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13年ぶりに12日間、人と話してはいけない、目も合わせていけない、読み書きも一切禁止されたヴィパッサナー瞑想修行に参加しました。

2024年4月25日から5月6日まで、12日間のヴィパッサナー瞑想修行に行ってきました。ちょうど1ヶ月が経ったので、今回の気付きを言葉にしていきたいと思います。

ヴィパッサナー瞑想とは、2500年前からあるインド、ブッタの瞑想法です。僕自身、13年前にインドのジョードプルで体験し、人生の土台となりました。13年前に体験したときに、10年後また行こうと決めていました。ただコロナや予定が重なり、GWを挟んだ開催を見て、意を決して申し込みました。

GWに申し込んだのは、会社に最低限迷惑をかけない日程だったこと、気候的に気持ちよさそうだと思ったことから。同じように考える人は多く、申込みは数分かからず埋まり、キャンセル待ちで1週間前まで連絡がこず、諦めかけていた所連絡をもらいました。

12日間の瞑想修行は、タイトルにあるように、人と話してはいけない、目も合わせていけない、読み書きも一切禁止された中、1日10時間ほど瞑想するというものです。

ヴィパッサナー瞑想修行コース 1日の流れ
4:00 起床
4:30-6:30 瞑想
6:30-8:00 朝食・休憩
8:00-9:00 グループ瞑想
8:00-11:00 瞑想
11:00-13:00 昼食・休憩
13:00-14:30 瞑想
14:30-15:30 グループ瞑想
15:30-17:00 瞑想
17:00-18:00 ティータイム
18:00-19:00 グループ瞑想
19:00-21:00 講話
21:30 就寝
22:00 消灯

最初の3.5日間は鼻の呼吸に意識を向ける修行をし、残りの6.5日は全身に意識を向けるという瞑想をします。

正直、12日間の瞑想修行は中々ハードでした。現に何名かの修行者は脱落して、瞑想ホールでの座布団が無くなっていました。ただ、はっきり言えるのは、このタイミングに受けれて本当に良かったということです。

このnoteでは12日間の記録と共に、自分自身の気付きについて書いてみます。本当に関心がある人に対しては、変な先入観を持っても良くないと思うので、日毎の内容は飛ばして、気付きの所のところだけでも読んでみてほしいです。


12日間の記録

10日ヴィパッサナー瞑想修行は、前日、翌日含めて12日間になります。

0日目:
ヴィパッサナー瞑想がスタートする前日、16:30くらい千葉の茂原にある瞑想センターに行きました。会社の近くにある馬喰町駅から1時間半ほどで上総一ノ宮駅に到着し、そこからバスで最寄りのエリアに向かい、そこから奉仕者の人に施設まで送ってもらいました。奉仕者の方に「なんで奉仕をしたんですか?」と聞くと「以前の奉仕者の人が、奉仕をしてより瞑想が深くなったと聞いて気になった」と返事がありました。気になる。

センターに到着し、ルールを守る等の書類にサインをし、財布とスマホ、Macを預けました。10日間、それらと触れられなくなる。自分の体から、スッと何かが離れた感覚がありました。同じ参加者と、初めてですか?なんで参加したんですか?という会話をし、夕飯を食べ、小一時間ほど瞑想をしました。10日間の瞑想がいよいよ始まるなんだなと思って、少し笑ってしまった。9時にシャワーを浴び、10時頃に眠りにつきました。

1日目:
朝4時に「コーン」という音が聞こえ、目を覚ましました。霧に包まれたような朝の時間で、気持ちがよかったです。宿舎は壁とカーテンで仕切られており、周りの参加者のバタバタという足音ともに、グループ瞑想の施設に足を運みました。30分ほどで瞑想の集中力が切れて、何度か休憩しながら、6時半になりました。この日はアーナパーナ瞑想という、鼻を行き来する呼吸を観察する瞑想を実践。10秒間集中して観察するのも難しい。朝食はお米と味噌汁と野菜のシンプルなものでした。


2日目:
この日も、4時半の「コーン」という音ともに目が覚めます。10日間コースでは、アシスタント講師に質問することができます。「数を数えながら瞑想するのはOKか?」と聞くと、「数足ですね。数を数えると集中できますが、それだと呼吸の観察がおざなりになってしまうからやめてください」と言われる。この13年間瞑想する時は、よくカウントをしていたけれど、間違っていたんだなと思った。1日が終わる頃には背中が随分と痛くなっていました。


3日目:
朝目が覚めたら、背中が筋肉痛のような状態になっていました。ずっしりと重たい感じ。1日10時間も座禅を組むことなんて人生で中々ない。普段使わないような筋肉を使っているのでしょう。

