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宇宙戦艦ヤマト


 音楽を耳にした時に、それを聴いていた頃の記憶や感覚が思い出されることがある。映画の中で流れていて無意識に聴いていた音楽でも、同じことが起こるらしい。むしろ、映画の方が物語への思い入れがある分、その時の価値観や世界観が丸ごと感覚的に思い出されるのかもしれない。YouTubeでたまたま再生リストに挙がった宇宙戦艦ヤマトの曲を聴いて、そんなことを思った。

●交響組曲宇宙戦艦ヤマト
https://www.youtube.com/watch?v=Dr9cCqhFsk0
 これらが後に、「アニメの音楽ではなく映画音楽だった」と評される、宮川泰氏の作品だったことを知った。


 宇宙戦艦ヤマトに熱中していた時期があった。

 夕方やっていたテレビアニメは、小学校1、2年生の頃だったろうか。住んでいた四階建てのアパートの2軒隣りの同級生の家の窓がある畳の居間で見た光景を憶えている。
 オープニングの曲で、土の中から巨大なヤマトが泥をふるい落としながら這い上がってくる映像を見た。でも、その頃は特に関心はなく見流していたのだろう。

 その後、小学校の5,6年の頃か、テレビでは『宇宙戦艦ヤマト2』をやっていた。この時期にヤマトに没頭していた。
 通学路の途中にあった、ウィンドウに戦車のジオラマを飾っているプラモデル専門店で、確か200円だったヤマトに登場する戦闘艦のプラモデルを、小遣いをもらう毎に買って、組み立てて色を塗っていた。当時一番好きだった戦艦は、ヤマトを除けば「アンドロメダ」だった。この船はヤマトにさえ一つしかない波動砲を二門備えていて、おそらく地球連合艦隊の旗艦だったのだろう、一撃のミサイルで撃沈されてしまう多数の「主力戦艦」等と違い、一艦のみ存在したと思われる。
 プラモデルは敵の艦船や戦闘機等までもがラインナップされていたことからも、当時ヤマトは相当流行していたのだろう。人気のある地球艦隊の戦艦等は売り切れでなかなか買えず、仕方なく店にある中から選ぶこと多かった。それで私は敵戦艦の「ナスカ」などを渋々買って作っていた。

 同じ頃に、映画版の『さらば宇宙戦艦ヤマト』が公開されていたはずだった。けれども、小学生の私たちにとっては、映画は「都会でやっている大人のもの」であって、見に行けるような気軽さはなかった。その約2年後、映画『宇宙戦艦ヤマト ヤマトよ永遠に』が公開されたが、これも見に行くことはできなかった。

 その後しばらくして、自宅から数駅の所にある壁が深緑色のトタンでできているボロボロの小さい映画館で、ヤマトが二本立てでそれも一本分の料金で上映されると聞いて驚いた。そこは生活圏の中で、都会ではないので行かれる場所だった。
 何週間も前から待ち合わせや行動の時間表を作って、当日はおにぎりを作ってもらい出かけた。映画は2本立てだったが、当日行ってみて入れ替え制でないことがわかったので、2本目を見終わってから弁当等食べて、そのまま2回目の2本を見たのだった。合計8時間くらい見ていたことになる。映画館の外に出た時は暗くなっていた。物語に没頭し堪能し切った満足感で、友達との間の空気は、黙っていても満たされていた。

 YouTubeのコメントを見て、同じようにヤマトの体験をしている世代がいることを知った。当時ヤマトは大学生も見ていたので、年代の幅は十歳くらいあるのだと思う。「あの頃、確かに守るべき何かがあった」というコメントの言葉の感じがよくわかる。

 当時、戦争を賛美していると評されることがあった。ヤマトがかつての日本海軍の旗艦「大和」をモチーフにしていることから、若者の熱狂に大人は危惧を感じたのかもしれない。
 夢中になっている私たちを見て、戦争を辛うじて知っている世代の親からも、戦争の辛さ、怖さの話があった。でも物語は絶対に戦争賛美ではないと当時も思ったし、今でもそう思う。登場人物が闘いの中で死んでいく物語はショックであったし、その悲しみは辛いものだった。緑色の肌を持つ敵にさえ、彼らが生きている社会の規範や価値観に悲しみを感じ、理不尽と思える征服を止めるために闘わなければならないことに無情を感じていた。時に、敵と気持ちを通じ合う場面も描かれていた。


 地球を発つ時の凛とした緊張は、かつての戦地に赴く姿よりも、ロケットで出発する宇宙飛行士の姿に似ている。何かを選択して前に進まざるを得ないのは、多分「使命」であったのだろうが、立ち向かっていたのは敵ではなく、今よりももっと闇が深かった未知の宇宙だったのではないか。それを象徴するのが、いくつものシーンで宇宙に響き渡るスキャットの女性の声だった。

●宇宙戦艦ヤマト組曲 宮川泰
https://www.youtube.com/watch?v=yjcebovQ_bQ

今回驚いたのは、スキャットの声の主の映像が残っていることだった。その人の名は川島和子というそうだ。その人に名前があることも驚きだったし、その姿を見ることができるとは想像していなかった。四十年を経た邂逅だった。

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文 :Ⓒ青海 陽
一つ目のリンク:
宇宙戦艦ヤマト ベストコレクション
YAMATO SOUND ALMANAC 1982-V「DIGITAL TRIP 宇宙戦艦ヤマト~シンセサイザー・ファンタジー」
商品番号 COCC-12227
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