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憂世で生きる智慧

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楽しき時は楽しく、楽しからざる時も楽しく(日々是好日) 生きとし生けるものが幸せでありますように。 #憂世で生きる智慧 #仏教 #学び #最近の学び #気づき #日々の気づき #…
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2024年5月の記事一覧

大地黄金(だいちおうごん)/禅語【憂世で生きる智慧】

いま・ココ・じぶん 現代社会は、どこかで常に「もっと良い場所」「もっと良い仕事」「もっと良い未来」を追い求めている。まるで、いつか手に入るであろう理想郷を夢見て、今ここにある現実を疎かにしているかのようだ。しかし、「大地黄金」の教えはそんな現実逃避に一石を投じる。 「いつか」ではなく「今」を。 「どこか」ではなく「ここ」を。 「誰かが」ではなく「自分」が。 この三つのフレーズは、まるで短剣のように鋭く心に突き刺さる。 この言葉を噛み締めながら、自分自身の生活を振り返って

不邪淫戒(ふじゃいんかい)【憂世で生きる智慧】

水泳大会には「泳げる者が出場する」「泳げる者しか出場できない」というのは当たり前すぎて考えたこともなかったが、このお話を聞いてハッとさせられた。 その戒律を厳守することは、彼らにとっての基本中の基本であり、宗教的なアイデンティティの一部でもあった。しかし、ここで誤解してはならないのは、彼らの外部への啓蒙活動の本質である。彼らは決してその厳しい戒律を外部の人々に押し付けようとはしなかった。仏教を広めることが彼らの最優先事項であり、そのためには柔軟なアプローチが必要だったのだ。

何を書くかというアイデアは『考えているとき』にではなく『書いている最中に浮かぶ』【憂世で生きる智慧】

何を書くかというアイデアは「考えているとき」にではなく「書いている最中に浮かぶ」 何かを書こうと頭を捻っている時は、まるで、頭の中が曇りガラスのようにぼんやりとしていて、何も見えない。だけど、いざペンを握り、キーボードを叩き始めると、その曇りが少しずつ晴れていき、突如としてアイデアの光が差し込んでくる。これは、一種の「書く」という行為が持つ魔力なのかもしれない。 例えば、こうしてエッセイを書いている時もそうだ。最初の一行を打ち込む時には、どんな方向に話が転がっていくのか全

目的ある盲信 vs 目的なき明察【憂世で生きる智慧】

目的ある盲信 死後の世界(永遠の世界)に行くため準備をすることが人生の目的だ! 目的なき明察 神も霊界もワカラナイし、特に夢もチボウも目標も支持政党もないけれど、毎朝お天道様に手を合わせ、清く正しく明るく毎日感謝して一生懸命生きてます。 [憂世で生きる智慧]記事一覧 #憂世で生きる智慧 #仏教 #学び #最近の学び #気づき #日々の気づき #今日の気づき #名言 #格言 #ことわざ #人生 #今日の名言

【note紹介】「反省」するのは大切な人がいるから.より

親子の謝罪と反省漫画「しょせん他人事ですから」には、子どもが引き起こした問題に対して親子で謝りに行くシーンがある。しかし、子どもは本心から反省しておらず、被害者は激怒する。父親が土下座して謝罪するが、息子は事態を理解していない。父親と風呂に入りながら、その場面を思い出した息子は、父親の言葉に初めて強く後悔し、「ごめんなさい」と反省の気持ちを抱く。 反省の心理「反省させると犯罪者になります」という本によると、反省とは心から悔い、被害者に申し訳ないという感情を抱くことである。

すべてを疑おうとする者は、疑うところまで行き着くことができないであろう。疑いのゲームはすでに確実性を前提としている。【憂世で生きる智慧】

『すべてを疑おうとする人は、最終的に何も確信することができないかもしれない。しかし、疑い続ける行為自体が、何らかの確実性(信じるべき何か、基盤となるもの)を前提としている』 さらに簡単に言い換えると 『何も信じないで疑い続けることは難しい。なぜなら、疑うこと自体、何かを信じているという前提が必要だから』 例えば、「この椅子は本当に存在するのか?」と疑うとき、その疑い自体を持つためには、疑うという行為や考えるという行為、あるいは「存在」という概念など、何かしらの前提や確実性

愛は、それが愛だと知られてはいけない【憂世で生きる智慧】

『愛は与えて忘れなさい』のスローガン自体も忘れなさい 「愛は、それが愛だと知られてはいけない」 「サンタクロースは、名乗らない真の愛の実践者」 愛は、愛だと気づかれてはならない。気づかれれば商品の売買のように条件付きの愛、単なる交換になり下がってしまう。 愛は交換と違い、瞬時に完了しない。与える側は「あの人に届けばいいな……」と未来形で、受ける側は「気づけは愛だった……」と過去形で完了するものだ。 愛を与える人は、与えるだけの人ではない。他者への愛を通して、逆にさまざま

