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かけがえのない人と /ファシリテーション一日一話

先日、亡き友人の一周忌イベントを仲間内で開催した。まだ50才という若さで亡くなった友を忍び、親しかった仲間や世話になった面々が集い、黙祷を捧げ、歌をうたい、酒を酌み交わした。僕はスライド・トークを担当した。亡くなった彼が大学院時代に書いた修士論文を読み解く、というチャレンジだ。「文系の修士論文だったら読めるだろう」と、たかをくくっていた僕の予想を大きく外れ、内容は難解で苦戦を強いられた。一文目から書いている意味がさっぱりわからず、辞書や検索エンジンのお世話になって、必死になって解読した。

学問の楽しさを共有する

彼が儒学について深く学び、修めていたこと。誰も研究しないようなマイナーな儒家に着目し、その生涯や思想を深く掘り下げたこと。研究対象とした儒家が、たくさんの仲間と交流し語り合うスタイルで学問を深めていたこと。少しでも学問をかじった人間は、それを知らない方々にわかりやすく伝え、興味をもってもらい、学問の楽しさを共有できるよう関わるべし、と考えていたこと、などが読み取れた。彼の博識と人なつっこい人物像の由来がわかってくるような時間だった。何を聞いても、ほいほい答えてくれる人だった。その場で答えらなくても、調べて後日かならず話をしてくれる。

スライド・トークを終えて、脱力していると「人は死んでしまうんだなぁ」という実感がこみ上げてきた。なぜ彼が死ななくではならないのか、その理由もわからず、あっという間にあの世に行ってしまう。はかないものだ。亡き友人とご縁を結んだ方々と語らいあいながらこれからは「かけがえのない人との時間を大切にしたい」と意を強くした。

チェック・アウト

翌日、北海道のファシリテーター仲間とオンラインで打合せがあった。本題に入る前と会議の後に、それぞれの近況や心境を聞き合う時間を持った。チェック・インとかチェック・アウトという時間なのだが、そのときに、ふと「かけがえのない人と過ごす時間を大切にしたい」みたいな言葉が出てきて、泣きそうになった。

会議のファシリテーションをするのが僕の仕事だが、扱っているのは生身の人であり、その人たちの限られた大切な時間だ。より丁寧に、無駄にせず、意味ある時間となるように関わっていきたい。

そして、仲間たち。結局のところ、自分が関わってきた人や仲間たちこそが、大切な存在なんだと思う。過去にお世話になった人、最近出会った若い才能、なんでもない飲み仲間、慕って通ってくれる遠方の知人、時々思い出したように連絡をくれる旧友、あたりまえのようにそばにいてくれる家族、そんな人たちとのかけがえのない時間を紡いで、これからも歩んでいこうと思う。

願わくば、自分が関わる場が、それぞれの人にとって、かけがえのない人と出会い、大切に交わりあえる時間となりますように。そんなつもりで仕事を積み重ねてゆきたい。僕の仕事は具体的な作品や見栄えのいい何かが残るものではない。でも、かけがえのない人とのご縁や時間を紡げる仕事でもあるのだ。

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