「ぬ病」と「ティン・ボファン」から見る世界への眼差し
「ぬ病」という言葉がある。
いや、すみません。
正確には、姉と僕との間で存在してるんですが。
「ひらがなの"ぬ"って、何度も何度も書いてると、何をしてるんだかよくわかんない状態になるよねー!」という、この現象を、
当時小学生だった僕の姉が「ぬ病」と名付けたわけです。
大人になったある日。
その現象に「ゲシュタルト崩壊」などというカッチョイイ名前がついていたことに気付きました。
ゲシュタルト崩壊(ゲシュタルトほうかい、独: Gestaltzerfall)とは、知覚における現象のひとつ。 全体性を持ったまとまりのある構造(Gestalt, 形態)から全体性が失われてしまい、個々の構成部分にバラバラに切り離して認識し直されてしまう現象をいう。幾何学図形、文字、顔など、視覚的なものがよく知られているが、聴覚や皮膚感覚においても生じうる。
Wikipedeiaさんより
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ティン・ボファンという言葉がある。
いや、すみません、
正確には、小学校の時の友人が言っていた言葉なんですが。
「ブランコをめっちゃ漕いだときって、チン○ンがフワァン!ってなってゾクゾクするよな!」という、この現象を
当時小学校低学年だった、友人のI君が「ティン・ボファン現象」と名付けたわけです。
大人になったある日。
それは自由落下したときに内臓が重力から開放され生じる違和感のことだと気付きました。
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食のクロスフェードという言葉がある。
いや、すみません、
正確には、つい先日アイドントノウで話してた時に生まれた言葉で。
ご飯が口に2割ほど残った状態で、味噌汁を口に入れたり。
トンカツが口に2割ほどのこった状態で、キャベツの千切りを口に入れて
料理と料理との「つなぎ」を楽しむことを指します。
アイドントノウの音声コンテンツ「知らんがなラジオ」では、食のクロスフェードを行うか行わないかについて大激論が繰り広げられたのですが
その内容は、音声を聴いていただくとして。
この「食のクロスフェード」状態について、後から教えていただいたんですけど、どうも「口内調味」と言うらしいんですね。
口内調味(こうない ちょうみ、英語:mouth seasoning)とは、調味(味付け)していない飯など主食におかずや飲み物を付け合わせて口に入れ、口内で噛みながら混ぜ合わせることが調味になる[6]、その調味および食べ方をいう[7]。日本の「(ご飯茶碗のよそって食べる)飯」や、ザンビアのンシマなどは、口内調味で食べるのが基本である。
なるほど、歴史の古い言葉がわかることで、すでに探究された分野であり、その結果から様々なことを学びとることができる。インターネット万歳ですね。
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さて、その上で、今日の本題。
似ている部分を探すか、小さな差異を見つけるか
小学生が「ぬ病だー!」と騒いでいる時に、
「それって"ゲシュタルト崩壊"のことでしょ?」って言う。
たしかに、蓄積された知識に素早くアクセスするためのキーワードを伝えてるという意味では、ありがたい指摘です。
しかしですよ。
「ぬ病」は、本当に「ゲシュタルト崩壊」と完全一致してるんでしょうか?
「ぬ病=ゲシュタルト崩壊」であった。ここで考えを止めて良いんでしょうか?
これって、今話題のマンガ「鬼滅の刃」を読んだときに
「鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)って"ジョジョの奇妙な冒険"で言うところの、Dio(ディオ)じゃんか」
「呼吸法って波紋(はもん)じゃんか」って言って読むのをやめてしまうのと同じ事な気がするんですよね。
たしかに、似た部分はあるかもしれない。でも、2つは別の漫画であって。
それぞれの似てる部分を指摘してわかった気になるんじゃなく、むしろそれぞれの差異を見つけ出して味わうほうが、どちらの作品も、より深く楽しめると思うんです。
知らないものに触れた時って、既に知っている何かと同一視することで、理解が早まり安心が得られます。
でも、そこでわかった気にならずに「アイドントノウ!」して。小さな差異を丁寧に発見していくことから、新しいモノって生まれるんじゃないかなーと思ってます。
どこかから言葉を輸入して、すぐにわかった気になるんじゃなく。
ちょっとお間抜けであっても、自分の手元で自分なりの言葉を探していってみたい!
小学生は、すげえな。
アイドントノウの「知らんがなラジオ」では、小さな差異から生まれる言葉も発見していってます。
「えっぱい」
「だしゃれ」
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