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2022年北京冬季パラリンピックへの出場を目指しています

お久しぶりです。青木大和です。

長らくSNSから離れておりました。 
今回は自分の中で新しい決断をしたので、 このような形で書かせていただきます。 

私は、2016年の1月に不慮の事故により脊髄を損傷し、 下半身不随となりました。99.7%の確率で二度と歩くことができない、と 医師から宣告され、目の前が真っ暗となり病室で泣きじゃくったことを いまだに鮮明に覚えています。

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寝たきり生活が約2ヶ月すぎた頃、どうしても事実を受け入れることができず、 どうにか奇跡が起こってほしい、と脊髄損傷に関することを必死に調べる中で、 NHK プロフェッショナル~仕事の流儀~ 200回目の特集に出会いました。 「希望のリハビリ、ともに闘い抜く」リハビリ医 酒向正春さんの回でした。 酒向先生は「攻めのリハビリ」を掲げ、 様々な患者さんの人生を変えてきた方でした。

ろくに眠ることもできない深夜の真っ暗な病室でひとり、 この放送は私にとって最後の命綱でした。 「酒向先生に見てもらえば、再度歩くことができるかもしれない。」 酒向先生の連絡先を探し、様々な方のお力添えによりお会いすることができ、 ともにリハビリをしてくださることになりました。 そこから二人三脚でリハビリに励み、奇跡が起こりました。 はじめてひとりで歩くことができた瞬間。 あの瞬間の喜びと安堵を、私は忘れることができません。 一生車椅子と宣告されていた中、自身もまわりも驚く回復でした。

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そこから退院し、リハビリにも通い続け、無事に通院の必要もなくなり、 杖をつきながらではありますが、 日常生活に復活することができるようになりました。

どん底の日々から日常生活へ徐々に戻る中、 再度、目標を持って夢へ挑戦したいという想いを持つようになり、 現在2022年の冬季北京パラリンピックにアルペンスキーヤーとして 挑みたいという夢を持っております。

実は、中高時代は、アルペンスキー部に所属し、 関東大会への出場など青春時代の全てを アルペンスキーに打ち込んでいました。 大学進学と共にアルペンスキー自体は引退してしまったものの、 こうして障害を背負い、生活する中で再度体を絞り込み、 パラリンピックの舞台に立ちたいと決心をしました。 2022年の北京だけでなく、その後2026年のイタリア・コルティナ、 2030年に予想される札幌まで選手として金メダルを目指し、 精進したいと考えています。

ロシニョールカップ表彰台


一方で私はただ1人の人間がパラリンピックを目指し、 メダルを獲りにいくという事実だけで 終わりにしたくはないと考えております。 多くの人がいかなる状況でも挑戦ができ、 何度でも夢を追いかけることができる。 そんな世の中であってほしいというメッセージを 私自身の歩みと共に発したいです。

実は、脊髄損傷をする2年前、2014年の秋に私は、 「どうして解散するんですか?」というウェブサイトを立ち上げ、 インターネット上で大炎上をしました。 結果として、安倍総理から直々に 「日本一卑劣な行為である」と名指しで批判され、 自宅から出ることができないまでに炎上してしまいました。 そこからなんとかやり直したいと起業をし、 多くの友人や先輩に支えられ仲間ができ、 もう一度人生を軌道に乗せていけると思っていた矢先の事故でした。

炎上し、障害を負い、ざまーみろと思われていると思います。 それでも私は、人生をかけて、何度でも這いつくばって、 必死に挑戦したいと思っています。 そしてどんな人でも夢を掲げ、夢に向かって走ることができる そんな世の中に変えていきたいと思っています。 パラリンピックへの挑戦。正直に言って、難しい挑戦だと理解しています。反対するアドバイスもありました。 それでも仲間や先輩、後輩に背中を押していただき、 もう一度、死に物狂いでやってみたいです。

今は、夢に向かって厳しいトレーニングを日々続けている毎日です。 Twitterやnoteを通して、そんな毎日を発信していきたいと考えています。 長くなってしまいましたが、 暖かい目で見守っていただけると嬉しいです。

そういえば、この靴下どこいったっけな、、

青木大和

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