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ミラティブの分析部部長のさかもとです。かなり長めの自己紹介

こんにちは。ミラティブの分析部で部長をしている坂本です。
ミラティブはいま絶賛データアナリストを募集中で、自分自身のことを知ってもらいたいなと思って長めの自己紹介を書いてみることにしました。

ミラティブの入社フローは、面接や面談を通じてお互いのことをわかり合うというものですので、まずは自分から自分自身のことを発信することにしました。未来のチームメンバーに届けばいいなと思っていますし、分析屋のキャリア論としても参考になるかな、、とは思います。

2010年:就職

今から12年前の2010年、ソニーグローバルソリューションズという会社に入社しました。そこでは、ソニーの社内SEのような仕事をしていました。最初の2年間は研修で、いろいろな部署をローテーションしました。
いまでこそDXという言葉がもてはやされていますが、入社当時から「デジタルトランスフォーメーション」という言葉でDXを進めていました。

SAPのアプリケーションエンジニアとして働いたり、データセンターの配置戦略に携わったり、大規模なデータ移行を経験したり、様々な経験をさせてもらいました。

研修としてJavaを使ってWEBのCRUDシステムを作ったり、業務経験として簿記2級を取ったり、応用情報技術者に合格したのもこのころ。ということで、エンタープライズ企業のIT投資の考え方や、大規模なプロジェクトの回し方、そしてWEBシステムがどう動いているかという基礎は社会人2年で身につきました。

2012年:DeNAに転職

ソニーグローバルソリューションズで様々なシステムを扱う中で、データベースに保存されている様々なデータをみてきました。それこそ、今週製品Aがどこで売れたなどの情報がシステムには入ってきていました。
大学、大学院と理数系だった私は、このデータに対して大変強い興味をいだいていました。そんな中、一つの記事に出逢いました。

それは、リクルートがデータを使って数億円もの成果をだしているという記事でした。リクルートの西郷さんの単独記事だったのですが、今となっては見つけられず、似たような記事を貼っておきます。

その記事がきっかけで、データ分析の道を志すようになりました。興味でRを触り始めたり、自宅サーバーにHadoopを入れたりして徐々に勉強を深めていきました。
そしてリクルートグループを含む数社の面接を受けさせていただき、データ分析の環境が一番揃っていたDeNAに転職しました。(ゲームのデータであれば粒度が細かくデータ分析に集中できると思ったため。他の会社さんはデータ分析環境の構築や、散らばった会員データの名寄プロジェクトなどに投資されているフェーズでした)

DeNAでは、ソーシャルゲームの分析を担当しました。当時の分析チームのリーダーは友部さんという方で、東大助教から転職してきたという異色のキャリアを持つ人でした。(コロナ禍が落ち着いてきたら呑みましょうと約束してなかなかコロナ禍が落ち着かない…)

友部さんの背中を見て育ち、超えたい背中として、ロールモデルとして強く意識してきました。ちなみに今現在、当時の友部さんと同じくらいの年齢なのですが、超えられたかなぁ・・・トントンか、うーむ。これは今度話したときに聞いてみます。

業務内容は、モバゲーのデータを分析して、ユーザーさんにゲームをより楽しんでもらう仕組みを作ることでした。ガンダムやワンピースといったIPもののゲームに携わらせていただいたり、分析サブチームのリーダーとして起用いただいたりしました。(ここで現ミラティブCEOの赤川と一緒に仕事をするのであった)

当時の分析内容としては、

  • グループバトルのゲームシステムにおいて、どんなユーザーさんどうしをグループにすればバトルがより盛り上がるのであろうか

  • ボスの強さやボスを倒したときの報酬はどう設計すべきか

  • 新ガチャのカードの強さをどれくらい設計すべきか

など、ゲーム運営における意思決定をたくさんデータで支えてきました。転職した初日に「このデータ全部分析していいんか」と感動を覚えたことを今でも思い出します。

DeNAは2年ほど在籍したのですが、エンタメで培ったデータ分析を他のビジネスでも応用したいなと思い、次の会社にチャレンジしたいなと言う気持ちが芽生えてきました。

また、当時のDeNAでは、退職する際に卒業制作をするブームがあり、自分がまとめたデータ分析のテキストを作って配ったのは思い出です。

卒業制作の一環として作ったテキストの目次

2014年:freeeに転職

2014年、当時20名程度だったfreeeに入りました。麻布十番のオフィスで大きな卓球台があるオフィスでした。freeeでは本当にたくさんの経験を積ませてもらったし、成長できた環境でした。

