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運動をするということ その2

運動は苦手です。
毎度記しているように、小児喘息のせいで(を確実に言い訳にして)スポーツをする人生は今の今まで訪れませんでした。

ですが、私に転機が訪れます。
小学校から仲が良かった友達が、ソフトテニス部に入ると言うのです。
私はここだ!と思って満を持して一緒に入部することにしました。

てことは、「スポーツをする人生は今の今まで訪れませんでした」っていうのは嘘じゃないかと思われるかもしれません。
ですが、それは事実なのです。
「入部はしたけど、スポーツはほぼやっていない」のです。

社会人になって、「スポーツは何かやってた?」と事あるごとに訊かれます。
当然、「ソフトテニス部に入っていました」と答えます。
嘘ではないです。ただ、全く真面目にやっていませんでした。

たしかに、成長するにつれて小児喘息は完治しました。中学2年生になるときにはもう喘息が発症することはなかったように思います。ですが、幼いころから培ってきた運動神経の悪さは、そこら数ヶ月、数年では取り戻しようがありません。
となると、退部すればいいじゃんと今でこそ思いますが、学校という狭い世界の中で、思春期の私には、「途中で部活を辞めた奴」というレッテルを貼られるのがたまらなく恥ずかしいことだと思っていました。
そしてなにより、楽しかったのです。

そこで仲良くなった友達は今でも友達ですし、次にできた夢は彼がきっかけでした。
ソフトテニス部で過ごした3年間は、私にとっての青春時代としては充分すぎるほどのものでした。

ただ、ここでも問題が。
顧問が福岡県中学ソフトテニス連盟の副会長をされていたのです。
その名の通り、福岡県の中学ソフトテニス部の中ではそこそこ地位のある方でした。
練習はしっかりと厳しく、元々運動神経が悪い私には辛いものもありましたが、サボりサボり、なんとか辞めずに引退することができました。

中学3年生の夏まで、細かな楽しかったことは数えきれないほどありますが、到底胸を張って表に出せるものではないので、心の中に留めておきます。

そんななかでも、私にとってのソフトテニス部での思い出は、2人の人物で構成されています。

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