ただ、座禅に少し慣れてきたのか、座ると前日ほど痛みを感じなかったです。呼吸に集中した時に感じる微細な感覚が少しずつだけ掴めて来た感覚がありました。


4日目:
この日のお昼後からヴィパッサナー瞑想が始まりました。ゴエンカ氏のリード共に、微細な感覚を頭の上から顔、腕から手の指先、体の胴体、足先まで広げていく。1時間の全身の感覚に意識を巡らせるのはかなりハードで、終わった後は、倒れそうになってしまいました。同時に、その時に体中にエネルギーが充満しているのを感じました。13年前に体験したものとは、また違う感覚でした。


5-6日目:
引き続き、ヴィパッサナ瞑想を続けます。最初は鼻呼吸を観察しつつ、徐々に体中の微細な感覚に意識を向ける。だんだん慣れてきて、片腕、片手ずつではなく、両腕に同時に意識を動かせる様になりました。

4日目ほど疲労感はないですし、自分の意識を体中を巡らせる面白さを感じました。前回のヴィパッサナ瞑想は英語での説明のみだったので、ちゃんと理解ができていなかったんだなと気づきました。

この日あたりから、「すべては無常である」という考えが話されました。気づきの所に詳しく書きますが、すべての根底であると思いました。


7-8日目:
朝起きたとき、残り4日もあるのかと時間の長さを感じてしまいました。このコースに参加したことに一切の後悔はなかったけれど、正直な気持ちが出てしまう。

この日ぐらいを境に、周りがだんだんよく見えるようになってきました。グループマネージャーのとおるさんの動きをぼーっと眺めていると、動きがとても丁寧なことに気づく。座るときや立ち上がる時の仕草、お辞儀の仕方。一つ一つの動きが丁寧で、その動きが平静さを作っていることに気づきました。

自分はよく、靴を上から落とすような履き方をしていたんですね。これは良くないなと思って、丁寧に地面に靴をおいて、履く仕草をしてみました。すると、不思議と心が落ち着く感覚がありました。心が身体的な行為を作っているように、身体的な動きが心に影響を与えるのを肌で感じました。


9日目:
明日が最終日だ、と朝起きた時に思いました。コースの半ばまで雨が多く寒い時間が続いたのですが、とても暖かく気持ちがよかったです。GW中のコースが日程的だけでなく、天気の観点でも良いなと思った。

コース参加者の一人が、芝生の上で寝そべっていて、いいなと思いつつも、どこか恥ずかしさが出て(真似したと思われたくないという恐れ)、真似できずでした。ここにきて、まだ誰かからそう思われたくない「わたし」がいるんだなと思いました。

人は自分が作った「わたし」がいて、それに囚われて、行動を制限してしまっている。そんな話を講話で聞きました。その考えも無常であると捉えることで、自分が作った「わたし」から解放されるのだろうと思います。

終盤だけあって、深い瞑想を1時間続けるようになり、1日に何度もできるようになりました。痛みを感じているときに、痛みがあると反応するのではなく、「自分は今痛みを感じているんだな。でも、これも無常であり、いつか無くなる」と思うと、その痛みの強さが和らぎ、集中が続く感覚を持ちました。


10日目:
朝4時半に起きて、6時半まで通常の瞑想をしました。朝食を食べて、メッター瞑想というものを10時ぐらいまで行って、会話がOKの時間になりました。最初どのように周りに声をかけていいかわからず、人との距離がわからなくなってしまったんですね。インドでは11日目まで会話はなしだったので、場所によって多少違うのかもしれないです。

「どうでしたか?」「今回で何回目でしたか?」という会話から始まり、徐々にお互いの出身や仕事について話すようになりました。参加者の皆さんは、どこか晴れやかな顔になっていました。自分もそうだったと思います。

また最後にアシスタントティーチャーと話すことができたので「恥ずかしさが無くなった話」「ヴィパッサナー瞑想の施設がどう成り立っているか?」など、30分くらいか対話の時間をもらいました。ヴィパッサナーは施設ごとの独立採算制で成り立っており、ドネーションをインドに渡すこともないのだとか。すごすぎる。コースリーダーの方にも、「なぜそんなにも動きが丁寧なのか?」など聞くことができできました。

この日の午前中と最終日に寄付の時間があり、心に決めた金額を払いました。この寄付が、次の参加者のより良い体験につながってほしいと願いながら。

11日目:
最終日の朝、4時半に目が覚めました。最後の瞑想とゴエンカさんの最後の講話を聴いて、6時半に食事を食べ、瞑想コースが終わりました。スマホとMacと財布が返されました。