データ分析

まず最初はSaaSのデータの分析と、社内のBI基盤を引き継ぐという仕事をしました。すでにRedshiftを使った内製のBI環境が整備されており、そのコードを引き継ぎました。Ruby on Railsで書かれており、最初は少し苦労しました。

また、同時にデータ分析も担当しており、「どういう条件を満たすとユーザーさんが使ってくれるのか」逆に「解約されてしまうのか」ということを分析しながら、UIの改修や機能の改修への示唆を出していました。

freeeには勘定科目を推定するエンジンがあり、そのエンジンの改修も担当しました。私が入社した頃はルールベースの推測がされており、例えば「オート」という言葉が入っていると「車両費」が推測されるようなエンジンです。
しかし、ルールベースだと「オートバックス」は車両費でいいのですが、「東京駅オートチャージ」などは旅費交通費にするなどの機微がききませんでした。(優先度という概念を使ってうまく処理していましたが、やはり限界があり、「ローソン東京駅前ホテル店」みたいな入力を与えたときに、ローソンが最も重要な単語だと認識させるのは難しかったです)

そこで、機械学習を使った勘定科目の推測エンジンを作りました。要はテキストをインプットにした他クラス分類問題に帰着させて、そのアルゴリズムをつくり、特許化しました。勘定科目推測エンジンは、「誤った推測をした場合にユーザーさんが修正して、新しい教師データを得ることができる」という特徴と、「ユーザーさんにとって競争力のあるデータではないため、システム全体のデータを使って学習することができる」という点が、非常に機械学習と相性が良かったです。

特開2016-021147から図の引用

そうこうやっているうちに、会社が大きくなり、プロダクトマネジメントの必要がでてきました。私は、「freeeの売り方や特徴がメンバーそれぞれで違う表現をしている」ということを危惧しており、プロダクトのビジョンやメッセージを統一するようなこと、血を通わすことをしたいと申し出ました。それは、DeNA時代に「ゲームの面白さがチームで統一できてないゲームはコケる」という経験をしていたからこそです。

プロダクトマネジメントをはじめる

プロダクトのロードマップを作ったり、新規のプランを作ったり、いろんなことに情熱を注ぎ、freeeのビジネスを拡大させることに腐心しました。
とくに印象に残った仕事は、会社設立freeeというプロダクトを作ったこと、エンタープライズプランを作ったことです。

会社設立freeeは、誰でも簡単に会社設立のための書類を出せるプロダクトです。当時のエンジニアの米川さんのブログ記事を載せておきます。

このプロダクトは、グッドデザイン賞を取るなど社外でも評価されたプロダクトでした。なにより、マジ価値なプロダクトだと今でも思います。

エンタープライズプランは、当時「freeeって個人向けの月1000円くらいの会計ソフトでしょ?」と思われていた時代に「上場企業でも使えるようにする」というビジョンを引っさげて、月数万円のプロダクトに仕上げました。今となってはfreeeの売上を支える柱の一つになっており、これもマジ価値な仕事だったなって思います。

また、社外活動としてpmconf.jp の立ち上げメンバーとしていろいろな横のつながりを作れたことも成長でした。

こちらのカンファレンスは、今や日本最大級のPdMのカンファレンスに成長し、立ち上げに誘っていただいた関さんには大変感謝しております。

最終的にはfreeeのPdMの執行役員となり、freeeのPdMを引っ張る立場でした。freeeでのプロダクトマネジメントを通じて、大変いろんなことを学び、成長しました。

