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尾崎亜美 好きだった人に再会する

実は中学の頃から尾崎亜美が気になる存在だった。「好き」とはっきり意識はしていなかったが、気づけば歌声をずっと耳で追っていた。何だか初恋みたいな表現だけど。


🔹オトナの歌

確か日曜の夜8時にFMでやっていた、ミュージシャンにインタビューしながらアルバムの曲を流す番組での、彼女の柔らかい話し方が、私の気持ちに触れていた。話すときの声の出し方がとてもやさしかった。
その頃、録音して繰り返し聴いていたのは、水曜の夜中の1時から3時にFM東京でやっていた「ミュージック・マインド」で流れた「あなたの空を翔びたい」だった。

あなたの空を翔びたい 尾崎 亜美(YouTubeリンクofficial)

「Kiss again
あなたのまなざしが
かげりはじめたのも気づかず
いつわりの「ノン」を言った日を
忘れてはくれない」

中学2年生で、どのくらいの実感をもってこういう歌の歌詞を聴いていたのかわからない(今でも微妙なニュアンスはわからないのだが…)。当時は自分なりの解釈で聴いていたのだろう。


同じようなイメージで聴いていたのは、倉橋ルイ子や八神純子だった。

ラストシーンに愛をこめて 倉橋ルイ子(YouTubeリンク

夢見る頃を過ぎても 八神純子(YouTubeリンク)


たぶん、曲のドラマチックな空気を感じて、聴いていたのだと思う。

同じ頃に聴いていた中島みゆきの「悪女」や「横恋慕」は、気に入っていて相当繰り返し聴いていた。歌詞を見ないでも歌えたけれど、後で思い返せば、かなりオトナの話なので、歌詞の意味が全然わかっていなかったと思う。

「女のつけぬ コロンを買って
深夜のサ店の鏡で うなじにつけたなら
夜明けを待って 一番電車
凍えて帰れば わざと捨てゼリフ」

中2にはまったくわからないだろうなあ。


🔹耳で追っていた

で、そうそう尾崎亜美。どんな感じで声を耳で追っていたのか。尾崎亜美は作詞作曲した曲を当時のアイドルに提供していたが、その声質もあって、よくコーラスでアイドルの曲に参加していた。

例えば、松田聖子の「天使のウィンク」「ボーイの季節」や松本伊代「時に愛は」観月ありさ「伝説の少女」等がそうだった。天使のウィンクのバックコーラスの声が尾崎亜美なものだから、私はいつも松田聖子ではなくそちらに聴き耳を立てていた。
声が好きなんだと思う。そして、この人の場合、提供したアイドルよりも本人の方がかなり上手く、本人が歌うと全く別のいい歌、なのだった。当時の尾崎亜美の伝説の少女なんかは相当にかっこいい。

伝説の少女 尾崎亜美(YouTubeリンク)


「時に愛は」は中三の頃だったか、FMで録音できたので、松本伊代ではなく、こちらの方を繰り返し聴いていた。

時に愛は 尾崎亜美(YouTubeリンク)



こんなかっこいい曲もあって聴いていた。

Stop My love 尾崎亜美(YouTubeリンク)



🔹近づけない悲しみ

その後、高校以降はずっと聴かなくなってしまった。実は活動をしていなかったのではないかな。そう、「好き」と言い切れなかったのは、どの歌の中にも陰のような悲しみがあるのが感じられて、手放しで没頭できなかった。
メロディを好きだと思うのも同じ理由だとは思うのだけれど、どうやっても知ることができない悲しみがあって、拒まれているような気がしていて近づけず、気持ちが離れてしまった。


🔹再会

再び出会ったのはYouTubeで、昔好きだった歌をランダムに検索していた時のことだった。『Deep』という曲を聴いた。意外なメロディ展開が新鮮だった。声はやっぱり好きだったのだけれど、こんなに踊る人だったのか、そして、ライブの時の不思議な衣装は一体…?エンターティナーなのか、と思った。
そんな時に4枚組のベストアルバムが出たので買った。そして当時のアルバムも全部買ってしまった。同じ暗い陰は相変わらず感じるのだけれど、私はやっぱり好きなのかもしれないな。そう思ってしまった方が楽かもしれない。改めて聴くといい曲がいっぱいあった。

風のライオン 尾崎亜美 with 福山雅治(YouTubeリンク)
 


🔹会いに行く

今、彼女はもう還暦を迎えたらしい。それはそうだ、私が中学の時にはもう歌っていたわけだから。一度会いたい、そう思って探して見ると、彼女はまだ歌っていることを知った。それでライブのチケットの抽選に応募してみると当たった。小さい会場だけど、前から9列目の真ん中あたり。何十年目にしてやっと会える。


