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第十一話

 働く場所と住む場所、生活費を安定させたいと言い、里緒ちゃんは箱根の温泉旅館に住み込みで中居の仕事を始めることになった。
 毎日酔った客からセクハラに近いことをされてしまうのではないかと心配していたが、素敵な先輩達に支えられながら慣れない環境でも明るく頑張って働いていた様子だったので安心した。
 遠距離恋愛になったけれどこれまでのことを考えればなんてことはない。離れていても全く変わらない気持ちで毎日を過ごせている。
「箱根での移動は大変だろうから」と誕生日に自転車をプレゼントしたことがあった。なんともセンスのないプレゼントだったが彼女は素直に喜んでくれて、初めてそれに乗り買い物に出かけたときの話を本当に嬉しそうに、沢山語ってくれた。
 永人も花屋でのバイトをやめ新しいバイト先に勤め出す。出来たばかりの居酒屋だったがお店は既に人気があり、週末は予約がないと入れない程繁盛していた。花屋の時とは比べ物にならない忙しさに目が回りそうだったが、店長と奥さんが素晴らしい方で、毎日が勉強だった。音楽に対しても歯に布着せずダメ出しをしてくれていた。二人とも大胆で格好良く、こんな大人になりたいと心から思うようになった。

 年度末には社員旅行と題し北海道までバイトのメンバーを全員連れて行き、旅費は店長が全て出してくれた。さらに人生の勉強にとニューハーフショーパブにも連れ出してくれたのだった。
 そんなお店に入るのはもちろん初めての体験だったが、「彼女達」は皆とても綺麗で会話も上手い。散々酒を飲んだ後でもビシッと決まったショーのエンディングでは感動して涙が出た。
 華奢で見るからに幸の薄いところが気に入られたのか、「人生に失敗したらあんたここで働きなよ!」永人だけがスカウトされ皆で笑ってる。素敵な一時だった。
 宿に着くと他のメンバーは風俗店の雑誌を購入し、各々行きたい店を探し夜の街に出掛けて行く。永人は「里緒ちゃんに悪いから僕は行きません!」と頑に断った。今思えばノリも悪く男としても最低な選択だったと思うのだが、テレサのトラウマもこんなときには役立ち、断固拒否し続け一人だけ別行動をすることにした。
 とはいえ行くあてもないので、一応鞄に入れてあった名前も全く知れていない自分のバンドのフライヤーを持ち、近くのライブハウスを探しに出掛けることにした。
 探し当てたライブハウスの階段を下り、受付にいたスタッフさんに「絶対に北海道にも来るようなバンドになるので是非覚えておいて下さい!」とフライヤーを渡し、少しだけ話をして店を出る。皆はまだ楽しくやっている頃だろう。余った時間は繁華街を散歩することに使った。
 知らない街を一人で歩くのは贅沢な気分で心地がよく、知らない土地の地面を蹴る足はいつもより軽く感じる。里緒ちゃんへの一途な気持ちを持てていることも素直に嬉しくまた一つ大人になれた気がしていた。
「夢を持つこと、人を好きになることは素晴らしいな。これこそが人生の財産なんだ。」
 そんなことを考えながら時間が許す限り夜の散歩を楽しんだ。

 北海道から帰ってきて少し経ち、里緒ちゃんと二人でバイト先の店に飲みに行ったとき、店長は冗談を交えながら永人が断固拒否して一人だけ遊びに行かなかったことを彼女に告げた。「男のくせに根性ないんだよ!でも本当に素直で一途なんだって感じた。これが永人のいいところなんだって。」自分では話していなかったので人づてに伝わったことが里緒ちゃんを喜ばせることに繋がればいいなと思いながら、会話のやりとりを静かに笑って眺めている。

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