  • ビジョンベースでのSaaSプロダクトの伸ばし方

  • プロジェクトの伝え方、プロジェクト名の工夫

  • 解約率にどう向き合うか

  • ロードマップの引き方

  • なにより、マネージャーとしてメンバーを育てる、成果を出すということの試行錯誤

など、PMFから上場直前までに必要なプロダクトマネジメントはほぼ経験しました。いまは分析チームで仕事をしていますが、分析内容を共有される側の気持ちがよくわかるというのも、この仕事を経験したからだと思います。

2019年:Mirrativへ転職

freeeで「スモールビジネスを世界の主役に」というミッションを遂行していく中で、スモールビジネスではなく「クリエイターが世界の主役になる」という世界を作ってみたいと思うようになりました。
やはり原体験がC向けのゲームだったということもあり、もう一度エンターテイメントの分野で勝負をしたくなりました。

そんな中、Mirrativでそのようなファンクラブ事業を展開するという話があり、その事業責任者という形でミラティブにジョインしました。

リリースしたファンクラブアプリ

オンラインサロンのような形で、配信者さんが有料の自分の部屋を作れるアプリを作ってリリースしました。いわゆる、配信者さんむけのファンクラブアプリです。iOS, Web, Android(リーダー)を作り、PMFするかどうか検証しましたが、思ったように伸びず、1年程度でクローズしました。
freeeで経験したサブスクだし、ミラティブのユーザーベースがあるし、うまくいくだろうと考えていたのですが、重要な仮説の思い違いにより、思ったように伸びませんでした。

クローズが決まったときは、誰もいないオフィスで泣いたことを覚えています。あまり感情的になることはない(特に仕事面ではない)のですが、このときは非常に悔しく、自分の無力さに情けない感情になったし、何より愛してくださっているユーザーさんがいる中で、サービスを伸ばせないことに申し訳無さを感じました。

クローズになったとき、Mirrativを退職するかどうか非常に迷いました。PdMとして挫折の経験をして、それを活かしてPdMに挑戦するか、分析としてミラティブアプリを支える仕事をするか。

ここで、Mirrativのミッションである「わかりあう願いをつなごう」というミッションに共感している自分に気づき、結果的に分析職としてミラティブアプリを伸ばすポジションに残るという決断をしました。

コミュニティサイエンスの発見

ミラティブアプリの配属に戻り、ミラティブの分析を慌ただしく行う中で、コミュニティサイエンスという言葉を作りました。

コミュニティサイエンスとは、
- 人間のコミュニティを時間発展するネットワーク構造と捉えることによる定量的な知見
- 心理学・社会学などをもとにした人間関係に関わる定性的な知見
を合わせることで、人コミュニティの維持・発展に対して示唆を出す学際的な科学領域

出典:ぼく

ミラティブはわかりあう願いをつなぐゲーム配信SNSであり、リアルタイムの様々なデータがあります。

一人では続かなかったことが、視聴者がコメントをくれること、視聴者とコミュニケーションすることで、続けられるようになる。そういう双方向性のコミュニケーションのデータが存在する。このリアルタイム双方向性のデータに向き合って、ミラティブアプリがユーザーさんの居場所になることにやりがいを感じました。

いま、ミラティブではライブゲームという新しい体験を作っています。プレイヤーの体験だけではなく、一緒に場にいる人達のアクションによってプレイヤーの行動が変わる。そんな体験です。

僕はこの体験を提供すること、このデータをみながら、より良い体験を作ることに非常に興奮しています。世界で誰も作ったことがない体験、触ったことがないデータ、それに対峙すること。そんな未来です。今はこの人間と人間が相互作用するときに起こる変化について考察を深めていきながら、「心地いい居場所」を作っていきたい。

まとめ

ちょっと長めに自己紹介してみました。
12年間社会人をしてきており、分析とPdMの双方で経験を積んできました。様々な会社で、様々な経験を積ませていただきました。私と関わってくれた皆様、本当にありがとうございます。

これからも、人間関係やコミュニティに対する新しい発見や定義をしていくことに注力し、ミラティブをいいサービスにすることに邁進していきます。

ミラティブの分析チームでは、上記のようなデータを使ってサービスグロースに携わりたい方を募集しています。

まずはカジュアルにいろいろ話しましょう。記事へのツッコミや、世間話で絡みたい方はTwitterまで。

https://twitter.com/sakamoto_mirra


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