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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第六話 石動秋葉の真談

 金魚がいて困ることは、金魚になる夢と、もう一つある。母の異常なまでの過保護さだ。
「小学校のころ、金魚が空を飛んでると言ったらクラスメイトに笑われました。俺はそれだけだったんですけど、母は先生になにか言われたみたいで、俺をひどく叱りました。『こんな恥ずかしい想いをしたのは初めてだ』と。嘘で気を引くなんてみっともない、って」
 俺の実家は福井だ。今通っている大学は東京にあるが、母には一人暮らしの許可を得ていない。父に頼んでこっそりマンションを契約してもらったが、母は父にも激怒し『私もアキちゃんと一緒に住む』と譲らなかった。
 だがもし付いてきたら、俺は成人したら自分の名義でマンションを借りて出て行く、母の連絡は一切とらないし、居場所も教えない。それでいいなら来ればいい――と叫んだ。
「母にとって俺は、今も昔も異常者です。それで揉めるから、父は俺を面倒くさがってます。だから俺が母から遠ざかることには協力的でした」
 俺には、母の言い分がわからなかった。少数派であることを恥じるなら、それもいいだろう。集団のなかでマイノリティになることを恐れる心理は否定しない。
 だが、母の主張は終始一貫『私恥ずかしいわ』だ。つまり母は、俺が孤立することを心配してるのではなく、自分が異常者に思われることが嫌なだけだ。それなのに俺は母の操り人形でいることを強いられる。それが許せなかった。
 そう考えると、俺が金魚になる夢を見る意味がわかるような気がしている。
「……人間と生きるのは、息苦しくてたまらない」
 俺は金魚になりたいのかもしれない。店長がなぜ金魚を求めるのかはわからないけれど、俺もまた、金魚と共生したいのだろう。
 店内が静まり返った。こんな話を聞かされて、困るのは当然だ。そっと店長を見ると、予想とは違う表情をしていた。腕を組んで真剣に考えこんでいる。そこまで困らせるとは思っていなかったので、気にしないでください――そう言おうとしたが、店長は目を細めて真面目な顔で言った。
「金魚がお母さんに何かしてる可能性はないかい?」
「……はい? え? 金魚って、この、空を飛んでる奴らがですか? なんでですか?」
「まず単純に、メッセージ数が過保護を通り越してる。ストーカーの量だよ。これほど心配なら同居すべきだ。同居して、数年後の独り立ちは考え直すよう説得するのが普通じゃないか。それとも、お母上には実家を出られない理由でもあるのかい?」
「……いえ、どうでしょう……」
 あまりにも突飛で、過去を振り返ることすらままならなかった。俺は母を拒絶して生きてきた。母がどうであったかなんて、考えたことは一度もなかった。
 そんな薄情な人間性を知られたくなくて、必死に思い出すふりをした。でもやはり、思い出せることはなに一つなかった。
「すみません。思い当たることはないです。他の人の親を知らないんですが、こんな過保護になるのは珍しいですよね」
「と、思うね。それに過保護になるには原因が弱い。小学校のころ一度教師に言われただけだろう? アキちゃんがあちこちで金魚の話をしまくってメディアで笑い者にされて、中学、高校、数えきれないほど教師に呼び出された、とかならともかく」
「そんなのありません。母がうるさいので、俺は外で金魚のことは言わないようにしてました。騒いでるのは母のほうです」
「そう。お母上だ。騒いでいるのは、金魚と共生してるアキちゃんでもなく、アキちゃんを笑った金魚を信じない小学校のクラスメイトでもなく、お母上になにか言った教師でもなく、金魚を知り共生できないお母上だけ」
「それは、そう、ですね……」
 店長は背もたれに寄りかかると、足を組んで膝をとんとんと突いた。長い脚の爪先が、机にコンッとぶつかり金魚湯がぐらりと揺れる。店長は揺れた金魚湯を掴んで、くるくると指先で弄んだ。
「お父上の態度も気になるねえ。一人暮らし、そう簡単に許すかい? どう考えたってお母上は騒ぐじゃないか。少なくとも、話し合って折衷案を出すのが先だ。マンションをこっそり契約してくれるのは、どう考えてもおかしい」
「父は俺のことを気にしてないんですよ。究極の普通人というか、どっちかといえば、母が騒ぎすぎで、大人しくさせようとしてました」
