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第十二話

 里緒ちゃんと付き合い、バイト先で勉強し、少しは前向きになれた永人と同調するように環境も変わり始める。
 渋谷のライブハウスでブッキングを担当し、バンド結成当初からずっと永人達を見ていてくれた俊介さんが「ブログ書いてみないか?」と提案してくれたのだ。当時はインターネットに発信源があまりなかったので、少しでも集客に繋がればと365日欠かさず書く約束をして、早速その日から書き始めることにした。
 最初は何を書けばいいのかわからなかったが、段々と書くことが楽しみになる自分に驚く。「欠かさず書く」というのが三日坊主の永人には唯一の難関だったが、なんとなく「この提案だけは絶対成し遂げてみよう」と思った。
 メンバーの環境も変わり、「もっと集まり易く練習しやすいようにしたい。」とあやこが永人と恭二が住む町に越してきた。皆それぞれ夢を叶える為に一歩ずつ自分が出来ることを重ねていた。

 数ヶ月後、そんな姿を見て「渋谷で頑張ってるバンドをもっと広めれるように、オムニバスのCDを作りたいと思うんだけど参加してみるか?」と俊介さんから電話を貰った。参加するバンドは先輩か同年代でも既に沢山のお客さんがいるバンドだ。駆け出しで、お客さんもついていない永人達を俊介さんはそこへ参加させてくれたのだ。CDの中には修さんのバンドの曲も入っていたし、永人が高校時代カラオケで歌っていたバンドの人も参加していた。
 自分が今身の丈に合わない奇跡の中にいれること、修さんと少しでも同じラインに立てた気がして歓喜した。
 出来上がったCDに入っている曲はどれもこれも気に入って、アルバムを通しで流しながら自分の作った曲がここに入っていること、順番がくればスピーカーから流れてくることがしばらく現実として認識できなかった程だ。
 そしてこの頃から「そろそろ他の場所でもライブして色々勉強してこいよ!」と県外のライブハウスを俊介さんが紹介してくれて、各地に出向くようになった。その中でも小田原のライブハウスにはよく通った。
 店長に初めてライブをみてもらった際、「俊介さんの紹介だったから期待していたのに期待はずれで残念だったかな。」とバッサリ言い捨てられたことをよく覚えている。
 叱られることで信頼を感じるようになっていた永人は、「ここは信頼出来る場所だ。」と確信し、いつかこの人にも認めて貰わねばと小田原へ通うようになった。

 バンドが一歩ずつ進んで行く最中も相変わらずプライベートで空いた時間は修さんと飲み歩き、アドバイスを貰えることもたまにはあったが基本はただ潰れて終わる日が多かった。ただ時間を重ねる度に修さんに近づけているような気がして嬉しかった。

 ある日、いつもどおり遊びに行くと修さんの幼なじみだという平さんを紹介してもらい三人で飲むことになった。平さんはCMやPV(MV)を制作する会社で働いていて、フリーでコピーライターもしていたりと才能溢れる人だった。
 出会った当初、はっきりものを言わない永人が平さんは気に食わなかった様子で、修さんに「なんでこんなつまんない奴と一緒にいんの?」と厳しく当たっていたのだが、毎度飲み会をする度についてくる金魚の糞に段々と興味を持ってくれたのか、回数を重ねる程仲良くなっていき、最終的には三人で飲むことが当たり前になっていた。
 永人と平さん二人でも飲みに出かけるようになり、才能溢れるこの幼なじみの輪の中にいれることと二人が弟のように可愛がってくれることがとても嬉しかった。
 二人とも破天荒で、何度も怖い目にあったしよく泣かされていたけれど、永人にとって二人と過ごす時間は常に新しい発見に溢れ刺激的な時間でもあった。
「笑うということだけが楽しいということではない。泣いたり怒ったり怖がったり、感情が動く全てが人生においての『楽しみ』だ。」この経験から永人は常々そう思うようになる。

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