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第八話

 進展のない活動そのものにやきもきしていた永人だが、春休みを利用し修さんの家に住み込みで練習させて貰えることになる。
 バンドの現状に不満だらけだった永人は、修さんも酒が飲める奴が好きなタイプの人だっただけであり、才能うんぬんを抜きにしてそこだけを気に入ってくれていたのかもしれないと不安に思うようになっていた。
 しかし、もし仮にそうだったとしても、酒が飲めて良かったことの数少ない一つには違いないとも思っている。プロとして活動している憧れの先輩の家で直接教われることは普通ではありえないことだったからだ。

 待望の春休みが始まった。住み込みの練習といっても、修さんの寝ている間や出かけている間に渡される課題の曲を練習し、戻ってきたら演奏を聞いてもらいアドバイスを受けることの繰り返しなのだが、一見単調に見えるこの合宿はかなり厳しい試練の日々となっていく。
 夕方になると近くのスーパーへ安い焼酎やウイスキーのボトルを買いに行き、修さんは缶ビールや水割り、永人は全ての酒をストレートで飲まされながら深夜まで音楽について語り合った。
 ほとんど自分が空けたボトルがだいたい二本程転がっている頃には二人ともべろべろになっており、喧嘩のような言い争いをしたり、じゃれ合って殴り合った為に朝には腕が痣だらけということもよくあった。

 この時期に知ったのだが、修さんはパニック障害という診断を病院でうけており、長いこと薬を飲んでいたようだ。
 バンドのプロデューサーであり、いつも修さんについていたおっさんが「精神を病むのも音楽家としては一つの才能だ。」と影で言っているのを聞き、「俺も才能が欲しい!」と思った永人はどうやったらパニック障害などの精神疾患になれるかを日々考えていた。完全に視点がズレている。
 今考えれば修さんはいつも一人になることが不安で、無茶なことをいくら言っても永人がくっついてくることで少しは安心できていたのかもしれない。それならばそれで嬉しいとも思う。

 毎日二日酔い、というより泥酔状態のままカーテンの無い部屋に朝日が差し込むと、寝ている修さんの横で吐きそうになりながら練習を開始した。
 もちろん集中などできるわけもなく、最初の数日間は数少ないチャンスだと気合いで練習もしてみたが、そんな飲み方をする日々がまさかの一ヶ月間エンドレスで続いたため、合宿の終盤は練習もせず日中は休肝にあてるだけで精一杯だった。
 時折キャバクラに飲みに出かけることもあったが、饒舌で面白く人当たりもいい修さんは女の子ともすぐ打ち解けて、ご機嫌にカラオケを歌ったりしていたが、永人は名前を聞かれて答えるのがやっとなくらいであり、たまに無茶ぶりで歌わされることに怯えながらひっそりと過ごしていた。
 ほぼ沈黙のままで時間と金だけがなくなっていく。それでも愚直に、何か一つでも盗めないかと必死に観察はしていたのだった。

 観察している中で特に驚いたことがある。下ネタを女性の前で言うことや、冗談だとしても相手をけなすようなことは、直結して「女性から嫌われる&モテない」に繋がり、それはこの世のルールだと信じて生きて来た。女性には優しく接することをしっかり意識して暮らしていた今までの自分。
 しかし、修さんは下ネタも沢山言うばかりか女性を貶したりしている。それなのに、時々言い過ぎているように感じた修さんの言葉にフォローを入れ、後はもの静かにしている永人には女性は興味を持たず皆が修さんにばかり話しかけていたのだ。
 もちろん、永人にも女友達が一人も居ないわけではなかったし、バンド内にも女の子は常に居た。その環境でさえ、ふざけたり冗談を言うときはそれなりに気を使い嫌われないように勤めてきたつもりだ。そんな自分にとって目の前の出来事は長い間受け入れることができなかった。
「何故格好も付けず横暴に立ち振る舞う修さんがあんなにモテるのだろう。顔か?バンドのお客さんに対しても変わらぬ態度で接している。いつか自分も殻を破ってみたい。俺も初対面の女性やお客さんとふざけながら楽しく話してみたい。」
 合宿の後半は、音楽のことよりも女性にモテることばかりを考えるようになっていたのだった。
 結局日々が過ぎ去ってみれば修さんと飲んだくれただけの「春休み」であり、ギターにはほぼ触らずに技術もほとんど進歩しなかった。
 永人が得たものと言えばこの試練の日々を完走した達成感と、おそらくは間違いであろう「女性への接し方」「モテる男の定義」この三つだ。
 音楽家に転職するアイテムとは到底思えないものだけを手に入れて帰るという形でこの合宿は終わりを告げた。修さんから前にも増して信頼されたことだけが唯一のお土産だろう。
 兄の居ない永人にとって、弟のように接してくれるのがとても嬉しく、この頃から修さんには敬語を使わず実の兄のように慕い、言いたいことも言い合えた。気がつけば一緒に居て楽な気持ちになれる数少ない存在になっていたのだった。

 語り明かしたしゃべり場の日々で、修さんの音楽に対する考え方や感情論が永人に強く根付いていた。一つ成長した気になり、天狗になりきった永人は合宿後からバンドメンバーに対し、上から色々指示するようになってしまった。
 練習でも自分が出来ていないことは棚に上げ、メンバーにばかり難易度の高い要求をしていたように思う。当然、バンドの雰囲気は悪くなっていた。

 最初にやめていったのはずっと一緒にやってきた明奈だ。
 理由として切り出された言葉は「明奈、絵本作家になりたいからバンドやめようと思う。」だったのだが、話し合いの最後には「楽しく音楽に接する明るい永人が好きだった。」と言われ、数ヶ月後明奈は他のバンドを組み直し音楽活動を始めていたのだった。
 それでも永人は自分の考え方ややり方を変えるつもりはない。
「俺には修さんがついてる。間違ってなんかいない。」
 作った曲に自信を持って演奏するということよりも、修さんとの信頼関係こそがこの頃の永人にとっては「音楽」の全てだった。

 ギターのあやこは専門学校での顔も広く人当たりが良かったため、すぐにサポートしてくれるドラムを連れてきてくれた。そのおかげでなんとかバンドを続けることができたのだが、明奈がやめたことでバンド内の空気は確実に悪化していた。
 永人は人望溢れるあやこが羨ましかったのか、専門学生には負けたくないという思いからなのかあやこと喧嘩することが一番多かった。
 専門学校に行ったのかと修さんに質問した際、「専門学校?行ったけどレベルの低さにがっかりしてすぐにやめた。」と言っていたことがかなりの確率でそれに拍車をかけている。それでもプロとして活躍している実績があるからだ。
 この話を聞いてから、ずっと目上の存在に思えていた専門学生も同じ人間となり、逆に練習もせず専門学校にも通わず曲を作れている自分の才能の方が素晴らしいとさえ思うようになっていた。勘違いもいい加減にして欲しいのだが、だからこそあやこに技術面を指摘されると逐一頭にきてしまっていたのだと思う。

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