匿名論(仮)
匿名というのは、何らかの行動をとった人物が、自分が誰であるのか、実名・正体を明かさないことを言い、仮名・筆名などを用いる場合なども含む。といった感じである。(wikiより)この時代、匿名によりインターネット上の犯罪が増加しているとも言えないこともない。本日は匿名について語りたいと思う。
私は匿名に、不安と大きな可能性があるとおもっている。
また匿名によって豊かな言葉を使えることや幅広く様々な表現をできることを私は知っている。
これにおいては、はるか昔恋文を匿名でおくっていたりだとか、最近だと匿名文学もあるようで。
私は匿名によって美しい言葉をより爽快に、表現できるのではないかと思う。(ここでいう爽快というのはやはり、なんの後退りのないもののことである)
そう表現することによって、そのような美しい文学もつくれる、さらには、バンクシー。現に匿名に依って、社会批評作品を、心地よくそれこそ爽快に表現しているではないか。
臆面なく、私は匿名のメリットを肯定する。
しかし、匿名というのは危険なものである。これは私が言わずとも知れたことである。
やはり誹謗中傷は絶えぬ。これは人によって誹謗中傷がおきているのではない。匿名という環境によっておきているのである。前文のように、私たちは匿名によって豊かな言葉を使い、幅広い表現ができる、と私は思っている。しかし、私たちは可哀想な者達で、押すか押さないか、の訳の分からぬボタンをむやみやたらに押しまくってしまうたちなのだ。それについての影響を考慮せずに、である。
そのくせ、岐路における切り替えスイッチには狼狽してしまうほど戸惑うので矛盾していやがる。
匿名が無くなればで、やはり人の命を救えるが、有れば、有ればで人の命を救える。また双方にも犠牲者は必ず出るはずだ。だから私には結論は出せぬ。結論が知りたきゃパリ在住の鼻の高い或男性に聞けば良い。
つまり私はこれを書くにおいて匿名の特徴性とそれにおける問題点とまたその原因を無責任に放り散らかしただけなのだ。自称芸術家は下手な論理を立てぬ方が良い。
皆さんはどちらの方が良いかを、コメントに書いてもらえるとたいへん嬉しいです。
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