10日ぶりのスマホは重たく、スマホの光が眩しかったです。久しぶりのネットにつながって、少しぎこちなくメッセンジャーやLINEの新着が更新されていく。この場では返信しないと心に決めつつ、それらの対応に脳の意識が持ってかれてしまいました。「今」に使えていた100%のエネルギーが、別の所に移行していく感じ。なるほど、この脳がこの状態で日々過ごしているんだなと客観視することができました。正直、なにかトラブルとかあったら嫌だなと思いつつ、特段問題がなくて良かったです。7時半から掃除が始まり、8時半には完了しました。その間も参加者同士で談笑をしながら、バス停までの送迎を街ました。

9時半頃にバスに乗り、都内へ向かいました。同じ参加者と電車で一緒だったのもあり、どんな感じだったかを共有しながら、また3分ほど電車で揺られながら瞑想をしながら帰宅しました。


10日間の瞑想コースを通じて学んだ6つのこと

今回、沢山のことに気づき、学んだ10日間でした。下記が自分自身が考え、言葉にしておきたいことです。

1.世界を3つのレイヤーで認識する。

瞑想をしていて、世界は3つのレイヤーで成り立っていると体感できました。1つは心の世界。2つめは、現実世界。3つ目は、インターネットや仮想現実の世界。

ほとんどの意識を2つめの現実世界、3つ目のインターネットや仮想現実の世界に時間を使っていることに気づいたんですね。しかし全ての土台は自分自身の心です。心の土台が揺らぐと、2も3の安定も崩れてしまう。例えば、誰かに連絡を一ついれるのも重く感じてしまう時ってあるように。そういったときは、心に対する意識の向け方、ケアが足りていなくなっている時です。

現代は情報がどんどん増え、同時に複雑化している。その中で、土台の心に対するケアの術は中々学べていないし、同時に育み、学んでいく必要性を感じました。むしろ、これからの時代を生き抜く術だと思います。構造的にこのレイヤーを意識できたらこそ、土台の心の部分を養う時間を意識的に作ろうと決めました。


2.「今ここ」を武器にする。

10日間、驚くぐらいアイディアが湧きます。普段の何倍も、質、スピードともに、色んなアイディアの掛け算が生まれる。それってなんでだろう?って考えていました。

わかったことは、人は脳のエネルギーが100%あるとすれば、そのほとんどを過去の痛みや、未来への不安等に使っていて、今に割いているエネルギーが少なくなっているということです。

瞑想中は、自分自身の呼吸や感覚を観察する。今ここに集中していないと、自分の感覚は感じられず、自分の感覚を感じることで、今ここに集中できます。同時に、瞑想をしていると、色んな過去の囚われと向き合うことになります。向き合うと言うか、勝手に浮かび上がってくるので、それらを観察する。そうすることで、徐々にその囚われから解放されていく。パソコンでいうデフラグみたいなもの。

結果として、より目の前に集中することができ、気持ちの安定や色んな物事の意思決定や推進が高まるのでしょう。瞑想を続けることで、「今ここ」を武器にしていきていきたいと思いました。

3. 恥じらいや囚われとの向き合い方。

人には色んな恥ずかしさや囚われがあります。僕はこういう人間である、という自分に対するバイアスのようなもの。瞑想中、一つ面白い体験があったので、ここでシェアしたいと思います。

瞑想期間中、食事は自分でよそって、自分で洗って片付けます。食べた後にのんびりと周りを見渡していると、椅子が散らばっているのに気づきました。

なんだかもやもやした気持ちになり、椅子を片付けました。そこで面白かったのが、誰も見ていない時は恥ずかしくないのに、誰かから見られている時はとても恥ずかしい気持ちになったということです。

それはなぜか、自分の感情や感覚をずっと観察してみました。偽善と思われたくない、カッコつけでやっていると思われたくなかったのでしょう。そのことに気づいて、さらに自分自身を観察を続けました。平静さを持って、その感覚を観察していると、だんだんその恥ずかしさが和らいでいったのに気づいたんですね。

翌日、散らばっていた椅子を片付けました。昨日に比べて、周りに人がいる中でも恥ずかしい気持ちが随分と無くなりました。自分の感情を観察すること。それによって、自分自身の恥ずかしさや囚われていくことが消えていくということ。これは人前で話すことや、苦手と捉えていることに対しても応用ができると思います。(現に、英語でのプレゼンが上達しました。)


4.学びだけでなく、実践を。

コース中は、一切のメモを取ることも録音することもできません。なので、いいアイディアが浮かんでも、それを書き留めることができないです。ただそれもとても良いなと後半にかけて思うようになりました。

10日間のコースで重要なのは、とにかく実践すること。見聞きしてわかった気になることは意味がない。実践することで、体験することで、はじめて身体に血肉化します。身体知となる。

ここ最近、考えすぎて動けてなかったな、ということが沢山ありました。考えることは大事ですが、動かなければタイミングを逃してしまう。動くからこそ見えることがあり、その行動が積み重なることでしか、物事は形になりません。

