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頭上の剣

ここ数日、人の生死について考えることが多かった。

きっかけはいくつかあるのだが、先日日本でも大きなニュースになったが、有名な若い俳優さんが自ら亡くなってしまったこと、そしてその日に死の生々しさを実際に目にしてしまったことが大きなきっかけとなった。

先週の土曜日の朝、ネットニュースで俳優さんの訃報を目にして驚いた。まだ若くて幅広いジャンルで活躍していた俳優さんが自ら亡くなったというニュースはかなり衝撃的でその後も頻繁にネットからの情報に目を通した。

次々と更新される彼についての情報は、彼の生前の活躍について触れその死を悲しむものが多い。
私は特別ファンだという訳ではなかったので、彼の死をきっかけにメディアで紹介される彼の活躍を知ってより悲しく、そして何故自ら死を選んでしまったのかという疑問が膨らんだ。

その日の夜、彼と街にでてお散歩をしているとき交通事故の現場に遭遇してしまった。多くのパトカーや救急車、警察官と野次馬も見えたので遠くからでも大きな事故だったとわかった。現場の前を通ると、前方が破損した車と明らかに人が亡くなったという形跡が残されていた。
その現場があまりにも生々しく人間の死を物語っていて、帰り道はずっと心が重いままだった。

事故で亡くなった人はもちろんだが、その家族や恋人、友人たちなど残されてしまった人のことを考えると、とても悲しくやりきれない気持ちになる。そして、それを自分の周りの人に置き換えて考てしまい、恐ろしくなった。

そんな重たい心を引きずりながら歩いていると、彼が「ダモクレスの剣」というギリシャ神話の話をしてくれた。

その話は、王がある宴会の場で王の地位を羨むダモクレスを彼の王座に座らせた。ダモクレスは喜びながら王座に腰をおろしたが、王座に座る彼の頭上に髪の毛いっぽんで剣が吊るされていることに気付きダモクレスは逃げたした。
王はその細い髪の毛だけで吊るされた、いつ落ちてきてもおかしくない剣の存在で、王の座に座るものは常に危険が伴うということを示したそうだ。

彼は続けて、きっと私たちの頭上にもこのダモクレスの剣が存在していて常に命の危険にさらされているのだから、危険を回避しつつ、楽しい日々を送りたいと話した。

確かに、私がいくら気をつけて日々生活をしていても、唐突な事故やきっかけで命を落としてしまうかもしれないし、それは私の意思では避けることができないものもある。
いつ落ちてきてもおかしくない剣の下で、私たちは偶然にも生き延びているだけで死は思っているより近い存在な気がした。

その剣は、車や自転車で引き起こされる事故かもしれないし、唐突な病気かもしれないし、他人の些細なひとことかもしれない。

今回の事故で亡くなってしまった人、自ら死を選んでしまった人、その立場は全く他人事ではなくいつ自分が彼らと同じ状況になってもおかしくはない。私たちはみんな同じ、髪の毛いっぽんで吊られた剣の下を生きているのだから。

私は今回、死をとても身近に感じたことで私の頭上の剣の存在を意識するようになった。それはいつ落ちてくるかわからないが、自分で頭上注意することで剣の落下を防ぐことができるかもしれないし、他人を落ちてくる剣から守ることだって可能かもしれない。大切なのはその存在を認識していることだ。

そして、いつか必ず落ちてくるその剣を後悔することなく受け入れられるように濃度の高い人生を送りたいと強く思った。

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