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オペラの誕生、そして発展

前回の記事でオペラの誕生についての説明をした。

(今までは自分の言葉で、割とくだけた文章でnoteを書いていたのだが、この勉強記録マガジンでは試験なんかのために作ってイタリア語でまとめた資料を基に書いているのでどうしても堅苦しくなってしまうのが反省点である。)

1600年、メディチ家の婚礼のお祭りで現存する最古のオペラであるエウリディーチェが上演された。

この物語はギリシャ神話に基づいてオッターヴィオ▪リヌッチーニによって台本が書かれた。

物語は、半神で歌手でもあるオルフェオその妻エウリディーチェの婚礼の祝いのなか、エウリディーチェが毒蛇に噛まれて死んでしまいオルフェオが地獄まで彼女を連れ戻しに行くという話。

作曲はペーリが担ったと書いたのだが、実はこの初演の際に作曲家同士で少し揉め事が発生していた。

ペーリは当時メディチ家からこのオペラの作曲を依頼された。それを上演するにあたって歌手が足りなかったので、同じくフィレンツェで活動していた作曲家であるカッチーニに彼の関与する歌手に出演を依頼したのだが、カッチーニは彼の歌手達がペーリの作曲した曲を歌うことを認めなかった。なので仕方なくカッチーニの歌手が歌う部分はカッチーニが作曲した曲に差し替えて上演されたのだ。

Giulio Caccini 1551-1618

この事から分かるように、カッチーニという音楽家はかなり難しい性格をしていたらしい。
恐らくカッチーニより若くして仕事を任されたペーリに嫉妬心があったのだろう。
他にも、最初の*オラトリオを作曲した音楽家であるカヴァリエーリともライバル関係にあり、エウリディーチェと同じ婚礼の祝いで上演されたオペラ「チェファロの強奪 “Il rapimento di Cefalo”」の作曲をカヴァリエーリから横取りした。
そのことでカヴァリエーリは激怒し、フィレンツェを去ってしまった。

*オラトリオとは宗教的、道徳的な題材で、オペラと違って動作や衣装などを用いることなく独唱、管弦楽、合唱によって構成される大規模な音楽作品

当時は芸術、特に音楽や劇、オペラなど派手で目を引く催し物は貴族から彼らの豊かさを見せつけるために重要視され、かなりの費用がかかっていたこともあり、それを制作する芸術家達の環境やプレッシャーも厳しいものだったのだろう。

最古のオペラが上演された次の年、1601年にはペーリとカッチーニ両者ともそれぞれの楽曲が出版された。

フィレンツェで誕生したオペラはその後、マントヴァでクラウディオ•モンテヴェルディによってさらに発展した。

↑Claudio Monteverdi 1567-1643

モンテヴェルディはルネサンスとバロックどちらの時代でも優秀な作品を残した作曲家である。特に彼が生涯作曲を続けた*マドリガーレは素晴らしい作品が数多く存在している。

*マドリガーレとは14世紀初頭から続くイタリア発祥の多声歌曲である。

モンテヴェルディは当時マントヴァで宮廷楽長として働いており、音楽好きのゴンザーガ伯爵公爵に仕えていた。

彼らは1600年のエウリディーチェの公演に影響を受けて1607年に彼の最初のオペラとなる「オルフェオ "Orfeo"」を作曲する。台本は当時の宮廷書記官であったアレッサンドロ▪ストリッジョによって書かれた。
オルフェオとエウリディーチェはどちらも同じ神話を基にした物語であるが、1600年のエウリディーチェと1607年のオルフェオの大きな違いは物語の終わり方である。

最初にも書いたように、エウリディーチェは婚礼のお祭りのために作曲されたオペラであったので悲劇的な神話を基にしたが、それをハッピーエンドに書き換えられていた。
その7年後にマントヴァで上演されたオルフェオは宮殿の広間である程度の音楽知識がある観客の前のみで行われた。なので物語としてはより基になった神話に忠実になっており、オルフェオはエウリディーチェを地獄から連れ戻すことに失敗し、失意で自暴自棄になり最終的には命を落としてしまうという悲劇的な最後をむかえる。
しかしその2年後に出版されたバージョンでは、妻を失って失意のオルフェオを彼の父であるアポロが迎えにきて二人で天に昇るというハッピーエンドに書き換えられた。

↑恐らくここで1607年のオルフェオの初演が行われたのではないかといわれている。(Galleria dei Fium. Mantova Palazzo ducale)

このオペラの特徴としては、場面によって演奏する楽器を分けたことによりハッキリとしたコントラストが生まれたことがいえる。

オルフェオとエウリディーチェが生きていた「地上」では弦楽器、リュート、チェンバロ、オルガン、リコーダーが登場人物を担って演奏する。

一方の、オルフェオがエウリディーチェを連れ戻しに行く「冥界」の場面では管楽器、トロンボーン、そしてオルガノ•ディ•レンニョと呼ばれる小型のオルガンが主に演奏をすることで場面の雰囲気をハッキリと分けてコントラストをつけることに成功した。

また、物語の状況や心理描写を表現するのに合唱を多く用いて、さらに楽器と同じく地上と冥界の声部を変えることで二つの世界の対比を深めた。

そしてこのオペラで最も有名なのが第三幕でオルフェオ歌われる"Possente spirto" である。
この場面では、エウリディーチェを取り戻すために冥界へ行くために渡らねばならない川の渡し守であるカロンテを彼の歌の力で説得しようとする。

ここでモンテヴェルディは本当に音楽に力を与えるために当時の歌唱技術をすべて駆使し、多くの装飾が施された。また、楽器は通奏低音の伴奏と、さらにハープやヴァイオリン、ツィンクと呼ばれる管楽器と歌の掛け合いが披露され、クライマックスに向けて徐々に近づき最終的に歌とオーケストラが完全にひとつになる。

このような演奏は当時では画期的であり、その珍しさから多くの注目が集まった。モンテヴェルディは元々の神話のオルフェオの歌の力をオペラだからこそ音楽で魅力的に表現したかったのだろう。

Possente spirto

モンテヴェルディは多声音楽に変わって成立したモノディ様式(オルフェオやエウリディーチェ)と、その多声音楽(合唱)を両方使い分けたことでより魅力的で聴衆を惹き付ける舞台を作り上げた。

彼のこの功績はその後のオペラの更なる発展と拡大に大きな影響をもたらしたのだ。

オペラのその後についてはまた今度…

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