起業や事業づくりと一緒です。まず作ってみて、出してみる。その感覚を今一度覚え直しました。


5. 全ては無常である。

ヴィパッサナー瞑想の考えとして、すべては無常であるという考え方があります。人は生まれて、いつか死にます。四季が必ず移り変わるように、人の感情も無常であると捉えます。怒りや嫌悪の負の感情、同時に何かを得たいと渇望する、執着する感情も永遠には続きません。

人はだれもが感情が揺れる瞬間があります。時に、憤りを感じて、怒りを向けたくなるときもある。それに対してすぐに反応するのではなく(例えば、カッとなって怒ったりすること)、それを永遠と続かないもの、すなわち無常であると捉えることで、それらへの執着から解放されやすくなる。

もちろん、無常というのは受け身であるべきというものではないです。意志を持つことはとても大事で、その意志をフラットに続けていく上での大事な価値観だと理解しました。

6.自分の時間をデザインする。

ヴィパッサナー瞑想は、前述の通り、規則正しく生活します。肉や魚を食べず、昼以降も口にしない。その中で、1日10時間瞑想をします。途中抜け出すことも原則できないので、刑務所みたいな環境とゴエンカ氏も言っていました。

仕事をはじめてから、「暇」と思ったことはほぼなかったですが、はじめて感じました。なにより、想像以上に心が穏やかな時間が続きました。それは規則正しい時間や、ルールがあったことが大きいです。

自分自身の行動や習慣が、自分の今やこれからをつくります。情報が溢れている今、受け身でいればいるほど、気づいたら自分自身の予定や心の隙間が埋まってしまう。気づきの冒頭に書いたように、心をケアする時間を意図的に組み込むことの重要さを感じました。

ヴィパッサナーの10日間のコースのようなスケジュールやルールを徹底することは、今の自分には中々難しいけれど、自分自身の時間をデザイン(設計)するような意識をより持っていきたいと思いました。その意識次第で、今の環境も、これからの自分の人生もいくらでも変えられます。


グループ瞑想をするホール。
食堂。最終日の朝食の1枚。
宿泊棟。
ここで期間中は睡眠を取ります。
男性エリア、女性エリアで分かれていて、接することはありません。
トイレとシャワールームまでの道。
数え切れないくらい散歩で通りました。
終わった後は晴れやかな顔をしてました。
参加したみなさんも晴れ晴れとしてました。


無意識を豊かにすることが、人生を豊かにする

気づいたことを思い出しながら、書き出してみました。一つのトピックで8000文字近くになるのは、初めてかもしれないです。

これが13年ぶり、2回目のヴィパッサナー瞑想の自分自身の気付きになります。精神的にも肉体的にもハードでしたが、34歳というこのタイミングでやれて本当に良かったです。

13年前には気づけなかったこと、日常への応用の仕方、そしてこれからの時代を生きていく上での大事な術を得ることができました。13年前のときよりもより手触り感があります。

ヴィパッサナー瞑想をしてから、「どうでした?」と何度も聞かれました。僕も整理をしたかったので、繰り返しゼロから話しました。だんだん整理ができて、ようやく書きまとめられた感があります。

とある方に、この瞑想の話をした所、目を丸くしながら「無意識を豊かにすることが、人生を豊かにすることかもね。」という言葉をくれました。深い。本当にその通りだなと思います。情報が溢れて、より複雑化されていく世界の中で、いかに自分の無意識にアクセスをして、自分自身を拡張し、豊かにしていくか。その拡張の幅が、物事を受け入れられる幅に繋がり、気づきや機会が増え、人生の豊かさにつながっていくのでしょう。

これからも瞑想を一つの武器にするためにも、この瞑想を日常的に続けていきます。それが結果として、僕自身や周りの人の人生を豊かにするのだろうと思うからです。

こういったものはタイミングであるし、人に強制するものではない。10日という物理時間を捻出するのは簡単ではないです(365日の3%ではあるのですが)。ただ、もしピンとくるひとがいたら、タイミングを見てぜひ飛び込んでみてほしいです。きっと今まで感じたことを感じられるはず。

特に経営者や独立意識が高い人、自分自身が実現したい何かがある人には有用だと思います。


コースが終わった後に撮った映像

多少上記の内容と一部変わりますが、よかったらみてもらえると嬉しいです。上記ほど言語化できていないですが、雰囲気は伝わるかと。


前回の記録はこちら

インドでこの体験ができて本当に良かったです。一応、日本語の講話も取り寄せてくれるみたいでした。英語がそこまで得意な人ではなければ、最初は日本語で聞くのが良いと思います。


日本のヴィパッサナ瞑想コースに関して

日本には京都と千葉にあり、今回は千葉で行いました。気持ちの良い空間でした。

最後まで記事を読んでいだきありがとうございます。毎日更新をしているので、よかったらまた読んでもらえると嬉しいです。