2019年11月4日、尾崎亜美に会いに行った。渋谷の「大和田さくらホール」という区営の小さいホールだった。尾崎亜美は目黒区在住とのことで、自宅から近いこのホールで、毎年コンサートを細々とやってきているらしい。何十年も前から思っていた人に出会ったら、私はどんな気持ちになるのだろうと、行く前に考えてみたが想像がつかなかった。

実際に出会ってみて、目の前で彼女が生きて歌っている姿は、過去と現在がいきなりつながってしまったような驚きがあって、ワクワクする体験だった。

コンサート半ば、呆然とステージを見ていたら涙があふれてきた。松本伊代に提供した「時に愛は」を聴いて気持ちが動揺した(後で知ったのだが、私のすぐ後ろの列の何人目かに松本伊代本人が座っていたらしい)。
次に歌った、松田聖子に提供した「天使のウィンク」の時に涙が流れた。
ずっとずっと前、中学生の頃に聴いていた感覚を思い出した。がむしゃらだった少年の自分が愛おしくて涙が出てきたみたいだった。

ほとんどが繰り返し聴いていたよく知っている曲で、それをまさに目の前で尾崎亜美が歌っている光景は、夢の中のように、まぶしくて少し色彩があせて見えた。


トークが長い、ゆったりとした流れのコンサートも、初めての体験だった。
彼女は、昨年の2月24日、地方でのコンサート2日目の開演5分前に闘病中だった母が亡くなったことや、母への思いを、丁寧に自分の言葉で語っていた。「殺伐とした今だからこそ優しい歌をたくさん歌いたい」と言って歌った「明日にかける橋」や、「今日は母のために泣かずに歌う」と言って歌った「Soup」。ほんとうにお母さんが大好きだったんだな。

バックバンドはサディスティック・ミカ・バンドのベースだった夫の小原礼で、その他のメンバーもティンパンアレーのメンバーだったりと、既に六十代後半の大ベテランであり、音楽界のレジェンドたちなのだ。
ギター3(内1がコーラス兼)、ベース1、ドラムス1、キーボード2(内1が尾崎亜美で生ピアノとシンセサイザー)という構成。それぞれの演奏技術の高さは、演奏に呼吸を感じるような体感覚からも想像できた。それをバックバンドとして使っているという贅沢な構成なのだった。

そしてわかったのは、彼らは「ファミリー」なのだろう。結びつきが強く、プライベートでも何十年の付き合いがある仲なんだ。それがあたたかさでもあり、落ち着きでもあるのだろうけど、初めて参加する私にとっては、少し入りにくさを感じる。内輪な感じって、部外者には違和感がある。あの世界を好きになれるかどうかなんだろうな。
来場者の多くを占めていた50代終わりから60代くらいの人たちは、彼らのファミリー感を近く感じているのだろう。内輪の話に笑っていたし、多分過去の彼らのエピソードもよく知っている。彼らバンドメンバーの音楽を昔聴いていた人、昔からずっと聴いている人と、大昔の尾崎亜美のファンなのだろう。最近の音楽は聴けなくても、ライブにも参加できなくても、尾崎亜美なら安心だろう、優しいから。


今回はオペラグラス(小さい双眼鏡)も持って行って、どんなにか彼女が力を込めて歌っているのかもよくわかった。そして何よりも彼女は歌が大好きなんだ。外見は確かに年を重ねていたけれど、彼女はずっと変わらずに生きてきたんだと感じることができた。




大好きな絵本に手紙を付けて贈った。終わった後にCDを買えば、近い距離で話せたのだけれど、それは今回はやめておいた。ステージで感じたものを壊したくなかったし、握手しても「私はたくさんのなかの一人に過ぎないんだな…」って、短い時間の社交辞令の中に感じるのは淋しいから。ハイになるだろうその後の自分も嫌だし。

振り切って会場を後にした。
気持ちをうまく伝えられないのも、
初恋の頃と変わっていないのかもしれない。



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本稿 Ⓒ2019 青海 陽
画像 Ⓒ尾崎亜美official

読んでいただき、ありがとうございます!☺ かつての私のように途方に暮れている難病や心筋梗塞の人の道しるべになればと、書き始めました。 始めたら、闘病記のほかにも書きたいことがたくさん生まれてきました。 「マガジン」から入ると、テーマ別に読めます(ぜんぶ無料です)🍀