見出し画像

「帝都椿物語 椿の君の行く処には」 第三話 六条御息所に隠された復讐

■場所(図書館・放課後)

修吾「今からやるのは源氏物語の裏の分析だ。まず、大前提を考えてみよう。六条御息所の家族は知ってるかい?」
大志「皇太子の妻だったんですよね。他は特に記述されてなかったと思いますが」
修吾「そう。でも実はね、六条御息所は、十歳差の二人姉妹だったんだよ」
大志「…それはまた、どうしてそうなるんですか?」
修吾「意味わからないよね。じゃあまずは表向きの解釈を簡単に」

・『葵』の裏表紙を捲ると、源氏物語の登場人物相関図がある。
・修吾は六条御息所を指さす。

修吾「御息所は前東宮の奥方。十六歳で結婚し、二十歳で死別。御息所と光源氏は七歳差だから、御息所が死別した時の光源氏は十三歳」

修吾「でもおかしいんだ。光源氏が六歳の時に、兄弟が皇太子になってる。前東宮が死んだのは光源氏が十三歳の頃。この間は皇太子が二人存在したことになってしまう」
大志「それは執筆上の不備でしょう。設定を誤っただけかと思います」
修吾「そうだね。それが表向きの分析だ。けど本当にそうかな。隠したいことがあって、合わない辻褄を『不備』で誤魔化したんじゃないのかな」
大志「皇太子は二人いたのが真相ということですか? 普通に考えれば、廃太子になっていたけれど、光源氏の恋愛物語には不要だから省いたといったところでしょうか」
修吾「そうだね。でもこれは、六条御息所の年齢と光源氏が七歳下という情報を元にした結論で、逆を言えば」

修吾「六条御息所の年齢だけがおかしい、という見方もできる。じゃあ、前東宮との結婚から光源氏と出会うまでの出来事を、時系列で成立させるには御息所は何歳なら適正か」

・大志は少し考える

大志「四十歳じゃなければいけないですね」
修吾「計算早いね。そう。物語の裏では、誰もが四十歳であることを知っていた。でも表向きには三十歳で出会ったとされた。なぜだろう」
大志「なにかしら目的があり、そのために十歳若くいる必要があったんでしょうね。それで六条御息所は十歳差の姉妹だった、という分析ですか」
修吾「そう。でもそんなの光源氏の恋愛にはどうでもいいことだ。御簾越しだから分からないしね。もし分かるとしたら直接顔を見た時だけ」

・修吾はノートの紙を一枚破って、巻物のように巻く

修吾「初めて光源氏が六条御息所を認識したのは手紙だ。顔を見たのは何度目かの逢瀬のとき」

修吾「なら逢瀬以降、光源氏と対面したのは一人に統一される。では光源氏に顔を見せていないもう一人は、どこでなにをしているんだろう」

・大志はぴんとくる

大志「目的を果たすために動き始めている!」
修吾「そう! 六条御息所姉妹は、光源氏を利用するつもりだったんだ。けれど想定外に惚れ込んでしまった」

修吾「きっと光源氏に恋をしたのは妹の御息所だ。だから源氏物語では三十歳と表記された」
大志「姉の御息所は恋愛物語の邪魔になるから掘り下げなかったと」

大志「では姉の御息所の目的はなんでしょう。源氏物語らしく考えれば色恋沙汰でしょうが、六条御息所といえば才色兼備であることも印象深い女性です。矜持を傷つけられるようなことがあったとか」
修吾「ありえるね。でもそれなら源氏物語に組み込みそうな気がする。その才に光源氏は興味を持ったんだから」
大志「ではまったく別のことですか。恋愛でも矜持でもないのなら、恨みによる復讐とか」
修吾「僕もそう思う。じゃあどんな恨みか。これは妹の御息所に秘密があると思うんだ」

修吾「源氏物語は色恋だ。姉妹で光源氏を取り合う愛憎劇もできたはずだよね。そうならなかったのは」

・修吾は紙を二つに割いてポケットに隠す

修吾「片方が世間から隔離され、誰も存在を知らなかったからなんだよ。そして姉の御息所はなにらかの目的で暗躍している。この時点で、隔離されていたのは妹の御息所だ」
大志「わかった! 妹を隔離し日陰者にした犯人へ復讐をしたいんだ!」
修吾「そう! 六条御息所が愛情深く描かれるのは、それも理由なんだよ!」
大志「色恋だけでない愛情があったということですね。生霊であることに人間味が出てきましたよ」
修吾「そうだろう。六条御息所は本能で動く物の怪じゃない。計算高い人間なんだ」