「ここだけの話」に要注意!内緒のハナシはあのねのね……噂話から身を守る賢い対処法【憂世で生きる智慧】

内緒話や他人の噂話をする人との付き合い方を誤ると、トラブルに巻き込まれる可能性が高まります。このような状況を避け、噂話の罠にはまらないための賢い対処法を知って、自分の時間と心の健康を守りましょう。 「ここだけの話なんだけど」「◯◯さんには内緒にしておいて欲しいんだけど」といった前置きをしてから内緒話や他人の噂話をする人と付き合うのは、あまり賢明な選択ではない。 こうした話の出だしには、すでに注意を払うべき兆候が含まれているからだ。ここでは、なぜこのような状況を避けるべきか、

真理を追求するための組織は、真理自体を否定する/クリシュナムルティ【憂世で生きる智慧】

真理は道を通しては得られない。 あなたが真理の道に従っても、それは真理ではない。 真理を追求するための組織は、真理自体を否定する。 個々の自由とは真理であり、その自由は組織の中には存在しない [クリシュナムルティ] 真理についての探求は、古代から現代に至るまで多くの哲学者たちの関心を引き続けてきた。だが、真理は固定された道を通して得られるものではない。真理の道を追い求めること自体が、すでに真理から遠ざかる行為なのだ。 真理の道に従うことは、一見すると論理的であり、体系的で

喜んで感謝すれば、悪しき「業」も消えていく/稲盛和夫氏の名言【憂世で生きる智慧】

災難に遭ったときには喜ぶこと。 災難が起こったと言う事は、「業」が消えたということです。 喜んで感謝すれば、悪しき「業」も消えていく。 謙虚さは、よい人生を歩むためのお守りになる。 [憂世で生きる智慧]記事一覧 #憂世で生きる智慧 #仏教 #学び #最近の学び #気づき #日々の気づき #今日の気づき #名言 #格言 #ことわざ #人生 #今日の名言 #稲盛和夫

卒に将たるは易く、将に将たるは難し/史記【憂世で生きる智慧】

卒に将たるは易く、将に将たるは難し[史記] 真のリーダーには器が必要。兵士としての立場から指導者の立場になるのは容易だが、一度指導者になってから更にその上の立場、真の指導者になるのは困難である。 劉邦は、項羽との争いで数多く敗北を経験したものの、なぜか優秀な人材が彼の元に集まりました。ある時、彼は韓信に 「私が率いられる兵の数はどれほどだと思うか」と尋ねました。 韓信は「せいぜい十万人ではないでしょうか」と答えました。 「では、お前はどうなのだ?」と劉邦が問うと、 韓信は「

出会いが育む思考・判断力と運命の絆【憂世で生きる智慧】

自分に出会ったことで運が良くなったと言われて悪い気はしない。 けれども、そういう考え方の人がいるなら、自分に出会った為に運が悪くなったと思う人もいるかも知れない。 『私は天風先生に会ったお陰で自分でものを考え判断できるようになりました』と言ってもらえるほうが嬉しい。 [中村天風] 自分に出会ったことで運が良くなった」と言われると、心が温かくなる。まるで自分が幸運の守護者になったかのような気分になる。けれども、少し立ち止まって考えてみると、その裏にはもう一つの現実が潜んでい

賢者も愚者も等しく死ぬ【憂世で生きる智慧】

賢者も愚者も、永遠に記憶されることはない。 やがて来る日には、すべて忘れられてしまう。 賢者も愚者も等しく死ぬとは何ということか。 [コヘレトの言葉(伝道の書)2:16 新共同訳] これは、古代イスラエルの知恵文学の一つである『コヘレトの言葉(伝道の書)』の一節だ。新共同訳によるこの言葉は、人生の儚さと死の平等性について深い洞察を示している。 人類は古来より、永遠に記憶されることを求めてきた。偉大な王たち、学者、芸術家たちは、己の名を後世に残すためにさまざまな努力を

キリスト教《伝道》と新興宗教《勧誘》の違い~室賀文武のこと【憂世で生きる智慧】

室賀文武(むろが ふみたけ、1869年~1949年2月13日)は、芥川龍之介の幼少期からの知人で、後に俳人として「春城」の号を用いた。彼は山口県玖珂郡室木村(現在の山口県岩国市室の木町)の農家に生まれた。 同郷の芥川龍之介の実父・敏三(周防国玖珂郡生見村湯屋、現在の山口県岩国市美和町生見の出身)を頼り、政治家を目指して上京。敏三の牧場・耕牧舎で働き、芥川が三歳になる頃まで子守りをしていた。 しかし、1895年頃、政界の腐敗に失望し、耕牧舎を辞めて行商などをしながら世俗の夢を