くそったれ!幼女時代

ブコウスキーの「くそったれ!少年時代」は大学の時に読んだきり。


 3歳で父が出ていった。
両親は典型的な関東の郊外在住のマイルドヤンキーのカップルで、低年齢低学歴低収入にして子供を持ち、福祉関係の仕事をしながらろくなしつけもせずに私を育てていた。
 父が出ていく時、両親は私に人生を選ばせてくれた。
どちらの親についていくか。
どちらの姓を名乗るか。
4歳の誕生日を目前に控えた私には、判断の材料は本能しかなかった。
私をろくに叱ることもできず、おもちゃや甘いものを買って泣き止ませてくれる父についていこうと思った。父の顔を見て、「お父さん」と答えようとした。口から「お」の音が出た。その瞬間「でもご飯は?」という疑問が閃光のように脳裏を走った。
父は生活能力の低い人だった。
結局私の口から出た言葉は「お・・・母さん」だった。父がなんだか筆舌に尽くしがたい表情をしたことを覚えている。
こうして母との同居が決まった。姓は父のものを選んだ。父の姓のほうがかっこよかったから。
人生の初めに自己選択の機会をくれた両親には感謝しかない。あの瞬間から私は、自分の人生は自分でコントロールできることを学んだのである。3歳で私は大人になった。
 5歳の時、母に彼氏ができた。同じ職場でインターンをしていた男子大学生で、社会主義者でディープエコロジストだった。タイの山岳地帯にバックパッカーに行き、阪神大震災でボランティアをし、自然農法を学ぶ青年だった。90年代の若者の自分探しムーブメントの申し子たる彼は、母や私に、田舎暮らしをして自給自足の生活を送るのだと語った。
 
 青年は大学をやめて長崎に就職した。7歳の時、母は私を連れて関東を離れ、青年を追いかけて長崎に行った。青年は私の継父になった。
 11歳の時、継父は自給自足の生活を送る約束の地を探して旅に出た。全国の離島を回って数か月後、奄美大島に空き家を手に入れたと連絡がきた。母は私に、奄美大島に引っ越すのだと言った。
 当時私はギャング・エイジのただ中で、親より友達が大事だった。ヤクザが銃撃戦をし、市長が暗殺される90年代末の長崎のまちを愛してもいた。私は母に、自分は児童養護施設に住むから私をここに置いて引っ越してくれ、私は長崎に残る、と主張した。母は聞き入れなかった。私は今度は人生を選ぶことができず、薪で焚く五右衛門風呂と汲み取り便所のある奄美大島の空き家に引っ越した。
 当時の田舎は今ほど移住者を歓迎しなかった。おりしもオウム真理教解体の時期で、我々家族は逃げてきた信者と疑われていた。島の老人たちに不審げな目で監視されるのは気分の良いものではなかったが、私は両親が「自然派ライフ」にのめり込んでいくことの方がつらかった。(続く)

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