・修吾は、はっと我に返る。

修吾「こんな話で盛り上がってくれる人がいるとは思わなかったよ。大志は本当に文学が好きなんだね」

・大志はきょとんとして、じっと修吾を見つめる。

修吾「うん? なんだい?」
大志「いえ。織山先生は華族へ礼儀を重んじていらしたので、私を呼び捨てにしたことに驚きました」

修吾「あっ! ごめん! 椿君!」
大志「いいですよ。ぜひ大志と呼んで下さい。椿姓は何人かいて分かり難いですし」
修吾「いや…気をつけるよ…」

・修吾と大志は、顔を見合わせてくすっと笑う。

大志「次は犯人探しですね。妹の御息所を隔離したのは誰でしょうか」
修吾「僕は夕顔の君に関係してると思う。源氏物語には何度か生霊が出てくるね。どれも六条御息所と思われがちだけど、夕顔を殺したのは光源氏に恋した六条御息所ではないと思うんだ」
大志「夕顔は六条御息所が嫉妬する市井の娘ですよね。あれこそ生霊の始まりでは?」
修吾「作中ではあれが六条御息所とは明言してないんだよ。それに、六条御息所は夕顔の具体的な居所も顔も名前も、なにも知らない。君は念じるだけで誰とも分からない相手の所へ、瞬間移動できるようになると思うかい?」
大志「だとしても、それでは夕顔の死を六条御息所の苦悩に繋げる意味がないのでは?」
修吾「あったんだよ。ただし理由は色恋ではない。夕顔の出生や過去にあったんだ」

・大志は少し考えこむ

大志「妹の御息所を日陰者にした犯人は、夕顔近辺の人物ですね! しかし夕顔の立場では、妹の御息所をどうこうできるとは思えませんよ」
修吾「そうなんだよ。でも夕顔は頭中将の側室だ。頭中将は左大臣と大宮の息子。なら妹の御息所を隔離したのは左大臣家――という分析もできる」
大志「それなら六条御息所を陥れることができそうですね。じゃあ左大臣家の系譜をたどれば犯人がいる!」
修吾「そう。でも夕顔や左大臣家の系譜というのは詳細がない。これ以上は分析ではなく二次創作になってしまうから、文芸創作サロンの領域かな」

・大志はがくりと肩を落とす

大志「こんな良いところで終わりですか。悔しいな。でも妹の御息所が隠された理由の推測はできますよね。やはり皇族にとって邪魔ななにかがあったんでしょうか」
修吾「時代的に考えてもそうだろうね。桐壺帝の治世を脅かし、かつ光源氏の恋愛物語すら霞むような事実。たとえば、桐壺帝は近親者と不義の子供を設けていたとかね」
大志「それは一大事件だ。下手をすれば皇太子が――」

・大志は目を見開く

大志「皇太子が二人いた……!」

・修吾はにやりと笑う

大志「桐壺帝は、光源氏と藤壺の関係を知っていて黙っていましたよね。もしかすると、自分も似たようなことをしたから非難できなかったのかもしれない!」

大志「姉の御息所の復讐は成功したんでしょうか」
修吾「僕は失敗だと思ってる」

・修吾は相関図を指差す

修吾「六条御息所は、葵の上や紫の上に憑りつくよね。あれは光源氏に恋した妹の御息所自身の生霊。もし姉の御息所が復讐を果たしていたとしても、妹の御息所は幸せになれなかったんだ」

修吾「妹の御息所が望んだのは復讐じゃなかった。姉の御息所がやるべきは、復讐なんかじゃなかったんだよ」

・修吾は菊本の写真を手に取る。

修吾「復讐したいことは僕にもあるよ。けど……」

・修吾は、ワンピース姿で源氏物語を抱きしめている八重を思い出す。

修吾「なにをしても過去は変わらない。なら、その労力は未来を創るために使いたいんだ」

修吾「だから優二郎理事の未来へ向かう考えは、間違ってないと思う。やり方は良くないかもしれないけどね」

・ガチャンと大きな音がする。

修吾「また!? 連続して起きることはないんじゃないのか!?」
大志「生霊が変わったのかもしれませんね。姉の御息所から妹の御息所に」
修吾「複数犯だっていうのかい?」
大志「それは調べないとわかりませんね。姉の御息所による復讐劇は創作ですから」

・大志と修吾は顔を見合わせ、くすっと笑う。

修吾「行こう。でも危ないことはしないでくれよ。僕が怒られる」
大志「黙らせるのでご安心を。怪我人がいないと良いんですが」

(第三話 終了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?