInstagramが、かろうじてファンとのつながりを保つ手段だった。一方で私は違和感をもち、その世界になじめなかった。彼女は比較的高い頻度でInstagramを更新していたが、音楽活動をしていない彼女の、おしゃれなランチや犬の話には、興味は持てなかった。
 プライベートについての投稿は、何か痛々しいような感じがして、見ることができなかった。彼女の投稿であれば、何であれ好意的なコメントを残すファンの内輪感も好きになれなかった。

    私は時々、彼女の歌を、車を運転しながら聞き、口ずさんだ。多くの曲は歌詞を見ないでも歌える。私は、「あの頃」の安藤裕子の声を聴いていた。


 そんな中、6月に突然通達のメールが来た。これまでのファンクラブを解散するという。
    ファンクラブは、チケットの優先予約ができるライブ会員の性質のものだった。今の感染拡大の情勢では、ライブは開催できない。まして、ファンクラブは前のレーベルの際の仕組みであり、清算されるのも仕方ないこととは思う。しかし一方で、会員はライブがなく特にメリットがなににも関わらず、会費を払って応援している訳で、最初にお礼とお詫びがあるべきでは、と思った。
    この通達には「切り捨てられた」感があった。旧来のファンを一度切り、新しい仕組みに乗る人を、再生する安藤裕子のファンの核にするのか、と思った。

 とは言うものの、私はかつて彼女に会った時に「一生聴き続けます」と言葉で伝えたのに、信じ切れていなかった。ずっとついて行けるのか?と疑っている自分がいるのも確かだった。

    そんな時間が続いた中での、オンラインライブだった。


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文 :Ⓒ青海 陽

読んでいただき、ありがとうございます!☺ かつての私のように途方に暮れている難病や心筋梗塞の人の道しるべになればと、書き始めました。 始めたら、闘病記のほかにも書きたいことがたくさん生まれてきました。 「マガジン」から入ると、テーマ別に読めます(ぜんぶ無料です)🍀