「なら、なおさらアキちゃんを放り出すのは変だよ。アキちゃんを傍に置いておけば、お母上は騒がないんだから。お父上には、アキちゃんを実家から出したい理由があるのかな」
 十九年の人生経験で、最も遠ざけておきたかったポイントが掘り下げられた。まさか金魚に囚われる俺を恥じる母自身が金魚に繋がるなど、青天の霹靂だ。
 俺は口をぽかんと開けて、瞬きをするしかできなかった。だが店長はまだ真剣な顔をしていて、ずいっと前のめりになって俺のスマートフォンを指さした。
「メッセージを見せてもらってもいいかな。お母上の言葉に手がかりがあるかもしれない」
「ああ、はい。どうぞ。でも同じ話ばっかりですよ」
 俺は慌ててスマートフォンを立ち上げて、チャットアプリの画面を店長に見せた。インストールしてからずっと、俺を抑圧し操り人形にしたがる言葉ばかりだ。見て気持ちの良い物ではないけれど、店長はやはり真面目な顔で一行ずつ読んでいる。
 身内の端を晒すようで恥ずかしかったが、店長はぴたりとスクロールする指を止めた。
「これ変じゃないかい?」
「どれですか?」
 俺は店長が指さした先の文字を見た。そこには『アキちゃんまでどうにかなったらお母さん悲しい』と書いてある。
「涙ながらの訴えが好きな人なんです。意味ないですよ」
「そうかな。僕は変だと思う。だって『アキちゃんまで』だよ。『まで』って、もう一人は誰のことだい?」
「え?」
 店長はスマートフォンを俺に向けた。文字だから何度見ても変わらない。もうずっと見続けてきた文字で、見なくてもわかる、と思って深堀をすることなどなかった。
 だが言われて見ればおかしいようにも感じる。確実に、俺と比較するもう一人がいる言葉だ。
「……母が自分のことを言ってるんじゃないですか? 自分もおかしいから」
「それは『アキちゃんが、お母さんをおかしいと思ってる』っていう、アキちゃんの主観だよね。『どうにかなった』というのは客観的に見た変化であって、自分に対しては使わない。だっておかしくなったら、自分がおかしいとは思わないだろう?」
「どうでしょう。言葉のあやに思いますけど」
「一度だけならね。でもお母上は五回に一度は『アキちゃんまで』が出てくる。それにこれは絶対に変だと思う」
 店長はススッと上にスクロールした。見慣れた否定の言葉の一つを指さされ、落ち着いて読んでみるとたしかに妙な印象があった。書いてあるのは『アキちゃんまでどこかに行っちゃったら悲しい』という内容だ。
「誰がどこに行ったんだい? お父上は一緒にいるんだろう?」
 母の話は俺を否定するばかりで、話をするのが苦しかった。だからまともに聞いていなかったし、メッセージは流し読みだ。まともに読んだことはない。
 だが冷静になってみれば、辻褄の合わない言葉選びに思える。
「変、ですね」
「変だよね。ちょいと話を聞きに行たいなあ。アキちゃんの実家ってどこだい?」
「福井ですけど、え? 母にですか? 実家に、直接行くんですか?」
「うん。だってこれ、絶対なにかあるよ。お母上の過保護さは、金魚が精神に影響を及ぼしたのかもしれないよ。けど、アキちゃんが嫌なら無理にとは言わないよ。でも僕は、お母さんを大人しくさせる、物理的な解決方法を持ってるんだ」
「えっ」
 それはまさか、金魚を消す金魚鉢とやらのことだろうか。
 店長は名言しないけれど、にんまりと笑っている。こんなに美しい顔をしているのに、無邪気な子どものように見える。一緒にいれば、きっと良いことがあるような気分になっていく。
「どうかな。一緒に行かない?」
「行きます。土日でいいですか? 平日は授業があるので」
「もちろんだよ。ではその間、任務を与える!」
「任務?」
 店長はタブレットパソコンの画面をすいすいと操作し、なにかを表示させると俺に見せた。画面に映っている情報を見て、俺はおもわず首を傾げた。
「これをやってこいってことですか? 全然、金魚関係無いんですけど」
「下準備さぁ。いいからやってきなさい。うまくいくから」
「はあ……」
 訳が分からないまま頷くと、店長はぴょんぴょん飛び跳ねならがくるくる回る。
 真剣なのかふざけているのか、どうにもつかめない人だ。でも俺はなぜか楽しかった。まだなにも分かっていないけれど、答えを得られるのは遠くないような気がした。


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