診察を受けてACを振り返る

こんばんわ アオコです。
表題につきまして少しずつ思い出して受け止めるということをしていきたいと思いました。振り返ってみると…私の家は機能不全家族でした。

どうしてACを改めて振り返ることにしようと思ったかと言いますと、
昨日、休職中ではありますが、ずっと一緒にやってきた上司と同期と食事に行ったのです。その時、酔っぱらっていたのもあって、私は自分の内側の怒りをあらわにして最終的には、泣き崩れるという醜態をさらしてしまいました。もっと楽観的に生きていい!そういわれたけどなかなかそういう感情にはならなくて、楽観的って何だろう。常に不安で、怖くて、どうしてだろうと深く考えてみました。

楽観的とはきっとこの世界がある程度安全であることを無意識にわかっているという前提なのかなと思いました。ではなぜ私は安全だと思えないのだろうか、常に大きな音や人の視線、他の人と目を合わせることがきらいなのだろうかと誰かとかかわることがこんなに怖いのだろうかと考えてみると、私が育った幼少期に原因があるのかなと思い立ったのです。

私の家は5人家族。男兄弟の間に生まれました。女の子でした。親戚にはほかに女の子はいません。男家系でした。だからなのか、女の子として厳しく育てられました。女の子なんだからお手伝いしなさいとか、おしとやかにしなさいとか、他の兄弟は言われないのにいつも、私にだけに説教するのです。それがとてつもなく嫌で、祖母が家にきているときはすぐに外出したり、2階の部屋に引きこもりました。女の子として生きることが辛く、一人称は僕や俺になりました。それ以来女の子と遊んでいません。

私は両親どちらにもあまり似ていませんでした。そのせいか、親戚のおばさんに似ていて、鼻が変だの、なんだとか言われてきました。兄弟からもブタというあだ名をつけられて呼ばれていました。それ以来私は人の目を合わせることが苦手になりました。顔を見られるのが辛かったのです。

両親はよくケンカしていました。ケンカというより、父が仕事から帰るとお酒を飲みカッとなってしまうので、小さなことでも怒鳴られました。母はまたかという感じで逆なでしないように、かばってはくれませんでした。
母や弟が危ない時は私が止めに入るようにしていました。父が帰ってくる前に私は早々に部屋に上がるようになりました。
兄は抑圧された環境でしんどかったのでしょう。私に暴力を振るようになりました。反抗期というには長くて、私は、父と兄からおびえていました。

早く大人になりたいと思ったのは、6歳の時でした。小学校に上がる前。
私は最後の短冊のお願い事は、「公務員」になりたいでした。
私は学校の教員になるという漠然とした夢を持って、大学卒業までの進路を具体的に考えてそれを全うすることだけを考えて過ごしました。

そこからもっとしんどかったのは、母が買い物のたびに、財布の中のお金とにらめっこしていたこと。計算しては、かごから品物を返すをしていて、
ほしいものなんてねだることができませんでした。母の不憫さと言ったら忘れられません。私の洋服はすべておさがりでした。その時から。「私おさがりがいい」そう言っていたことを思い出しました。

やがて兄は家を出て私は解放されました。悪口を言うやつがいなくなり、父も出世して余裕のある暮らしをできるようになったのです。

でもその時は遅かった。私の中にはお金を使う罪悪感と、ものを欲しがることへの罪悪感、傷つかないために目を合わせることができなくなり、友達と遊んでいれば進学できないかもしれないなんて強迫観念。女の子と仲良くなんてできませんでした。女の子として生きることが苦痛だと感じてしまったのです。男の子と仲良くすれば目立つし、鼻につくのか変な噂を流され、男の子は下心をもってしまう。その下心を使って孤独を埋めていく方法を覚えてしまった。

母によく離婚したらどっちについていくか聞かれました。私は母についていきたいと思っていたし。ほんとにしんどい幼少期でした。


どこかで立て直せればよかったと今では思います。
今になってすべてのひずみが自分を苦しめています。

私が気が付いた、何か辛いものは、罪悪感でした。自分の都合を押し付けているようで、希望休もいれない。子供を置いて食事に行けば、旦那さんへの罪悪感。会社を休めば会社への罪悪感。ごはんが作れなければ、子供たちへの罪悪感。選んで行動しているはずなのに、何を選んでも罪悪感が付きまとっていることに気が付きました。

そう。わたしの生きづらさの正体は、自分が常に抱えてしまう罪悪感でした。

発達障害でもなんでもない。AC特有の他人への不信感や不安によって、視線が気になるのです。

深い傷でした。気が付かずに過ごしてきて。破裂してしまった。

一つ一つ解消しています。
私は結構きれいな顔です。そう周りから言ってもらえる。旦那さんも。子供たちもかわいいって言ってくれる。そう思ったら作り笑いする必要も、目を合わせようとしないで大丈夫だとおもえるようになりました。

罪悪感は自分で稼いでるお金を自分のために使って何が悪いのか考えました。むしろいいことだと思いました。

飲み会で気の許せる相手の前で馬鹿笑いして、本音をぶちまけて何かわるいだろうか。

親はその当時大変だったのだと思います。今それを実感して子育てしています。父は子供の時からヤングケアラーだったようで。そりゃ自分の欲や自由を満たしたいと思いますし。

わたしが女の子として生きること誰も咎める人いません。

言語化できてすごくすっきりした気持ちでいます。最近周りの人からもらう言葉にもやっとしたとき、その言葉から逃げないようにしていくことで、自分の中の課題に向き合えるようになってきました。どうしていやな気持になったのか。振り返ると過去の経験がそうさせている部分があります。

少しずつ強くなってる。実感しています。


今日はこの辺で。

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